則天武后のドラマを見たのだが
則天武后と言ったって
具体的にその女帝になったあたりのこと知らないなあ
と見始めたが
全然理解は深まらないなんで
女帝に立って国号を武周としたのか
イメージを持って理解するには何の役にも立たない
ドラマだった
歴史のとらえ方 って 中国は独自の風雅あるかもしれない
底の底から階級主義身分制度 って感じがして
いろいろうんざりだった
褚 遂良は 名前しか知らなかったが
この人が 則天武后と政治的意見
相対立する政治家だったというのは
初めてイメージできた
書家としか知らなかったものな
然し東大寺の大仏が
則天武后の権力時代に留学してた玄昉が
いろいろ当時の中国の仏教関係も
取り入れてきたというのは初めて知った
今カタカナ語で頭に来てるが
外国伝来のものをドンどこ取り入れるってのは
昔からなのだろう
三国一で この三国って中国インド日本 っていうことでの
室町時代の流行語って最近初めて知ったが
美術の世界はインドとの関係も
もっと知りたい
↑は鎌足の子が唐に留学していて持ち帰ったとされる
11面観音
当時玄奘が天竺から持ち帰った影響で
インド風の仏像が唐では流行っていたそうだ
そもそも仏教はインド発祥だもんな
でもインドのことこの頃のことは
あまりわからないな