じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

パクディン~ナムチェバザール

2014-12-02 14:14:51 | ネパール旅日記 2014

11月6日 水曜日 トレッキング2日目 パクディン~ナムチェバザールへ

昨夜の強い雨を他所に、起きてみれば本日も快晴であった。
五時前には目が覚めていたのだがベニヤ一枚で仕切られた隣に遠慮をして寝袋の中でごろごろしていた。
お隣は、ボンジュールのお嬢様が二人、未だ起きる気配は無く静かだった。

パクディンの村の標高は2610mで、目指すナムチェバザールが3440mと、地図上の単純な引き算では標高差は830mと左程でもない。
しかし、エベレスト街道は曲者なのだ。
標高差にして100m前後の地図には現れ難い高低差でアップ・ダウンを繰り返すのだ。
ちなみに、手持ちの地図の等高線は80m間隔との事で中々ワイルドに大雑把であった。

余談だが、フランス人が香水好きと言うのは真実だと思った。
この様な山奥のロッジに居ても、老若男女何れの方も某かの匂いを漂わせているのだ。
この団体に囲まれてから、山に入ったら殆ど顔も洗わずヒゲは伸ばし放題の私の片身は一気に狭くなってしまった。

  8時00 パクディン出発


振り返って パクディンの村を見る

パクディンは川沿いの谷間のせいか標高の割には寒かった。
しかし、未だ水は凍っていず、寒いと感じたのは身体が慣れていないからかも知れない。


大きなチェックポイント 行き帰りチェックがある

昨年歩いたアンナプルナでも人は多いと思ったがエベレスト街道の人の多さはそんな物では無かった。
ラムさん曰く、10月のトロン・ラの遭難事故の影響で峠が閉鎖されているので特に集中しているのだろうとの事だった。
ラムさんどころか宿の人達でさえ今年の11月の混み様は初めての事だと語っていた。


ジョルサリで食べた「ダルバート」総て野菜と豆の食事

ラムさんは、ナムチェバザールまでのトレッキングと、仮にその先まで行ってもパンボチェのお寺までのトレッカーが多いのでそこから人は減るだろうと言った。
しかし、そう言いつつ、その先は人も減るが宿の数も減るので混んでいる感覚は変わらないかも知れないとも言った。
その推測は的確で、この先の宿の部屋取り合戦は結構熾烈なものとなるのだった。


二重の吊り橋は 上り下りで別けているのでは無い

ヒマラヤで谷を渡る橋は総て吊り橋で例外は見た事が無い。
小さな沢やかなり上流の川になると固定の橋も見られるが谷を渡る橋は相当な高度に吊られた吊り橋である。
吊り橋は新しい橋程高いところに吊られている気がした。
旧い吊り橋は川のそばまで降りてまた登り返しているものが多いが、新しい吊り橋は谷の向うとこちら側をほぼ同じ高さで繋いでいて効率が良い。

吊り橋を牛も馬も人も渡るのだが優先順位第1位は牛では無いかと思う。
標高4000mを境にそれより下なら暑さに強いゾッキョで、上ならば寒さに強いヤクが荷役をしていて、それらが委細構わずに渡って来るのだ。
最悪の場合は橋の上ですれ違う事になるのだが目つきの良く無い牛に出会すと肝が冷える。


ラムさんの秘密のビューポイントからエベレストを望む

少しドキッとした吊り橋を越して暫く行くとラムさんが道を外れて登って行った。
後に着いて行き彼が指差す方向を見ると、何処かに見覚えのある山があった。
おお、あれは、あれこそはエベレストではないかと少し感激した。
しかし、感激したのも束の間、自分の中で何かが違う、あれじゃ無いと言う声が上がった。
流石に世界最高峰のエベレストで、前衛の山々が立ちはだかるにも拘らず、ずいっと頭を出しているのは見事なのだが、如何せんまだまだ遠くにあるその姿は小さく、迫力に欠けるのだ。
ラムさんの好意ではあったが、私は見たく無いエベレストを見てしまった気がしてしまった。
私の憧れるエベレストはあんなに小さくは無いのだ。
私の知っているエベレストは圧倒的迫力で聳え立ち、そして登れるのでは無いかと微かに思う私の心を一蹴するはずなのだ。

エベレストもあの姿は見られたく無いだろうと思う私は、あれは見なかった事にして忘れた。

13時45分 ナムチェ着


ナムチェの街 大きな建物は殆ど全部ロッジ


ナムチェの街の入り口の洗濯場と 井戸端会議

ナムチェまでは意外ときつかった。
パクディンから昼食を食べたジョルサリまでは多少の登り返しはあっても殆ど平行移動であった。
しかし、ジョルサリからナムチェまでは地図読みの標高差で凡そ800mを登った。
日本の山のような樹林帯の歩き易い道なのだが、思いの外息が上がったのは標高が3000mを超えたからだった。

ナムチェの宿も混んでいて一人で泊まる私には特別室が宛てがわれた。
その部屋は普段は布団部屋かと思しき部屋で窓は無く、何故か明り取りの天窓が開いていた。

夕食時、ダイニングに行ってみるとほぼ満員で、一つだけ空いていたテーブルを一人で占領する訳にも行かず二人のスイス人の脇に相席させてもらった。

疲れからか、標高のせいか、私は食欲が落ちていた。
フライドライスを注文してあったが食が進まず、早くも緊急用の食料の「ふりかけ」に手を出していた。
そして、マルコメの生味噌タイプの味噌汁の力も借り、なんとか夕食を食べ切れた。


コング デ に日が沈んで一気に寒くなる

この宿では携帯のチャージが300ルピー、Wi-Hiの接続が1日500ルピーとの事だった。
日本円に換算するには1.2倍掛けるのだが、私は面倒なので筒かで計算していた。
ラムさんはロッジのオーナーと懇意でスマホを無料で繋いでいたが相当重い様子ですいすいとは使えていなかった。

私はカトマンズでデーター通信用のシムを買い電波さえ届けばネットに繋げられるようにして来たつもりだったが、カトマンズではサクサク動いたデーター通信がルクラから先では繋がらなくなった。
アンテナ棒は3本しっかり立っているのだが通信は出来なかった。
恐らく、負荷の掛かる通信は閉め出される仕組みになっているのだと思う。
1ヶ月間使い切りの500MBのシムを買ったのだが、使い切る前に日本に戻りそうな気配だった。

7時30分 周りは煩いが取り敢えず寝袋に入る。

11月6日 血中酸素濃度データー
パクディン (2600m)89% 心拍数69 (寝起き AM5:00)
ナムチェ (3400m) 84% 心拍数94 (到着後 PM2:00)


つづく





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カトマンズからルクラへ

2014-12-02 10:10:17 | ネパール旅日記 2014

2014年 11月5日 火曜日 カトマンズからルクラへ TARA Air

いよいよ本日からトレッキング、歩行開始である。

昨日夕方、酔っぱらって部屋で寝ているとツアー会社の人が迎えに来て、ホテルの近くのオフィスに案内された。
そこでクライミング諸経費の支払いをし、ガイドのラムさんを紹介された。

ツアー会社のオーナーとラムさんは日本語が堪能だった。
オーナーの奥さんは日本人で、日本への短期留学の経験もあった。
ガイドのラムさんは剣岳の早月小屋でアルバイトをした経験が有り、都合五回も来日していた。

私は二人の上手な日本語に少し期待した。
しかし蓋を開けてみれば、トレッキングとクライミング中に相当重大な行き違いが生じた。
それも、昨年の経験からある程度予想していた事の上を行く事態の勃発があった。

昨年はとても怪しい英語を話すガイドのドルジに翻弄されたが、今年は、流暢な日本語を話す二人二を相手にして、結果は似たようなものだった。
ネパール人とのすれ違いや行き違いは言葉の問題では無く、根本的な感覚の違いだと思うので壁は超えられない、不可能だと諦めた。

ラムさんが私の部屋に来てクライミング用具の確認をし、足りない物があればレンタルすると言った。
しかし、昨年の経験から最小限度にまとめられた私のクライミング用具に隙は無く、足りない物も余計な物も無かった。
そして、行動食などの食料を全部見せてくれと言うので持っていたフリーズドライや個人的な非常食を全部見せた。
これが後々お互いの中で大きな食い違いを生む事になったのだと、今は推測するが、その時は知る由もなく言われたままにしていた。


ラムさんは7時半に迎えに来ると言っていたので7時に開くらしいレストランに6時45分に行き無理矢理トーストと目玉焼きとコーヒーの朝食を注文した。
ラムさんは7時15分に現れ、もう一度トイレ、と言う私を置いて荷物を持ってタクシーで待っていた。

空港までの道は予想に反して空いていて8時に空港に着いた。
ラムさんの後に着いてドメスティックの空港内に入るともの凄い人でごった返していた。
殆どの国の空港で私は、大概瞬時に搭乗手続きの流れが読めるのだったが、カトマンズのドメスティック空港のそれは解らなかった。


チェックインが進んで少し空いたカウンター周り

自分が乗る航空会社のカウンターでチェックインするのだろうと言うのは判っても、カウンター前にも何処にもフライトスケージュールも便名の案内も無いのだ。
そして、幾つかのカウンターには係の人さえ見えず、トレッキングの荷物らしき物だけが山のように積まれていたりするのだった。

これは・・・ガイドが居なかったらナニがナンだか解らないなと思った。

空いている椅子を見つけるとここで待っていろと言われたが、それから1時間程もラムさんは戻って来なくて、そろそろフライトの時刻なのに状況が解らなかった。

9時半近くになりラムさんがやって来て、さあ急ぎましょうと急かした。
日本語が話せるのではあるが、説明はあまり得意では無いのか、状況説明と言うのは殆ど無い。
意思の疎通は言葉の内容では無く、態度と気持ちが肝心なんだがなぁ、と、思うのだったが、これがネパール感覚と言う事かと呑込んだ。


荷物は一人15キロまで 10キロ超過で1000円

ルクラ行きの飛行機は双発だが14人乗りの小さな飛行機だった。
標高2800mの高地にあるルクラには平地が無く、山の斜面を切り開いて作った空港ではこれが精一杯だったのだ。
しかも、山の天気は変わり易く、午後の便は大概欠航し、慢性的にキャンセル待ちが溢れ、チケットの予定通りに飛べる事は希らしい。
だからツアー会社からの案内にも、ルクラでの飛行機待ちに備え、最低3日は予備費を設けて来いと書かれていた。

私たちのフライトは9時の予定だったが搭乗券を貰い乗れる事が確定したのは10時を過ぎていた。
私はラムさんの後に着いてカウンター周りで荷物の番をしていたので段取りが良く判らなかったが、どれだけ時間がずれても当日の予約番号順に処理されているらしく、自分の搭乗時刻が過ぎているからとカウンターに押し掛けて談判しても意味は無いのかと思った。
カウンター前がごった返すのは何の説明もアナウンスも無く時間だけが過ぎ、一向に乗れる気配のない事に焦りを感じるツーリストが殺到するからでは無いかと思った。


ラムさんが一番前の左側を取れとアドバイス


右側はのどかな丘陵風景で左にヒマラヤの山並みが見える

30分程飛んでルクラには11時に着いた。
飛行機は飛べる時にはフル回転でカトマンズとルクラを往復するらしく、乗客と荷物が下ろされると直ぐにカトマンズ行きの乗客を乗せて飛び立って行く。


航空母艦のカタパルトのようだと称される滑走路

荷物を受け取り空港そばのロッジに入り昼食をとりつつポーターの到着を待った。
ポーターはラムさんと同じ村の人で、ルクラから歩いて3日程のところから来るとの事だった。


エベレスト街道の玄関口 ルクラ

ラムさんの荷物がやけに小さいと思ったら着替え以外の物はここのロッジに預けてあり、大きなザックにパッキングをしていた。
私は食事の後、出発まで未だ間があると言うのでルクラの街を散策に出た。
すると、なんとなく日本人っぽい女性に「日本人ですか?」と声を掛けられた。
いや、観光客やトレッカー的な服装なでは無く、どことなくチベット風の匂いの漂う衣装だったので驚いたのだった。
彼女はルクラのネパール人男性の処へ嫁いで土産物屋をやっているのだと言い、これから先のトレッキングの様子などを教えてくれた。

うむ、流石に一部の日本人女性に隠れた人気を持つネパールのエベレスト街道であるなと、驚きつつも納得した。

ポーターのカンニさんが到着し、荷物はトレッキングスタイルにパッキングされ、午後1時丁度に出発した。
本日の宿は標高2600mのパクディンと言う集落で、行程表に因れば歩行時間は3時間とあった。
しかし、地図の具合と標高差から見て下り基調の楽な道であると私は読んだが・・・。


ヒマラヤ名物「マニ」は左側を、オーマニペネホンと唱えて通る

昨年歩いたアンナプルナサーキットはジープロードが開かれ時折車やバイクが走って凄まじい土埃に辟易した。
しかし、エベレスト街道の道はタイヤのある物は走って来られない。
そして、ヒマラヤと言えども陽当たりさえ良ければ標高4000mより下は緑が多く日本の高山よりも優しい風景である。
だが、乾き切った土の道は、ゾッキョ(牛)や馬や人が歩いただけで相当な土埃が上がり、エンジン音の煩さは無いものの、時折マスク無しでは歩けない事に変わりはなかった。


吊り橋をゾッキョが渡り切るまで人は休憩

13時10分、パクディン着。

下り基調の楽な道と読んだのは強ち間違いでは無かったが小刻みなアップダウンが繰り返され息は上がった。
しかし、初日で興奮していたのか、標高の事も省みず日本の山と同じか、それ以上のペースで歩いてしまった。
登りに向かってはゆっくり行く事が肝心だった。
ゆっくりと標高を上げるのが高山病対策と高度順応に適した歩き方だと言う。

昨年の伝手は踏むまいぞ、と堅く心に決めていた。
高度順応をきっちりと果たし、万全の状態で登る6000mを味わいたいと願ってヒマラヤに来た。
そうで無いと自分の力で登った山と言えなくなってしまうのだ。
ガイドに登らせてもらった山は自分の山では無い。
そして、今度の山で自分の能力の本当のところを確認し、この後を決めたいと思っていた。

 追記

夕食時、宿のダイニングの様子に驚いた。
恐らく、自分以外の客は総てフランス人なのだ。
トイレで顔を合わせたら「ボンジュール」であった。
金髪娘とヒマラヤの山小屋のトイレの前でボンジュール!!!
私はとっさに「ナマステー」と返したが、できればもう少し雰囲気の良いところでご挨拶申し上げたかった。

深夜に強い雨音で目が覚める。

7時30分就寝
11月5日 血中酸素濃度データー
カトマンズ (1400m)98% 心拍56 (寝起き時)
パクディン (2600m)91% 心拍100 (一休みして2時頃)


つづく



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