11月14日 金曜日 快晴
6時00分起床・・・ゆっくり朝食。
標高が4400mだとパン生地の醗酵が容易なのか?ゴラクシェプの煎餅のように堅いパンと違ってトーストが美味かった。
9時00分出発・・・アイランドピークを見ながらのんびり行く。
本日の行程は距離が短く標高差も少ない。
310mの標高差を4kmで登る、楽な行程だった。
しかも、チュクンの宿についてからラムさん得意の高度順化の為の「お散歩」も無く完全休養との事。
いよいよ、アイランドピークアタックの為の体調作りに入ったなと思った。
大昔は氷河だったかと思わせるモレーンの谷に沿って行く
行く先にはアイランドピークの険しい姿が見えていて気持ちが高ぶる。
今日の目的地はChhukhung(チュクン)、標高は4730m。
既に5550mまで登って高度順応が出来ている自分には問題無い標高だった。
登りが緩い事も有って足取りは軽快だったが、やはり土埃は付いて回った。
5000m以下にはヤクが放牧されていた
所々に見える灌木は鋭い刺が有って流石のヤクでも食べられない。
そうだとすれば、ヤクは芝の枯れ草のような物を食べているのかと思うのだが、一日中食べ続けても大した量には成らない気がするのだが。
だからだろうか、ヤクに近付いてみると思いの外小さい事に気がつく。
ラムさんとカンニさん 休憩中
ガイドのラムさんが38歳でポーターのカンニさんは43歳だそうだ。
この日のラムさんの荷物は20キロ程で、カンニさんは35キロ位を背負っていた。
私とラムさんはクライミングに不要な物はディンボチェの宿に預けて来たのだが、しかし、三泊分の食料が加わったので、特にカンニさんの荷物は重くなっていた。
私は荷物を減らすべく、トレッキングシューズを止めてクライミングシューズに履き替え、服装も三日間着替え無しだった。
そして、カンニさんの荷物の多さに驚いて自分のザックにクライミングの道具を全部入れていた。
だから二人に比べれば軽いとは言っても15キロくらいは背負っていた。
本日は登りが少なく距離も短く楽な行程のはずだったが、クライミングギァーを一式背負った自分は、本日もしっかりときつい一日になっていた。
チュクンの宿
1995年発行のトレッキングガイドによるとチュクンはカルカで、ロッジが2軒有るだけとなっている。
しかし約20年経った今、チュクンにはざっと見て6~7軒の宿が有り、自分が泊まったカングリ・リゾートなどは建ってから2年の快適なホテルで、急速に開けた事が伺える。
チュクンより先に宿や茶店は無く、ここから先はテントを担いで行く事になる。
言わば最奥の宿なのだが、開発が新しい為に施設は整い設備も良い。
ここをベースにして登れる山は、アイランドピーク(6180m)とチュクン・リ(5550m)
がある。
アイランドピークはヒマラヤの6000m峰では登る為の手順が確立されていて比較的手軽に登れる山として世界的に有名だ。
特にヨーロッパアルプスで鍛えたクライマーが資金的に負担が軽く短期間で6000m峰が狙えると有って大挙してやって来る。
チュクン・リは5550mと標高が低く氷河も無いのでクライミング的な要素は無く比較的簡単に登れるのだが、どう言う訳か今年まではネパール山岳協会の許可が必要な山になっていた。
許可が必要な山は6名まで(1名でも)350ドルの申請料を添えてパーミットを取らないと登れないのだが、5550mの山にそんな金を払う人は少なく内緒で登られていた。
いや、トレッキングの序でにルールを知らずに悪気も無く登られていたと言うのが正しいかも知れない。
しかし、今年から許可が要らなくなった事でトレッキングガイドは大手を振ってチュクン・リへのアタックを勧める事が出来るようになった。
今まではカラパタールしか無かったのがチュクン・リが加わった事でより魅力的なセールスが出来るようになったのだ。
自分はチュクン・リは登っていないので確かな事は言えないが、しかし、カラパタールと同じ標高ながら、高低差では850mも有るので楽では無いと思う。
レンタルしたクライミングギァーを試している二人
11時00分 チュクン着。
行程表では4時間半となっていたが2時間で着いてしまった。
ラムさんとカンニさんを置いたまま歩き続け自分だけが先に着いてしまったが宿が分からないので石垣に腰掛け待っていた。
宿は幾つか見えていたが、とても新しい大きな宿と古くて小さな宿があった。
どうか一番立派な宿でありますように、と、願っているとラムさんがやって来て望んだ宿へと入って行った。
部屋が決まるまで昼飯を食べて待っていてくれとの事なので、隣のテーブルの、たぶんイタリア人グループと思しき人達が美味いと言って食べていたミックスピザを頼んだ。
ピザを食べながら中庭の光景を眺めていると、ガイドがレンタルのクライミングギァーを持って来て確認しているのが目に入った。
そこには高所用のプラブーツ・アイゼン・ピッケル・ヘルメット・カラビナ、他小物と,全装備のレンタルが揃っていた。
興味が湧いたので今後の参考にと、何気無くそばに寄って道具を見たが、どれもこれも相当使い込まれた物で、自分なら安心出来ないと思う物ばかりだった。
後でラムさんに聞いたのだが、全装備を借りて30ドルも掛からないとの事なので致し方ないとも思ったが。
部屋の割当が決まり荷物を置きに行くと韓国の彼がいて隣りの部屋だった。
話しは後でお茶を飲みながらと言う事にして部屋でクライミング装備の最終点検をした。
明日、ベースキャンプへ行ってしまったら足りないでは済まされなくなる。
スリングが足りない気もするが、ラムさんがこれで良いと言ったのでその程度の斜面なのだろう。
夕食時になりダイニングに行くと、テーブルには空きがあって意外だった。
私はオムレツ(味付けしてないただの卵焼き)とパンケーキを頼んであったが、その他に自前のフリーズドライの味噌汁と五目ご飯を準備していた。
明日からはテントに三泊となり何が食べられるのか分からない。
だからここでの燃料補給は大切だと思い、一口でも多く食べられるように工夫した。
19:00 時就寝
11月14日 酸素濃度 データー
ディンボチェ(4410m)90% 心拍数56 (AM6:30 空腹を感じていた)
チュクン (4730m)84% 心拍数86 (PM1:10 休憩後)
6時00分起床・・・ゆっくり朝食。
標高が4400mだとパン生地の醗酵が容易なのか?ゴラクシェプの煎餅のように堅いパンと違ってトーストが美味かった。
9時00分出発・・・アイランドピークを見ながらのんびり行く。
本日の行程は距離が短く標高差も少ない。
310mの標高差を4kmで登る、楽な行程だった。
しかも、チュクンの宿についてからラムさん得意の高度順化の為の「お散歩」も無く完全休養との事。
いよいよ、アイランドピークアタックの為の体調作りに入ったなと思った。
大昔は氷河だったかと思わせるモレーンの谷に沿って行く
行く先にはアイランドピークの険しい姿が見えていて気持ちが高ぶる。
今日の目的地はChhukhung(チュクン)、標高は4730m。
既に5550mまで登って高度順応が出来ている自分には問題無い標高だった。
登りが緩い事も有って足取りは軽快だったが、やはり土埃は付いて回った。
5000m以下にはヤクが放牧されていた
所々に見える灌木は鋭い刺が有って流石のヤクでも食べられない。
そうだとすれば、ヤクは芝の枯れ草のような物を食べているのかと思うのだが、一日中食べ続けても大した量には成らない気がするのだが。
だからだろうか、ヤクに近付いてみると思いの外小さい事に気がつく。
ラムさんとカンニさん 休憩中
ガイドのラムさんが38歳でポーターのカンニさんは43歳だそうだ。
この日のラムさんの荷物は20キロ程で、カンニさんは35キロ位を背負っていた。
私とラムさんはクライミングに不要な物はディンボチェの宿に預けて来たのだが、しかし、三泊分の食料が加わったので、特にカンニさんの荷物は重くなっていた。
私は荷物を減らすべく、トレッキングシューズを止めてクライミングシューズに履き替え、服装も三日間着替え無しだった。
そして、カンニさんの荷物の多さに驚いて自分のザックにクライミングの道具を全部入れていた。
だから二人に比べれば軽いとは言っても15キロくらいは背負っていた。
本日は登りが少なく距離も短く楽な行程のはずだったが、クライミングギァーを一式背負った自分は、本日もしっかりときつい一日になっていた。
チュクンの宿
1995年発行のトレッキングガイドによるとチュクンはカルカで、ロッジが2軒有るだけとなっている。
しかし約20年経った今、チュクンにはざっと見て6~7軒の宿が有り、自分が泊まったカングリ・リゾートなどは建ってから2年の快適なホテルで、急速に開けた事が伺える。
チュクンより先に宿や茶店は無く、ここから先はテントを担いで行く事になる。
言わば最奥の宿なのだが、開発が新しい為に施設は整い設備も良い。
ここをベースにして登れる山は、アイランドピーク(6180m)とチュクン・リ(5550m)
がある。
アイランドピークはヒマラヤの6000m峰では登る為の手順が確立されていて比較的手軽に登れる山として世界的に有名だ。
特にヨーロッパアルプスで鍛えたクライマーが資金的に負担が軽く短期間で6000m峰が狙えると有って大挙してやって来る。
チュクン・リは5550mと標高が低く氷河も無いのでクライミング的な要素は無く比較的簡単に登れるのだが、どう言う訳か今年まではネパール山岳協会の許可が必要な山になっていた。
許可が必要な山は6名まで(1名でも)350ドルの申請料を添えてパーミットを取らないと登れないのだが、5550mの山にそんな金を払う人は少なく内緒で登られていた。
いや、トレッキングの序でにルールを知らずに悪気も無く登られていたと言うのが正しいかも知れない。
しかし、今年から許可が要らなくなった事でトレッキングガイドは大手を振ってチュクン・リへのアタックを勧める事が出来るようになった。
今まではカラパタールしか無かったのがチュクン・リが加わった事でより魅力的なセールスが出来るようになったのだ。
自分はチュクン・リは登っていないので確かな事は言えないが、しかし、カラパタールと同じ標高ながら、高低差では850mも有るので楽では無いと思う。
レンタルしたクライミングギァーを試している二人
11時00分 チュクン着。
行程表では4時間半となっていたが2時間で着いてしまった。
ラムさんとカンニさんを置いたまま歩き続け自分だけが先に着いてしまったが宿が分からないので石垣に腰掛け待っていた。
宿は幾つか見えていたが、とても新しい大きな宿と古くて小さな宿があった。
どうか一番立派な宿でありますように、と、願っているとラムさんがやって来て望んだ宿へと入って行った。
部屋が決まるまで昼飯を食べて待っていてくれとの事なので、隣のテーブルの、たぶんイタリア人グループと思しき人達が美味いと言って食べていたミックスピザを頼んだ。
ピザを食べながら中庭の光景を眺めていると、ガイドがレンタルのクライミングギァーを持って来て確認しているのが目に入った。
そこには高所用のプラブーツ・アイゼン・ピッケル・ヘルメット・カラビナ、他小物と,全装備のレンタルが揃っていた。
興味が湧いたので今後の参考にと、何気無くそばに寄って道具を見たが、どれもこれも相当使い込まれた物で、自分なら安心出来ないと思う物ばかりだった。
後でラムさんに聞いたのだが、全装備を借りて30ドルも掛からないとの事なので致し方ないとも思ったが。
部屋の割当が決まり荷物を置きに行くと韓国の彼がいて隣りの部屋だった。
話しは後でお茶を飲みながらと言う事にして部屋でクライミング装備の最終点検をした。
明日、ベースキャンプへ行ってしまったら足りないでは済まされなくなる。
スリングが足りない気もするが、ラムさんがこれで良いと言ったのでその程度の斜面なのだろう。
夕食時になりダイニングに行くと、テーブルには空きがあって意外だった。
私はオムレツ(味付けしてないただの卵焼き)とパンケーキを頼んであったが、その他に自前のフリーズドライの味噌汁と五目ご飯を準備していた。
明日からはテントに三泊となり何が食べられるのか分からない。
だからここでの燃料補給は大切だと思い、一口でも多く食べられるように工夫した。
19:00 時就寝
11月14日 酸素濃度 データー
ディンボチェ(4410m)90% 心拍数56 (AM6:30 空腹を感じていた)
チュクン (4730m)84% 心拍数86 (PM1:10 休憩後)