じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

今夜も酔っぱらい・・・!!!

2013-07-16 21:03:34 | 日記的雑談
呑んでいるときは書いてはいけない・・・と、思いつつ、今夜もまたしょうもない駄法螺を吹く。

たぶん、色んな変な事を書くんだけど、それは嘘ではなくて、妄想か、少しの誇張が有るけれども、たぶん、本人はそれをとても大切に受け止めている事で、時間軸の中で少し歪んで入るかも知れないけれど・・・きっと確かな現実なのです。

だから、読んでも受け流してください。

フィリピンに行っていた時、自分の恵まれた境遇に驚いた・・・いや、日本人としたら平均以下なんだけれども、あの国の奴らにしたら特上の部類・・・いや、フィリピンの特上はおっさんらの考える斜め上を通り越した上に居るんで・・・例えば、自分の敷地内に飛行場が有るとか、自分用の銀行を持っているとか・・・そう言う人です。

しかし、それの反対の、底辺社会は凄まじい・・・生きて行くのがやっと、で、それが適わず死んじまう人も多々居る訳です。

だから、勘違いします・・・貧乏でも明るくて元気、とか。

元気無くて死にそうな人は人目に触れません・・・ましてや、ヒヨッコリ現れた外国人の目には触れません。

病気になると医者に行くんですけど・・・州立病院です・・・診察と応急処置は無料ですが、気休めです。
で、処方箋が出されます・・・それを持って民間の薬局に行き薬を買って病院の処置質に行き、手当てしてもらうんですけど、大抵は薬局で薬を買う金がなく、処方箋を握りしめて帰ります。

州立病院での入院にも金は掛かるんで、明日死にそうでも帰ります。
それでも、一応病院に担ぎ込むのは、居ても立っても居られない気持ちを治めるために・・・皆して少しの金を出し合って、最後の儀式です。

そして、家で亡くなります・・・家と言うのは、ナンであれ、そこに寝ていると言う形だけの家で、スクオッターですから、ベニヤ板と段ボールの囲いの中で・・・そこで息を引き取ります。

金があれば葬儀屋を呼んでドライアイス入りの棺桶にいれ、死に装束をして花を飾り、三日三晩の通夜をやります。

ろうそくの火を絶やさず、一晩中誰かが見守ります・・・が、貧乏人は、隣近所が出し合った金で棺桶を買い、教会でお祈りを上げてもらい、市や街の墓に持って行き埋めちまいます。

金があればか棺桶を積んだ車を先頭に長い行列で墓場まで行き、埋め終わるまで見守ります。
最近では日本のような葬祭会館が流行で、一切を葬儀屋が取り仕切ってくれますが、そんなのは金持ちの行事で、スクオッターは近所の人たちと出かけて自分たちで埋めてきます。

穴を掘って、コンクリートを練って・・・手狭になったセメタリーでは段重ねで何段もの棺桶が積み重なります。

そんな貧乏人の墓を見下ろすのかあざ笑うのか、広い敷地を占めて、エアコンの入る廟が作られていたりもするのがあの国でした。

おっさんは、スクオッターと交わって、自分に何か出来ないか、こんな理不尽な世界が有って良い物か、と憤り、自分に出来る限りの事をしてみようと舞い上がりました。

そして、舞い上がって、飛んでいたのは何処の世界だったのか、それとも、飛んだと思ったのは単なる錯覚だったのか・・・自分が思う事とは全く違った、端的に言えば、持ってる金を狙われては毟り取られる、そんな暮らしにしか成らなかった訳です。

誰一人として、一ミリも浮上させてやる事が出来ない・・・俺ってナニやってんだろう?でありました。

日本人にしても大して財力の有る方でもないのに、中途半端な正義感か? ナニをトチ狂ったのか、助けたい、なんて思ったのでありましたが、どんな貧乏人でも、ひと独りがぶら下がる事の重さは並大抵ではなく、あっという間に息切れし、支援し続けられなくなり、そして、続けられなくなった理由を彼らの方に探し、見事に自分を正当化し、あっさりと手を引きました。

おっさんは、あの地で、ヒーローにでも成りたかったのか? 白馬の騎士として闊歩したかったのか?
ナンなのか、自分でもよく分かりません・・・今でも。

なんて書くと、まじめに何かを考えていた風にもとれるんですけど、その実は、自分のダイビング屋をやる傍らで、気の向いた時に、酔っぱらった勢いで見栄はって偽善を働いていただけなのでありましょう。

それが証拠に、面倒を見ていたはずの娘に不純と言うか、邪な思いを抱き、結局は男と女に成っちまった訳ですから。

セブの領事館には・・・もう五年も行っていないので今は分かりませんけど、フィピン人との結婚の専用窓口と言うのが有って、そこには、おっさん・・・今のおっさんよりも年上の爺様が、孫みたいなフィリピーナを連れて、結婚の手続きに来ているのがよく見られました。

当時、日本人のおっさんやら若い衆も含めて、日比の国際結婚が年間一万組、と言われていまして、そりゃぁ、もう、お盛んでした。

色んなパターンが有って、一番不憫だなぁ~と思って眺めていたのは、爺様が独り身が寂しくてか、業者に頼んでフィリピン人の嫁を貰う姿でありました。

おっさん、現地の言葉がナマジッカわかるんで、ピーナが業者や付いて来た親族と話している事が分かっちまう訳です。

一番酷いと思ったのは、ビーナと一緒に居た、兄と言う若い男が、実は、ピーナの彼氏・・・実際には旦那である、と言うのを聞いたときでありました。

それは、日本の領事館に出す書類のやり取りの中で、バプティスト証明というのが教会から出るんですけど・・・出生証明の代わりですか? それのやり取りの所で、地元の教会に夫婦の届けを出してあるのはバレないのかな?と言う会話が有ったからでありました・・・これは、逆もまた可成りでして、日本人で、日本に嫁が居ても、あっちで形だけ結婚して、と言うのが可能と言う事なんですけど・・・そんな事の法的な意味を問えば、無意味なんですけど。

あの頃、日本側が一方的にフィリピーナのエンターティメントビザの発給を制限しだし、いわゆるジャパ行きがとても難しくなり、日本国内のフィリピンパブが激減して行く頃でもありました。

日本の男どもが国内のフィリピンパブでピーナを見初め、結婚の約束をしてフィリピンに渡り、籍を入れて嫁さんの親族、一族郎党の待つ村で暮らし始め・・・その後は数ヶ月から数年でお決まりのパターンで破綻し、大抵日本人の旦那は着の身着のままで日本に帰るなり、戦いを挑んで討ち死にするなり・・・いや、討ち死にと言っても丸裸になって日本に帰ると言うだけで、結果は一緒です。

おっさんが知っている人で、何組か、ホントーに上手く家庭を築けている人が居ますけれども・・・ホントーに稀です。

稀な成功例に共通するのが、旦那の、並外れた能天気・・・簡単に言うと、日本には適応できないだろうなぁ~と言う人であるなと、おっさんは見ていましたが、勘違いかもしれません・・・おっさん見つけられなかった「愛」を手に入れているのかもしれません。

結局おっさんはナニを言いたいのでしょうか? 思い出話ですか?

いや、環境で出来上がった気持ちと言うか、生活は、ちょっとやそっとじゃ変わらない、変われない、と言いたいのかな?

アレ・・・フィリピンでの暮らしを一つの水たまりだとすると、おっさんは、投げ込まれた石ころで、その時には波紋が起きるけれども、やがては何事も無かった如くまた静かな水面に戻る。
その時、投げ込まれた石ころは、水たまりの底で泥に沈む・・・そんな感じかな?

で、今ナニを考えているのかと言うと・・・あの時、中途半端に金を使って失敗した。
なので、今度、もうすぐ死ぬほど暇になる訳だけれども・・・そん時、奴らの下を行く貧民としてあそこに潜り込んだら、奴らのホスピタリティーに付け入って生きて行けるンじゃ無いか?

ジャガイモと、バナナを植えて、鶏を飼って豚飼って・・・少しまじめに考えよう。

みんな、元気かな・・・秋の試験に英語の辞書が必要だって、メールが来てたけど・・・日本円で一万近いって・・・バーか、嘘こけぇ・・・学校帰りのジョリビーの勘定を盛り過ぎだろ?

足長おじさん・・・只今、必死で、五人ほど・・・って、もうすぐおっさんが無職に成るんで、喰わせてもらいたいんですけど。



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夏休みが欲しい!!!

2013-07-16 17:18:32 | 日記的雑談
毎日暇していて、仕事も糞も無く、休みたいと言えば、明日からでも一生休んでいられるのに・・・夏休みが欲しい。

夏休みじゃなくちゃ嫌だぁ~・・・暇な毎日、気侭な毎日は夏休みとは違う。

あの、いろんなモノに追いかけられつつ休む快感・・・始業式が迫って来る恐怖。

アレが無い暇な日々は、似て非なるモノなんだ・・・夏休みが欲しい。

切羽詰まって追いかけられて、しかし、それでも間に合わなくて、新学期に向かっての恐怖と言い訳を考える頭脳ゲーム・・・先生との心理戦。

夏休みが欲しいぃ~・・・!!!

指折り数えて残りの日数が減る事に溜息をつく・・・夏休みが欲しい・・・!!!
地獄の暇さ!!!



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ドーだっていいじゃネェか・・・ええっ?

2013-07-16 16:30:08 | 日記的雑談
いや、いろいろ青臭い事を考える訳です・・・暇だから。

そして、ヤクザ映画を見て映画館を出て来た人が、何故か皆一様に肩を揺するように歩き出すと言う・・・人間って、そう言うもんなんです・・・と、言う事で、あの本を読んで受けた影響から、年甲斐も無く、また、柄にも無く、戦争反対について、さっきトイレに座り込んだまま30分程考えてみたんだけれども、結果から申し述べれば、おっさん如きには何も解らないと言いますか・・・ウンコをしていつまでも放っておいたもんですから、乾いちまって、こびり付いちまいました・・・昔の人はこの様な有様を、運の付きとして慶事の兆候と喜んだのでありました。

運の付き・・・は、正しくは運の尽きな訳ですが、汲めども尽きない、垂れても尽きないウンを持つおっさんのウンは尽きる事は無い訳でして、付く事はしょっ中です。

いや、マジで、戦争と言うか、争い事について考えてみた訳だけれども・・・ヤラレタラやり返すのか? ヤラレル前にヤッチマウのか? ヤラレてもヤリ返さないのか?

で、ヤリ返さない場合を考えてみたんだけれども、ヤリ返さない事を文字にしてみようとすると、意外と窮屈な表現しか出て来ない。

ヤラレても我慢する・ヤラレても堪える、で、ヤラレても知らん顔、とかは、命のやり取りには使えなそうな感じで、どうしても平気で受け流す事は出来なくて、我慢になっちまう気がする訳です。

ヤラレても我慢すれば、相手を傷つけなくて済む・・・ンじゃぁ、反撃しない心理に付いてはここを考えれば良いのか? と、思いついたのでありますが如何でしょうか?

自分は痛い思いをしても、相手を傷つけたく無いから応戦はしない・・・これはどういう心理なのか?

コレ、一見相手を慮った心理のようで在って、その実は、自分の気持ち・・・相手を傷つける事でもっと傷つく自分の気持ちを考えた防衛策じゃないかぃ? と、思ったんだけれども、どうなんでしょうか?

この場合、攻撃して来る・・・自分の命を狙って来る相手に、人としての感覚を持つべきなのか?
仮に自分が反撃したとして、それで相手が傷ついたとして、その痛みを考える必要は在るんだろうか?

ナンとなれば、命を狙うなどと言う理不尽な事をしなければこちらからは何もしなかったのだから、仮に敵が死んだとしても、それは、物理的にはこちらからの反撃では在っても、原因は自分が作った・・・攻撃を仕掛けなければ反撃はされなかった・・・ゆえに、死んだ理由は自分にある、と言う事になると思うんだけれども・・・どーだろうか?

戦争の意味とか理由を国家間の難しい問題とか、国家存亡の危機とか、そう言う観点じゃ無くて、一個人として、戦争と言う名の殺し合いの場で、戦争反対を叫んで誰も殺さずに死んで行くのが人の道として正しいのか? 戦争なんだから、殺し合い・・・「合い」とはお互いに、な訳だから、一方的にやられる必要なく、反撃してしかるべきである、と、考えるのか・・・そう言う事を考えているんですけど・・・妙案は、一つしか思いつきません・・・殺し合の場から逃げる!!! コレに尽きると思うんですけれども、しかし・・・細かいことを言えば、国家が戦争に突入する時には、まず、逃げられないように細心の注意と策を練るのは必定であります・・・赤紙一枚、一銭五厘で招集された兵隊も、逃げる事は適わなかったと・・・家の爺ちゃんが言っています。

ところで、縄文時代には大規模な戦の兆候と言いますか、痕跡が無いのだそうであります。
で、農耕民族として、一見穏やかそうな弥生時代・・・弥生人になってからは、戦の痕跡が見られるのだそうであります。

で、生半可な知識を基にですが鑑みれば、縄文人は狩猟民族であったそうで、部族単位で共同で仮をして暮らしていたんだろうと言う事で、移動が可能で、領地「富」を持たなかったんで争いが無かったんじゃないかと。

で、弥生人は、定住して稲作を始めたが為に土地と、それから出来る米の保存が「富」の蓄積を産み、それの奪い合いが戦争と言うか、争いと言うか、まず、大規模な戦いを生んじまったんじゃないかと・・・まっ、これはそんな事は小学生の社会の教科書でも書かれている訳ですが・・・人の戦いの理由は、弥生人の頃から「富」の奪い合いであります。

と、言う事で、おっさんは奪い合う富みを持つ事は否定します・・・なので、見事に貧乏なんですが・・・まっ、戦争は良く無いと知りつつ、ずーーーーっと戦いは止まない訳で、それが人間の性なんですね・・・奪い合い、戦う。

しかし、おっさんは戦争が始まったら・・・逃げる事にだいぶ気持ちが傾いています。

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虚脱感って言うのかな?

2013-07-16 12:32:30 | 日記的雑談
いや、竹林はるか遠くを読んでから、なんだか自分の生き様と言うか、考えてる事や行動・・・まっ、要するに自分の生き様だわね、コレがやたら幼稚と言うか、生温いと言うか・・・真剣に生きるって、凄いなぁ~と、感動の後の虚脱であります。

なんと申しましようか・・・総ては生き延びる事の為に、命を繋ぐ為に必死に生きる。

おっさん、冬山の吹雪の中で一人きり、大雪のラッセルに喘ぎながら、下手すっと死ぬかもなぁ~とか思った事も有りますけれども、しかし、遊びの中での生き死になんて、チャンチャラおかしいわぃ、でありまして、否応無しにその状況に追い込まれ、生き延びるのに必死になる姿を思うと・・・ああ、この平和な世の中に在って、明日の我が身などと憂いているのは笑止千万、としか思えなくなっちまいました。

過酷だなぁ・・・凄まじいです・・・おさんらの親の世代は、大なり小なりこんな世の中をかいくぐって行き伸びて来たんですね。

たぶん、川島擁子のような体験の人は沢山居たのでしょう。

我が家の婆様も朝鮮の引揚者で似たような年齢で、殆ど同じ次期に日本に引き上げて来ているのですから大なり小なり在る程度の体験をしているはずなんですが、多くは語りません。

人間って、馬鹿なんだろうなぁ~・・・何度でも戦争をして、何度でも痛い目を見て、あるいは痛めつけて。

数え切れない多くの人が亡くなっているのに、未だやるんでしようね。

おっさんは、この本を読んで動揺していると言うか、戸惑っちまったと言うか・・・戦争になったら、生き延びられるだけ最大限の術は講じるけれども、やっぱし、人を殺すのは嫌だし、痛めつけるのは嫌だから・・・やられてもやり返さないで行こうかな、と、思った見たりする訳です。

第六章 淑世の章 (二)では、淑世が朝鮮人に息絶え絶えの所を助けられ、手厚く介護された様が出ているんですが、コレを読んだら朝鮮人を罵倒する気には慣れません。
いろんな朝鮮人が居る・・・日本人にもいろんな日本人が居る、で、良いんじゃないか?
と、思っちまう訳です。

気高く生きるって・・・日本人の心を失わずに生きるって・・・誇りを持って生きるって、こう言う事なんだな、と、つくづく思います。

やっぱし、戦争が始まったとしても・・・おっさんは戦わない事にします。

竹林はるか遠くの川島家の家族のように強い気持ちで生きられるかどうかは解らないけれども、それでも、やっぱし、後ろめたく生きるよりは、気高く死んだ方が良いような・・・ナンちゃって、そん時は、気が狂って泡噴くんでしょうけど。

まっ、明日までこの殊勝な気持ちが持続するとは思えませんけど・・・しかし、平和な日本でノホホンとしていられる現状には、心より感謝であります。
戦争反対!!!


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竹林はるか遠く、を読んだ

2013-07-16 11:28:10 | 日記的雑談
日本人少女の戦争体験記 「竹林はるか遠く」を読んだ。

読み進むと涙が流れた。

ある章では嗚咽が止まらなくなった。

随分色々なサバイバルや、生き残りの物語を読んだが、これほど心に刺さった話しは他には無い。

脚色の少ない、的確な描写の文章が心に染みた。

読んでみて下さい・・・泣かずに読めたらたぶん貴方は「鬼」です。


俺の人生・・・生温いわ。

朝鮮罵倒・・・止めようかな?  

目指せ!! 地球人、か?

いや、死ぬまで毅然と 日本人 だな!!!

コメント (2)
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