まっ、毎日と言う事ですか? 毎日変わりは無いと言う事です。
良い事も在るし、やな事も在るし、楽しい事も在るし、苦しい事も在るし。
昨日、一日家に居たので・・・いや、ホンとの大雨で外に出るなんて命の危険さえ感じる程・・・は、大げさだが、傘の一本や二本ではとても太刀打ちできる雨ではなかった。
なによりも嫌なのは雷だよね・・・ゴロゴロ~ピカぁ~って言うのは可愛いもんで、昨日はゴロゴロ無しで突然ビシーンって感じで衝撃を受ける時があった・・・衝撃波だと思うんだよね、おっさんの少ない髪の毛が驚いて逆立っちまったもの・・・あっ、静電気か?。
そんな訳で家に居たんで、PCで遊んでいるのも何だしなぁ~・・・前向き的な事するか?で、部屋の掃除を試みようとしたんだけれども、止めた・・・前向きになれない心境と言うか、なんか億劫になっちまって・・・どーせまた直ぐに散らかるんだし、特別部屋の中で生ゴミが腐っている訳でもないし・・・雨漏りしてキノコが生えている事も無いし・・・許容範囲と言うよりも、落ち着く日常の風景だよな、と、なっちまった。
本棚が欲しいと思う今日この頃・・・しかし、本棚を買い足して行くのには限界があるから、やっぱし、三年で一度も読まなかった本はもう処分して行くべきだと思うが・・・しかしなぁ・・・突然思い立って探すからなぁ~・・・著名な作家の有名なものならまた買えるけれども、物によっては買えないのもあるし・・・本って、捨てられないんだよなぁ。
で、おっさんの古本は売れない・・・恥ずかしくて、と言うより、たぶん、書き込みとか折り込みとか、鼻糞とか付いているんで、汚くて買い取ってもらえない。
近頃では元々が105円の本ばかりなので・・・いや、251円も多いぞ・・・アマゾンで、本代が1円で、送料250円っての・・・良い時代です。
本が105円とか、251円とかって・・・天国だよね。
受け売りなんだけれども・・・日本人が外国語に目ざめない最大の原因は、日本語が殆ど完成されているからだ、と言うのがあって、ほぼ完成された言語で、世界中の主立った著作を翻訳して読んじまうんで、現実的に他の言語が不要だと。
映画でもそうだったもんね・・・字幕でアレ、吹き替えでアレ、ガキの頃から洋画を見るのに困らなかったし。
英語・・・仮に必死で覚えても、使う場所が無いんで忘れちまうし。
おっさんが初めて覚えて使った英語と言うか、言葉は Do not let me down でありました・・・ビートルズの歌からパクって、場末の喫茶店の隅っこで80円の煮しまったコーヒーを啜りながら、意味も無くそれを連発していました。
生涯で一番多く口にした英語のはナニか? そして、耳にした言葉は・・・?
I love you と言って love you too と、聞いた言葉でありましょうか?
いや、おそらく、How much ? で、その後に続いた言葉は until morning? or short? でありましょうか?
どーしてもダメだなぁ・・・ドーしてすぐに茶化してしまうんだろう?
根が下品なんでしようなぁ・・・育ちがなぁ~・・・貧民街のでだからなぁ~。
路地一本向うが朝鮮と言う、恵まれた環境で、仙台空襲で焼け残った、昭和30年までは赤線街だった場所で育っちまったもんなぁ。
不思議にも思わなかったが、友達の一部は朝鮮語で話していたしなぁ~。
大の仲良しのアイツの家に行くと、玄関に◎○一家って名前の入った提灯と三度笠があって、面白い趣味だなぁって思って聞くと、お父ちゃんの趣味なんだって。
で、昨日はどう言う訳か、火宅の人の殆ど終わりの方を読んでいた訳です。
恵子と最後のやり取りを交わす辺りから読みまして、次郎が死んで、連れ込みホテルに居を移し・・・と、落ちて行く感じが好きと言いますか、味わい深いと言いますか・・・まっ、好きなんですね。
で、何度も読んでいる訳ですが、読む度に思う事は違う訳です。
初めて読んだ時には破天荒な作者の感覚にぶっ飛び、恐れ入った奴が居たもんだ、と、作者そのものに驚きました。
二度目、三度目では関わる人達の心の動きなど、とともに、作者の描写力や構成力に魅せられました。
そして、近頃では、ほとんど次の言葉が思い出される程に読んじまって、一雄と一緒に居るような感覚で、小説の中には自分が居て、下手をすると一雄が何処かへ行っちまっている分けです。
ああ・・・気違いじみているけれども、ひっょとしたら、自由ってこうかも知れないなぁ~・・・と、思う訳です。
それは、自由とは、「自」・・・とは、唯一無二、の対比するものの無い存在の、由って立つべき姿・・・ウーン、上手く言えない・・・束縛とか、関係とか、縁とか・・・一切に左右されない生き様・・・我が侭とか勝手とか、狂気とか、そう言うモノの入る余地は無い・・・何故なら、対比するものの無い境地・・・自由なのだから、と、一雄の生き様に魅せらたりする訳です・・・憧れ、ですかねぇ?
アハハ、夏は終わった。さよう、世の有様の、デパート即売式の規格人生は悉くかなぐり捨てた。これが我が生き様。自分の為に祝杯をあげろ・・・と、
で、小説の残りページは少なくなって行くんですが、一雄の生き様は何一つ変わらず、突然、自分が一人である事に驚いたりする訳です。
モテなくなって女っ気が薄くなり、昔を頼ってみても時は戻らず・・・。
しかし、とうとうページが尽きても、一雄は何一つ変わらず一雄な訳で・・・どーしてこんな終わり方を思いつくんだろう? と・・・本心は違うんだろう? と、問い詰めてみたくなるのはおっさんだけでありましょうか?
良い事も在るし、やな事も在るし、楽しい事も在るし、苦しい事も在るし。
昨日、一日家に居たので・・・いや、ホンとの大雨で外に出るなんて命の危険さえ感じる程・・・は、大げさだが、傘の一本や二本ではとても太刀打ちできる雨ではなかった。
なによりも嫌なのは雷だよね・・・ゴロゴロ~ピカぁ~って言うのは可愛いもんで、昨日はゴロゴロ無しで突然ビシーンって感じで衝撃を受ける時があった・・・衝撃波だと思うんだよね、おっさんの少ない髪の毛が驚いて逆立っちまったもの・・・あっ、静電気か?。
そんな訳で家に居たんで、PCで遊んでいるのも何だしなぁ~・・・前向き的な事するか?で、部屋の掃除を試みようとしたんだけれども、止めた・・・前向きになれない心境と言うか、なんか億劫になっちまって・・・どーせまた直ぐに散らかるんだし、特別部屋の中で生ゴミが腐っている訳でもないし・・・雨漏りしてキノコが生えている事も無いし・・・許容範囲と言うよりも、落ち着く日常の風景だよな、と、なっちまった。
本棚が欲しいと思う今日この頃・・・しかし、本棚を買い足して行くのには限界があるから、やっぱし、三年で一度も読まなかった本はもう処分して行くべきだと思うが・・・しかしなぁ・・・突然思い立って探すからなぁ~・・・著名な作家の有名なものならまた買えるけれども、物によっては買えないのもあるし・・・本って、捨てられないんだよなぁ。
で、おっさんの古本は売れない・・・恥ずかしくて、と言うより、たぶん、書き込みとか折り込みとか、鼻糞とか付いているんで、汚くて買い取ってもらえない。
近頃では元々が105円の本ばかりなので・・・いや、251円も多いぞ・・・アマゾンで、本代が1円で、送料250円っての・・・良い時代です。
本が105円とか、251円とかって・・・天国だよね。
受け売りなんだけれども・・・日本人が外国語に目ざめない最大の原因は、日本語が殆ど完成されているからだ、と言うのがあって、ほぼ完成された言語で、世界中の主立った著作を翻訳して読んじまうんで、現実的に他の言語が不要だと。
映画でもそうだったもんね・・・字幕でアレ、吹き替えでアレ、ガキの頃から洋画を見るのに困らなかったし。
英語・・・仮に必死で覚えても、使う場所が無いんで忘れちまうし。
おっさんが初めて覚えて使った英語と言うか、言葉は Do not let me down でありました・・・ビートルズの歌からパクって、場末の喫茶店の隅っこで80円の煮しまったコーヒーを啜りながら、意味も無くそれを連発していました。
生涯で一番多く口にした英語のはナニか? そして、耳にした言葉は・・・?
I love you と言って love you too と、聞いた言葉でありましょうか?
いや、おそらく、How much ? で、その後に続いた言葉は until morning? or short? でありましょうか?
どーしてもダメだなぁ・・・ドーしてすぐに茶化してしまうんだろう?
根が下品なんでしようなぁ・・・育ちがなぁ~・・・貧民街のでだからなぁ~。
路地一本向うが朝鮮と言う、恵まれた環境で、仙台空襲で焼け残った、昭和30年までは赤線街だった場所で育っちまったもんなぁ。
不思議にも思わなかったが、友達の一部は朝鮮語で話していたしなぁ~。
大の仲良しのアイツの家に行くと、玄関に◎○一家って名前の入った提灯と三度笠があって、面白い趣味だなぁって思って聞くと、お父ちゃんの趣味なんだって。
で、昨日はどう言う訳か、火宅の人の殆ど終わりの方を読んでいた訳です。
恵子と最後のやり取りを交わす辺りから読みまして、次郎が死んで、連れ込みホテルに居を移し・・・と、落ちて行く感じが好きと言いますか、味わい深いと言いますか・・・まっ、好きなんですね。
で、何度も読んでいる訳ですが、読む度に思う事は違う訳です。
初めて読んだ時には破天荒な作者の感覚にぶっ飛び、恐れ入った奴が居たもんだ、と、作者そのものに驚きました。
二度目、三度目では関わる人達の心の動きなど、とともに、作者の描写力や構成力に魅せられました。
そして、近頃では、ほとんど次の言葉が思い出される程に読んじまって、一雄と一緒に居るような感覚で、小説の中には自分が居て、下手をすると一雄が何処かへ行っちまっている分けです。
ああ・・・気違いじみているけれども、ひっょとしたら、自由ってこうかも知れないなぁ~・・・と、思う訳です。
それは、自由とは、「自」・・・とは、唯一無二、の対比するものの無い存在の、由って立つべき姿・・・ウーン、上手く言えない・・・束縛とか、関係とか、縁とか・・・一切に左右されない生き様・・・我が侭とか勝手とか、狂気とか、そう言うモノの入る余地は無い・・・何故なら、対比するものの無い境地・・・自由なのだから、と、一雄の生き様に魅せらたりする訳です・・・憧れ、ですかねぇ?
アハハ、夏は終わった。さよう、世の有様の、デパート即売式の規格人生は悉くかなぐり捨てた。これが我が生き様。自分の為に祝杯をあげろ・・・と、
で、小説の残りページは少なくなって行くんですが、一雄の生き様は何一つ変わらず、突然、自分が一人である事に驚いたりする訳です。
モテなくなって女っ気が薄くなり、昔を頼ってみても時は戻らず・・・。
しかし、とうとうページが尽きても、一雄は何一つ変わらず一雄な訳で・・・どーしてこんな終わり方を思いつくんだろう? と・・・本心は違うんだろう? と、問い詰めてみたくなるのはおっさんだけでありましょうか?