じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ディボチェ~ディンボチェへ

2014-12-05 12:25:00 | ネパール旅日記 2014
11月9日 日曜日 ディボチェからディンボチェへ

ディボチェは寒かった。
体調が悪いのか、未だ寒さに慣れていないのか、とにかく寒かった。
日中のトレッキング時の服装に加え、股引を履き極厚のダウンジャケットを着て、毛糸の帽子を被って寝た。
潜って寝るダウンの寝袋はメーカーの宣伝文句では氷点下20度は楽にこなすと言う、厳冬期用寝袋だった。
これ以上の防寒着は持っていないところまで着込んで寝て暑くも無かったと言う事は、この先標高が上がりもっと冷え込んだ時には打つ手が無いと言う事になる。
高山病の初期症状に「冷え」は無かったと思うんだがなぁ~などと思いつつ、食が細くなっているので燃料不足か?とも考えられた。

7時にダイニングに行くと既に殆ど席が埋まっていた。
私はカチカチのトーストに、寒くて固まった蜂蜜を乗せて食べた。
蜂蜜の塊を噛んで食べるのは美味くも無く違和感も有ったが、これがエネルギーの元と言い聞かせて飲み込んだ。
熱いはずのブラックティーはあっという間に冷めてしまう。
ゆで卵は自分の最後の砦でこれならいつでも食べられるとあてにしていたのだが、今朝は一個しか食べられなかった。
卵と塩をティッシュに包んでポケットに入れた。
何処かで腹が減ったら食べようと思ったのだが、結局食べずじまいでディンボチェで捨てた。


陽が当たらなくて寒い谷にイムジェ・コーラの風が吹く

7時45分、ボチボチ行きますか?と日本語で言うラムさんに促され重い足を運んだ。
3820mのディボチェから4410mのディンボチェまで、イムジェ・コーラの川沿いの道を10キロ程行く予定だった。
標高差600mを10キロで行くのは緩い。
地図で読む限りは緩い道なのだが、しかし、実際に歩いてみると緩い道と言うのは無くて毎日がきつかった。
家を出てから7日、歩き始めて5日目、高度が上がった事も理由かも知れないがそろそろ地力的に疲れの出る頃でもあった。


峠にはチョルテンが建ちタルチョが旗めいている

昨日までは前を行くトレッカーを目標に、彼らを何処で追いつき追い越すか、などと遊びながら歩いていたのだが今日はそんな余裕は少しも無かった。
ラムさんが私の不調を感じたのか、ビスターリ・ビスターリ、ボチボチ行きましょうと声を掛け、こまめに足を止めてくれた。


アマダブラムの姿が変わったと言って休憩するラムさん

エベレスト街道のトレッキングは自分でパーミットを取得してガイド無しでも廻れる。
そして、今年の9月からは6000m以下のトレッキングピークの幾つかは登山のパーミットを必要とし無くなりガイド無しで登れるようになった。
それの代表が5550mのチュクンリで、早速ベースになるチュクンの宿は賑わっていた。

6000m以上、6500m以下のピークはネパール山岳協会への申請でパーミットが貰え、費用も安く登る事が出来るが、それでも公認のガイドと一緒でなければ登れない事になっている。
自力で全装備を背負い名目だけガイドを雇い登る事は可能だが、技術的な事はさて置き、相当なボッカの力が無いと身体が持たないだろうと思う。
私も昨年ピサンピークで酷い目に遭うまでは「自力登山」に結構こだわっていて、自前で装備を背負い登りたいと思っていたが今はそんな事は微塵も思っていない。
昨年の経験から、この歳になると万が一の時に余力が無さ過ぎる事を自覚した。
ポーターに荷物を背負ってもらい、ガイドに導かれて登る大名登山は本来の自分の流儀には反するが、己の自己満足だけの登山なら、取り敢えず自分の足で登りましたと言う事実で「登頂」と言って良いと思うようになった。


アマダブラムが違った角度で迫るディンボチェの宿

11時45分頃、休み休み歩いたと思っていたのだが予定よりも早くディンボチェの宿に着いた。

広い谷に開けた陽当たりの良い宿は庭にいても暖かく、気持ちが緩んだ。
この陽射しを見逃す手は無いと思い昼飯の前に洗濯をし、序でに頭を洗い上半身裸になって身体も拭いた。
それを見たラムさんとカンニさんも洗濯物をしつつ身体を洗い、皆して石垣にパンツや靴下の万国旗を並べた。
すると今度は庭で日向ぼっこをしていた白人のおばさんが、我もやらねばと言う感じで参加し、大量の洗濯を始めた。

洗濯が終わるのを見計らったかのようにして頼んでおいた「トマトソーススパゲッティー」が中庭のテーブルに運ばれて来た。
これは新鮮なトマトを潰してソースと言うかスープのようにしてあるもので酸味が有って美味かった。
ポットで貰ったレモンティーを飲みながらアマダブラムを眺め日向ぼっこをして寛いだ。


宿の隅の石壁にはヤクの糞を投げつけて乾かしていた

陽当たり、眺め、開放感と、久し振りにのんびり出来そうな宿だった。
そして宛てがわれた部屋も東西両面に窓が有り、陽当たり抜群で暖かかった。
この宿には高度順化の為に2泊するので殊更嬉しかった。


Imja Tse(アイランド・ビーク)6189m

宿の裏手に行くとアイランド・ピークの全景が見えた。
対面したアイランド・ピークは思っていたよりもどっしりと見栄えが良く、なぁーんだ的で残念な要素が見られず感激した。

アイランド・ピークに登ろうと決めた切っ掛けは昨年のピサンピークで悲惨な思いをした時にガイドのドルジが、アイランドピークなら苦しまずに楽に登れると押したからだった。
しかし、目の前にあるアイランド・ピークに隙は無く、何処から登れるのか見当がつかなかった。
後で地図を良く見るとディンボチェから見える面からの登頂は無く、裏に回って等高線の緩い稜線から攻める事が解った。

夕方近くにラムさんが洗濯物を取込んで部屋に持って来てくれた。
すべてパリッパリに乾いて気持ち良かった。
そして、ダイヤモックスを売っているかも知れないから見に行こうと誘われた。
ラムさんはディンボチェには良く滞在するとの事で通り沿いの店は皆馴染みだった。

歩いてすぐ、こんな辺鄙な処にまさかと思うような素敵なケーキ屋に入り明日の行動食だと言うクッキーを買った。
明日は宿からも見える裏手の丘に登って高度順応をする予定だった。

陽当たりの良いガラス越しのテーブルには美味そうにケーキを食べる二人の白人が座っていた。
一個450円のチョコレートケーキ・・・食べたかった。
しかし値段もさる事ながら省エネ体質に移行しつつ有る段階なので空腹に糖質の塊を採るのは控えなければ、と我慢した。

ダイヤモックスは売っていた。
25mg1シート10粒で500ルピー(600円)だった。
緊急時には一度に3粒の服用と指南書に有った事を思い出し2シート買った。
ラムさんにはお守り代わりだからと言ったが、早速今夜から朝晩半分ずつ、一日1粒服用する事にした。

夕食時にダイニングに行くと昨夜の宿のメンバーが殆ど揃っていた。
皆して目が合うと軽く頷くなりして挨拶をする。

昨夜私に高山病の講義をしてくれたご夫婦は見当たらなかったが日本人と思しき若い男性が一人で座っていた。
私は意識して近くに座り話しかけたが日本人では無く韓国人だった。
お互い変な英語を気にしつつもあれこれ話し、カラタパールとチュクンまで同じルートである事を知った。
その後別の宿でも度々会い一緒のテーブルに座った。
相席で知り合った人にはポーランド人やスイス人、カナダの国旗を付けたアメリカ人などが居て、その人とも何度も会っているのに軽く挨拶する程度で積極的に話そうとはしなかった。
しかし、韓国人の彼とは何故か近付き、姿を見れば一緒のテーブルに呼び合っていた。
何処かに同じアジア人と言う感覚があるのだろうか? 不思議であった。

夕食にはトマトと野菜のピザを食べた。
これも当たりでそこそこ美味しく完食出来た。
ミルクティーをお替わりして三杯も飲んだからか、それとも空腹時に服用したダイヤモックスが効いたのか小便が近くなっていた。

ダイヤモックスの副作用として「頻尿」が言われているが、高度順応がきちんと出来ると止まると言われている。
お茶の飲み過ぎなのか、高山病の気が有っての頻尿なのか解らないが、お守りの薬が手に入った事で気が楽になったのは確かだった。


 19時00 就寝
 
 11月9日 酸素濃度 データー

 ディンボチェ (4410m)83% 心拍数100 (PM2:30 休憩後)
 ディンボチェ (4410m)79% 心拍数80  (一眠りした後)

 
 追記

ここまでの血中酸素濃度と心拍数の関係から、休息後や安静時で心拍数が低くなると酸素濃度が下がる事が解った。
指南書に因れば安静時の値を計る事になっているが、脈拍が上がると酸素濃度も上がるのであれば高山病予防や解消には心拍数を上げておいた方が良いのでは無いかと思うのだが。
高山病を患うと寝ている間に悪化すると言われるが、データーから推測すれば当然だと言えるが。
そもそも、どの標高で何処まで下がったら危ないのかが良く判っていない。
平地の病人なら90%を切ったら一大事でチアノーゼも見られると有るが80%など何度か切っているがそんな兆候は見られない。
高所登山の研究データーでは標高5000mでは80%台を維持していれば問題無いとも書かれているが。
安静時の心拍数が60程度まで落ちると言う事は、持久力的には身体は参っていなくて酸素も足りていると言う証しだと思うのだが。


つづく



コメント
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