呑んでいるときは書いてはいけない・・・と、思いつつ、今夜もまたしょうもない駄法螺を吹く。
たぶん、色んな変な事を書くんだけど、それは嘘ではなくて、妄想か、少しの誇張が有るけれども、たぶん、本人はそれをとても大切に受け止めている事で、時間軸の中で少し歪んで入るかも知れないけれど・・・きっと確かな現実なのです。
だから、読んでも受け流してください。
フィリピンに行っていた時、自分の恵まれた境遇に驚いた・・・いや、日本人としたら平均以下なんだけれども、あの国の奴らにしたら特上の部類・・・いや、フィリピンの特上はおっさんらの考える斜め上を通り越した上に居るんで・・・例えば、自分の敷地内に飛行場が有るとか、自分用の銀行を持っているとか・・・そう言う人です。
しかし、それの反対の、底辺社会は凄まじい・・・生きて行くのがやっと、で、それが適わず死んじまう人も多々居る訳です。
だから、勘違いします・・・貧乏でも明るくて元気、とか。
元気無くて死にそうな人は人目に触れません・・・ましてや、ヒヨッコリ現れた外国人の目には触れません。
病気になると医者に行くんですけど・・・州立病院です・・・診察と応急処置は無料ですが、気休めです。
で、処方箋が出されます・・・それを持って民間の薬局に行き薬を買って病院の処置質に行き、手当てしてもらうんですけど、大抵は薬局で薬を買う金がなく、処方箋を握りしめて帰ります。
州立病院での入院にも金は掛かるんで、明日死にそうでも帰ります。
それでも、一応病院に担ぎ込むのは、居ても立っても居られない気持ちを治めるために・・・皆して少しの金を出し合って、最後の儀式です。
そして、家で亡くなります・・・家と言うのは、ナンであれ、そこに寝ていると言う形だけの家で、スクオッターですから、ベニヤ板と段ボールの囲いの中で・・・そこで息を引き取ります。
金があれば葬儀屋を呼んでドライアイス入りの棺桶にいれ、死に装束をして花を飾り、三日三晩の通夜をやります。
ろうそくの火を絶やさず、一晩中誰かが見守ります・・・が、貧乏人は、隣近所が出し合った金で棺桶を買い、教会でお祈りを上げてもらい、市や街の墓に持って行き埋めちまいます。
金があればか棺桶を積んだ車を先頭に長い行列で墓場まで行き、埋め終わるまで見守ります。
最近では日本のような葬祭会館が流行で、一切を葬儀屋が取り仕切ってくれますが、そんなのは金持ちの行事で、スクオッターは近所の人たちと出かけて自分たちで埋めてきます。
穴を掘って、コンクリートを練って・・・手狭になったセメタリーでは段重ねで何段もの棺桶が積み重なります。
そんな貧乏人の墓を見下ろすのかあざ笑うのか、広い敷地を占めて、エアコンの入る廟が作られていたりもするのがあの国でした。
おっさんは、スクオッターと交わって、自分に何か出来ないか、こんな理不尽な世界が有って良い物か、と憤り、自分に出来る限りの事をしてみようと舞い上がりました。
そして、舞い上がって、飛んでいたのは何処の世界だったのか、それとも、飛んだと思ったのは単なる錯覚だったのか・・・自分が思う事とは全く違った、端的に言えば、持ってる金を狙われては毟り取られる、そんな暮らしにしか成らなかった訳です。
誰一人として、一ミリも浮上させてやる事が出来ない・・・俺ってナニやってんだろう?でありました。
日本人にしても大して財力の有る方でもないのに、中途半端な正義感か? ナニをトチ狂ったのか、助けたい、なんて思ったのでありましたが、どんな貧乏人でも、ひと独りがぶら下がる事の重さは並大抵ではなく、あっという間に息切れし、支援し続けられなくなり、そして、続けられなくなった理由を彼らの方に探し、見事に自分を正当化し、あっさりと手を引きました。
おっさんは、あの地で、ヒーローにでも成りたかったのか? 白馬の騎士として闊歩したかったのか?
ナンなのか、自分でもよく分かりません・・・今でも。
なんて書くと、まじめに何かを考えていた風にもとれるんですけど、その実は、自分のダイビング屋をやる傍らで、気の向いた時に、酔っぱらった勢いで見栄はって偽善を働いていただけなのでありましょう。
それが証拠に、面倒を見ていたはずの娘に不純と言うか、邪な思いを抱き、結局は男と女に成っちまった訳ですから。
セブの領事館には・・・もう五年も行っていないので今は分かりませんけど、フィピン人との結婚の専用窓口と言うのが有って、そこには、おっさん・・・今のおっさんよりも年上の爺様が、孫みたいなフィリピーナを連れて、結婚の手続きに来ているのがよく見られました。
当時、日本人のおっさんやら若い衆も含めて、日比の国際結婚が年間一万組、と言われていまして、そりゃぁ、もう、お盛んでした。
色んなパターンが有って、一番不憫だなぁ~と思って眺めていたのは、爺様が独り身が寂しくてか、業者に頼んでフィリピン人の嫁を貰う姿でありました。
おっさん、現地の言葉がナマジッカわかるんで、ピーナが業者や付いて来た親族と話している事が分かっちまう訳です。
一番酷いと思ったのは、ビーナと一緒に居た、兄と言う若い男が、実は、ピーナの彼氏・・・実際には旦那である、と言うのを聞いたときでありました。
それは、日本の領事館に出す書類のやり取りの中で、バプティスト証明というのが教会から出るんですけど・・・出生証明の代わりですか? それのやり取りの所で、地元の教会に夫婦の届けを出してあるのはバレないのかな?と言う会話が有ったからでありました・・・これは、逆もまた可成りでして、日本人で、日本に嫁が居ても、あっちで形だけ結婚して、と言うのが可能と言う事なんですけど・・・そんな事の法的な意味を問えば、無意味なんですけど。
あの頃、日本側が一方的にフィリピーナのエンターティメントビザの発給を制限しだし、いわゆるジャパ行きがとても難しくなり、日本国内のフィリピンパブが激減して行く頃でもありました。
日本の男どもが国内のフィリピンパブでピーナを見初め、結婚の約束をしてフィリピンに渡り、籍を入れて嫁さんの親族、一族郎党の待つ村で暮らし始め・・・その後は数ヶ月から数年でお決まりのパターンで破綻し、大抵日本人の旦那は着の身着のままで日本に帰るなり、戦いを挑んで討ち死にするなり・・・いや、討ち死にと言っても丸裸になって日本に帰ると言うだけで、結果は一緒です。
おっさんが知っている人で、何組か、ホントーに上手く家庭を築けている人が居ますけれども・・・ホントーに稀です。
稀な成功例に共通するのが、旦那の、並外れた能天気・・・簡単に言うと、日本には適応できないだろうなぁ~と言う人であるなと、おっさんは見ていましたが、勘違いかもしれません・・・おっさん見つけられなかった「愛」を手に入れているのかもしれません。
結局おっさんはナニを言いたいのでしょうか? 思い出話ですか?
いや、環境で出来上がった気持ちと言うか、生活は、ちょっとやそっとじゃ変わらない、変われない、と言いたいのかな?
アレ・・・フィリピンでの暮らしを一つの水たまりだとすると、おっさんは、投げ込まれた石ころで、その時には波紋が起きるけれども、やがては何事も無かった如くまた静かな水面に戻る。
その時、投げ込まれた石ころは、水たまりの底で泥に沈む・・・そんな感じかな?
で、今ナニを考えているのかと言うと・・・あの時、中途半端に金を使って失敗した。
なので、今度、もうすぐ死ぬほど暇になる訳だけれども・・・そん時、奴らの下を行く貧民としてあそこに潜り込んだら、奴らのホスピタリティーに付け入って生きて行けるンじゃ無いか?
ジャガイモと、バナナを植えて、鶏を飼って豚飼って・・・少しまじめに考えよう。
みんな、元気かな・・・秋の試験に英語の辞書が必要だって、メールが来てたけど・・・日本円で一万近いって・・・バーか、嘘こけぇ・・・学校帰りのジョリビーの勘定を盛り過ぎだろ?
足長おじさん・・・只今、必死で、五人ほど・・・って、もうすぐおっさんが無職に成るんで、喰わせてもらいたいんですけど。
たぶん、色んな変な事を書くんだけど、それは嘘ではなくて、妄想か、少しの誇張が有るけれども、たぶん、本人はそれをとても大切に受け止めている事で、時間軸の中で少し歪んで入るかも知れないけれど・・・きっと確かな現実なのです。
だから、読んでも受け流してください。
フィリピンに行っていた時、自分の恵まれた境遇に驚いた・・・いや、日本人としたら平均以下なんだけれども、あの国の奴らにしたら特上の部類・・・いや、フィリピンの特上はおっさんらの考える斜め上を通り越した上に居るんで・・・例えば、自分の敷地内に飛行場が有るとか、自分用の銀行を持っているとか・・・そう言う人です。
しかし、それの反対の、底辺社会は凄まじい・・・生きて行くのがやっと、で、それが適わず死んじまう人も多々居る訳です。
だから、勘違いします・・・貧乏でも明るくて元気、とか。
元気無くて死にそうな人は人目に触れません・・・ましてや、ヒヨッコリ現れた外国人の目には触れません。
病気になると医者に行くんですけど・・・州立病院です・・・診察と応急処置は無料ですが、気休めです。
で、処方箋が出されます・・・それを持って民間の薬局に行き薬を買って病院の処置質に行き、手当てしてもらうんですけど、大抵は薬局で薬を買う金がなく、処方箋を握りしめて帰ります。
州立病院での入院にも金は掛かるんで、明日死にそうでも帰ります。
それでも、一応病院に担ぎ込むのは、居ても立っても居られない気持ちを治めるために・・・皆して少しの金を出し合って、最後の儀式です。
そして、家で亡くなります・・・家と言うのは、ナンであれ、そこに寝ていると言う形だけの家で、スクオッターですから、ベニヤ板と段ボールの囲いの中で・・・そこで息を引き取ります。
金があれば葬儀屋を呼んでドライアイス入りの棺桶にいれ、死に装束をして花を飾り、三日三晩の通夜をやります。
ろうそくの火を絶やさず、一晩中誰かが見守ります・・・が、貧乏人は、隣近所が出し合った金で棺桶を買い、教会でお祈りを上げてもらい、市や街の墓に持って行き埋めちまいます。
金があればか棺桶を積んだ車を先頭に長い行列で墓場まで行き、埋め終わるまで見守ります。
最近では日本のような葬祭会館が流行で、一切を葬儀屋が取り仕切ってくれますが、そんなのは金持ちの行事で、スクオッターは近所の人たちと出かけて自分たちで埋めてきます。
穴を掘って、コンクリートを練って・・・手狭になったセメタリーでは段重ねで何段もの棺桶が積み重なります。
そんな貧乏人の墓を見下ろすのかあざ笑うのか、広い敷地を占めて、エアコンの入る廟が作られていたりもするのがあの国でした。
おっさんは、スクオッターと交わって、自分に何か出来ないか、こんな理不尽な世界が有って良い物か、と憤り、自分に出来る限りの事をしてみようと舞い上がりました。
そして、舞い上がって、飛んでいたのは何処の世界だったのか、それとも、飛んだと思ったのは単なる錯覚だったのか・・・自分が思う事とは全く違った、端的に言えば、持ってる金を狙われては毟り取られる、そんな暮らしにしか成らなかった訳です。
誰一人として、一ミリも浮上させてやる事が出来ない・・・俺ってナニやってんだろう?でありました。
日本人にしても大して財力の有る方でもないのに、中途半端な正義感か? ナニをトチ狂ったのか、助けたい、なんて思ったのでありましたが、どんな貧乏人でも、ひと独りがぶら下がる事の重さは並大抵ではなく、あっという間に息切れし、支援し続けられなくなり、そして、続けられなくなった理由を彼らの方に探し、見事に自分を正当化し、あっさりと手を引きました。
おっさんは、あの地で、ヒーローにでも成りたかったのか? 白馬の騎士として闊歩したかったのか?
ナンなのか、自分でもよく分かりません・・・今でも。
なんて書くと、まじめに何かを考えていた風にもとれるんですけど、その実は、自分のダイビング屋をやる傍らで、気の向いた時に、酔っぱらった勢いで見栄はって偽善を働いていただけなのでありましょう。
それが証拠に、面倒を見ていたはずの娘に不純と言うか、邪な思いを抱き、結局は男と女に成っちまった訳ですから。
セブの領事館には・・・もう五年も行っていないので今は分かりませんけど、フィピン人との結婚の専用窓口と言うのが有って、そこには、おっさん・・・今のおっさんよりも年上の爺様が、孫みたいなフィリピーナを連れて、結婚の手続きに来ているのがよく見られました。
当時、日本人のおっさんやら若い衆も含めて、日比の国際結婚が年間一万組、と言われていまして、そりゃぁ、もう、お盛んでした。
色んなパターンが有って、一番不憫だなぁ~と思って眺めていたのは、爺様が独り身が寂しくてか、業者に頼んでフィリピン人の嫁を貰う姿でありました。
おっさん、現地の言葉がナマジッカわかるんで、ピーナが業者や付いて来た親族と話している事が分かっちまう訳です。
一番酷いと思ったのは、ビーナと一緒に居た、兄と言う若い男が、実は、ピーナの彼氏・・・実際には旦那である、と言うのを聞いたときでありました。
それは、日本の領事館に出す書類のやり取りの中で、バプティスト証明というのが教会から出るんですけど・・・出生証明の代わりですか? それのやり取りの所で、地元の教会に夫婦の届けを出してあるのはバレないのかな?と言う会話が有ったからでありました・・・これは、逆もまた可成りでして、日本人で、日本に嫁が居ても、あっちで形だけ結婚して、と言うのが可能と言う事なんですけど・・・そんな事の法的な意味を問えば、無意味なんですけど。
あの頃、日本側が一方的にフィリピーナのエンターティメントビザの発給を制限しだし、いわゆるジャパ行きがとても難しくなり、日本国内のフィリピンパブが激減して行く頃でもありました。
日本の男どもが国内のフィリピンパブでピーナを見初め、結婚の約束をしてフィリピンに渡り、籍を入れて嫁さんの親族、一族郎党の待つ村で暮らし始め・・・その後は数ヶ月から数年でお決まりのパターンで破綻し、大抵日本人の旦那は着の身着のままで日本に帰るなり、戦いを挑んで討ち死にするなり・・・いや、討ち死にと言っても丸裸になって日本に帰ると言うだけで、結果は一緒です。
おっさんが知っている人で、何組か、ホントーに上手く家庭を築けている人が居ますけれども・・・ホントーに稀です。
稀な成功例に共通するのが、旦那の、並外れた能天気・・・簡単に言うと、日本には適応できないだろうなぁ~と言う人であるなと、おっさんは見ていましたが、勘違いかもしれません・・・おっさん見つけられなかった「愛」を手に入れているのかもしれません。
結局おっさんはナニを言いたいのでしょうか? 思い出話ですか?
いや、環境で出来上がった気持ちと言うか、生活は、ちょっとやそっとじゃ変わらない、変われない、と言いたいのかな?
アレ・・・フィリピンでの暮らしを一つの水たまりだとすると、おっさんは、投げ込まれた石ころで、その時には波紋が起きるけれども、やがては何事も無かった如くまた静かな水面に戻る。
その時、投げ込まれた石ころは、水たまりの底で泥に沈む・・・そんな感じかな?
で、今ナニを考えているのかと言うと・・・あの時、中途半端に金を使って失敗した。
なので、今度、もうすぐ死ぬほど暇になる訳だけれども・・・そん時、奴らの下を行く貧民としてあそこに潜り込んだら、奴らのホスピタリティーに付け入って生きて行けるンじゃ無いか?
ジャガイモと、バナナを植えて、鶏を飼って豚飼って・・・少しまじめに考えよう。
みんな、元気かな・・・秋の試験に英語の辞書が必要だって、メールが来てたけど・・・日本円で一万近いって・・・バーか、嘘こけぇ・・・学校帰りのジョリビーの勘定を盛り過ぎだろ?
足長おじさん・・・只今、必死で、五人ほど・・・って、もうすぐおっさんが無職に成るんで、喰わせてもらいたいんですけど。