じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ディンボチェ~ロブチェ

2014-12-07 15:41:09 | ネパール旅日記 2014
 11月11日 火曜日 ディンボチェからロブチェまで10キロを行く。

7時40分ディンボチェを出発。

朝になって「お湯代」を500RP徴収されたのだが、私が貰ったお湯は500ccのポットに2本で1ℓで、宿の1.5ℓ入る中型魔法瓶の250RPより相当割高になっている。
しかし、これに文句を言ってもどうにも成らない事を知っているので黙って支払った。
そうなのだ・・・事前に確認しなかった自分が悪いのだ。
日本人とネパール人は物事の考え方が根底から違うのだと自分に言い聞かせて事を進めないと何をやっても腹が立つばかりなのだ。
我慢では無く、違いを認め納得しないと楽しく無くなってしまうのだ。


緑が見られる最後の風景

緩い登りが続き、灌木の緑が見られる道を行く。
標高4500m程の開けた谷間は陽当たりが良く暖かい。
夏場はヤクの放牧場になるようでヤクカルカが見られた。
ヤクカルカとは、石垣で牧草地を囲い夏場にヤクを放牧する所であるが、地名としても使われ、地図上にもヤクカルカは彼方此方にあった。


陽射しを受けて半袖でもと思うが 川は凍っている

ラムさんがヤクカルカには必ず近くに水場が有るから知らないルートを歩いて水場を探す時にはヤクカルカを探すのだと教えてくれた。


夏になると石積みの小屋に泊まり込んでヤクの世話をする

峠の頂でもないのにタルチョが旗めきゲートのようになった所を通過すると丘の上に沢山のケルンや石塔が見られた。
エベレスト登山で犠牲になったシェルパやポーターのの慰霊碑だった。
今年も5月のルート工作の時に7~8名のシェルパが犠牲になっている。


何の為のタルチョか知らずに記念撮影をしたが

沢山の石塔を左手に見ながら少し行くと立派な白い石碑が立っていた。
エベレストで命を落としたのか、日本人の名が刻まれた慰霊碑だった。


行く先には雪と氷で白い峰が壁のように列ぶ

行程表には4時間半と有り、地図で見ても気になる登りも無いのだが、歩いてみるとそこそこ厳しい道だった。

乾き切った土は粉砂糖よりも細かな粒子で人が歩いても土埃が舞い上がる。
正面から風が吹いて来るとそれは余計に酷くなり後の人は土埃を吸い込み難儀する。
ラムさんが休憩しますと言う時にも、休むと立つのが嫌になるからと言って自分は歩き続けた。
休みたく無い訳では無かったが土埃を避ける為にも一人で歩きたかった。
しかしラムさんの足は速くてそれ程の間を置かずに追いつかれるのだったが。

11時頃に宿に着いた。
殆ど一番乗りなのだが独りなのであまり良い部屋は貰えなかった。

ヒマラヤの宿のシステムは少し特殊で、宿泊代はとても安い。
安い宿は200RP程度で、高くても300RP程だった。
宿は宿泊した人の食事や水などの代金で潤う事になっている。
そしてもう一つの特徴は、ガイドやポーターは宿泊も食事も無料なのだ。
そのシステムで行くと沢山の客を引き連れたガイドが上客で、一人のお客でガイドとポーターがついている客は利益が薄い事になる。
私の僻み目かも知れないが、このシステムのせいで宿に一番乗りしても良い部屋は貰えていないと思うのだ。
客が少なく宿に余裕がある時ならば部屋も選べたと思うのだが、遅く来た人はダイニングで寝ている事を考えるとラムさんは精一杯頑張っているとも思えるが。

昼食を食べ一休みしているとラムさんが散歩に行こうと誘いに来た。
すぐ近くにとても眺めの良い丘が有るから登ろうと言うのだったが、自分としては、どうせ山しか見えないのだから沢山だと思ったが断われずに出掛ける事にした。
近くの丘だからスリッパで良いかと言うと登山靴を履いて手袋と水も持った方が良いと言う。
うひゃぁ~、またラムさんの高度純化のプログラムかと覚悟した。

行った先は完全な岩山で2級から場所に因っては短いが3級程度もあり楽しかった。(3級は万が一の為にロープで確保したくなる程度の岩場)
しかし、標高差200m程度を登るのに息が切れるのは5000mの高地だからなのだろう。

疲れからか、また食欲が無くなった。

夕暮れ時、寝袋に潜って日記を書いていたら窓から西日が入って山が燃えているのがわかった。
今カメラを持って少し高い所に登れば相当良い写真が撮れるだろうと思ったが出て行く気にはならなかった。
言い訳は、ろくなカメラを持っていないから、だった。

トレッカーの中には重い一眼レフに大口径の望遠レンズを付けたカメラを持ち、ザックにはしっかりした三脚もくくり付けられている。
プロ並の器材を持って何を撮るつもりなのだろうか?と興味が湧くがヒマラヤで山を撮ったのでは話しに成らないだろうと思うが、先日のナムチェの子供の例もあるし・・・ヒマラヤの写真も煮詰まっている感じがするな、などと思ってみる。

夕食の時間にダイニングに行くと本当に座る席が一つも無い超満員だった。
ラムさん他のガイドが隅の方に固まっていて席を一つ空けてくれた。
昨夜同じ宿にいたガイドが自分の隣の部屋の男性がディンボチェからヘリでルクラに戻った事を教えてくれた。
隣はご夫婦だったのだが一晩中男性の空咳が聞こえていて拙いなと思っていたのだが、やはり高山病が悪化したようだ。

この夜、ラムさん達ガイドはダイニングに寝る事になっていたが、他にトレッカーが4~5人寝るのだとか。

 17時30分 就寝・・・軽い頭痛があるが他に症状は無い

 11月11日 酸素濃度 データー

 ロブチェ (4910m)82% 心拍数102 (PM2:30 休憩後)
 
 



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何処を見ても山しか無い!!!

2014-12-07 09:22:10 | ネパール旅日記 2014

 11月10日 ディンボチェにて (日記より抜粋)

 5100mの裏山への登山はきつかった。
高度順応の鉄則から行けばゆっくり登るべしなのだが、性分からか、全力で登った。
久し振りに巨人の星を唄う所まで追い込まれたが足は止まらず・・・ここに来て絶好調か?


Tobochekの前衛峰 名の有る山より魅力的だ

5100に登りディンボチェの宿に降りて来たら全身に酸素が行き渡る感覚で呼吸が楽になった。
高度順応は完璧かも知れない。
何よりも食欲が出た・・・晩飯は肉が喰いたくてヤクステーキを喰った。

 歯磨きの作戦。
練り歯磨きの類いは口を濯ぐのに水を必要とするので今回はモンダミンを100mlで3本持って来た。
昨年のアンナプルナで歯磨きを疎かにし、帰国後大変な目に遭ったので今回は「ヒマラヤでもしっかり歯磨き」を励行する工夫をした。
100均で買った歯ブラシケースに入れた歯ブラシと20mlの小瓶のモンダミンを常時ウエストバックに入れて持ち歩き、食後時間があれば歯ブラシを使い、ダメな時でも口を濯ぐ事にした。
水を1滴も必要としないこの方法はヒマラヤに限らず泊まりの山行では使える手であると思う。


ボディーシートは必需品!!!

 顔は一度も洗わなかった。
「壮快ボディーシート大判」を一日に一枚使い顔と手足を拭くのみだったが氷水で洗顔や身体拭きは現実的に不可能な高度ではこの方法しか無いと思う。

 ふりかけは疑問符付
ヒマラヤの食事の味は標高に反比例して下がり、総ての物価は標高に比例して上がる。
宿の食事は一般的に標高が上がると味が落ち、値段は上がる。
総ての食料と燃料が下から担いで運ばれて来るので値段の事は仕方が無いと思う反面、ポーターの運賃からすると乗せ過ぎじゃないか?と思う事も多々有るが。

米の飯は標高に比例して味の落ちが顕著で、不味いご飯をふりかけで誤摩化して食べられる人は現地のおかずでもたぶん食べられる。
地元民が使う簡易的な圧力鍋を使っている宿の飯は不味く、ここは美味いと思う宿では高級な圧力鍋を使用している・・・と,思う。


アレ、登れそうだよねとラムさんに言うと否定はしないが

 何処を見ても山 それがヒマラヤ
カトマンズから飛行機でたった30分でルクラに着く。
ルクラからは6000mの雪を被った山が見えヒマラヤが始まる。
トレッカーが一番感激するのはここじゃないかと思う。
イントロはカトマンズからの飛行機の窓から見えるヒマラヤの峰々だろうか?
そして、トレッキングの始まりの頃、まだ遠くに見える山のどれを見ても感激し、ワクワクしながら歩く。
しかし、行程が進み日替わりで有名な山々に接するようになると感動の質が変化する。
著名な8000m峰を見て喜ぶのは最初だけで、それらの山は必ずしも美しいとも限らず、それよりも一般には興味も持たれない無名の6000m峰が断然美しい事が多いのだ。
自分の居る標高が上ると6000m峰は目線と同じ高さになって迫力的には薄くなる。
そんな時でも8000m峰ははるか上に聳え立ち威容を誇るのは流石の迫力で有る。
しかし、間近に見える6000m峰は簡単に登れそうかと言うとそんな事は無く、何処から登れるだろうかと探ってみても殆ど自分には手が出ないと思う山ばかりだ。
ラムさんに、あの山はどうやって登るのと尋ねても、ルートは無いからエスクペディションでキャラバン組んでルート探して行くしか無いね、と言う。
今ネパールでは100座以上の6000m峰が新たに登攀解禁になり、その中には多くの未踏峰が含まれているが、本物のエクスペディションは料金が高くて自分等には手が出せない。

ラムさんが10月に日本人のお客に請われて6400mの未踏峰に挑んだそうだ。
クライマー1名にガイドとキッチンテントのコックとボーイ、ポーターで総勢9名のキャラバンになったそうだ。
期間は1ヶ月で費用は12000ドル。
残念ながら大雪に見舞われ時間切れで初登頂はならず、だったそうだが。

時々、宿に着いた午後の空き時間に無名のピークを見ていて、あの山に向かって行ったらたぶん死ぬだろうなぁ、と、思いつつ、そう言う生き方も悪く無いな、と思ったりする。
しかし、それって生き方じゃ無くて死に方だよな、と、気が付いて一人で笑っていたりする。



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