関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

朝暘一小百周年

2007年11月11日 | 子育て・教育

10日(土)朝暘第一小学校の創立百周年記念式典と祝賀会がおこなわれました。

 学校体育館でおこなわれた式典では、御橋実行委員長(元教育長)ご挨拶、冨樫校長式辞、富塚市長、伴教育委員長、それぞれご本人の出席によるご挨拶に続き、4,5,6年児童のお祝いのメッセージがありました。
 これは、挿入歌「校歌合唱」「君に伝えたい」「児童会の歌」が素晴らしいハーモニーで歌い上げられ、また、運営委員長(昔で言う「児童会長」)の挨拶では、5分以上はあろうかという内容が諳んじられた、心のこもったものでした。素晴らしい内容に、終わった後はどよめきが起こったほどでした。
 
 祝賀会は、グランドえるさんに会場を移しておこなわれました。
 私は、式典の方は実行委員でしたが、祝賀会は来賓として扱っていただき、ステージの真ん前、名誉市民の山崎誠助先生の隣の席で大変恐縮しました。
 山崎先生は、市芸術文化協会会長、劇団麦の会主宰者などなど、多くの功績を持つ方ですが、戦後の一小の学校図書館活用教育の始まりの時代を担った方でもあります。

 一小は、幻の賞と言われる全国学校図書館大賞を受賞した日本一の学校ですが(私は、学校教育の歴史に残る業績と見るべきではないかと思います)、藩校致道館にその源流を見ることができるという人もあります。
 
 領主のため、続いて天皇のためにおこなわれていた教育が、日本国憲法に基づく教育の観点からは、全体として肯定できないものであることは当然です。「藩校教育はすばらしかった」というような主張を「お国自慢」と同じようにおこなわれては困ってしまいます。
 しかし、今日のすぐれた教育活動と何か共通性のある活動を、歴史の中に確認することができるということは、なかなか楽しいものです。
 百周年事業に参加して、そんなことを思いました。