じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ネパール、かぁ~

2014-12-16 12:26:32 | 日記的雑談

思い付きで大層なタイトルをつけちまった訳ですが・・・旅先でも面倒臭い事を考える訳であります。

考える事は毎度同じでありまして、貧困・格差・運・・・そして、人とは、生きるとは、なんて事になる訳でして、最後は支離滅裂で終わるのは間違い無いんですが。


妹の髪を結う姉か? 微笑ましい光景だ

アジアの途上国は彼方此方行ったんだけれども、行く先々であまり豊かでない子供の生活を見るにつけ、あれこれと考える。
だが、考えてどうなるものでもなく、そもそも、金持ち国からやって来て現地の物価の安さを享受して遊ぶなど言語道断、極悪非道であり、本気で子供の貧困などに心を痛めるのであれば、身ぐるみ脱いでお布施でもして行け、と言う事になると思うんだが。


同じ路地で似たような歳の子供は洗濯に余念がない

アジアの貧しい環境の子供は明るい顔をして良く働く。
まさかと思う歳の子供がより小さな子供の面倒を見たり家事や家業を手伝っている。
見掛は小粒だが精神的には先進国の子供など比較にならない程大人だと思う。


傍らには少し奇麗な服を来て遊ぶ子もいる

勝手な推測は的外れかも知れないが、洗濯をしている子供は何処か他所から住み込みで働きに出て来ている娘だと思う。
そして、少し奇麗な服を来ている子供らは、ルクラの街道で某かの商いなどしている少し豊かな家の子供らだろうと思う。


洗濯には水汲みが付き物だ

自分にしてみれば村程度の規模にしか見えないルクラだがこの界隈では一番大きな街で経済の中心地である。
街の経済の源泉は観光客が落とす金で、全ては外国人観光客相手の商売を中心に動いているのか?
強い通貨を持つ国の人間にとっては大した金額の商いとは思えなくても、ネパールの山間地としては大きな価値になって格差が生まれているのだと思う。


少年は20キロ程の芋を背負って坂道を上がって行く

額に薄らと汗を浮かべて歩く少年に声を掛けた。
何を背負っているんだとの問いにポテトだと言う。
背負わせてみろと言うとニコニコしながら荷を降ろしてくれた。
ズッシッと来た重さは20キロは超えているなと直感で思う。


空籠を背負って降りて来たのでまた呼び止めた

少年に学校はと問うと、仕事がある時には行かないと言う。
仕事は家の手伝いなのか不明だったが、学校にはあまり行けないようなことを言っていたと思う。
それにしても屈託の無い澄んだ笑顔の少年だった。


陽射しの暖かな午後、校庭で遊ぶ子供ら

また河上肇の貧乏物語が脳裏に浮かぶ。
貧乏にも種類が有ると述べる河上肇の言葉は正しいが、貧困はどう捉えても変わりようが無く、相対的な事では無い点で決定的だなと思う。

貧しい子供らを見つつ、偽善的な態度で詭弁を弄する我を振り返れば、日本に生まれたと言う運だけの差である事に恥じ入るばかりなのだが。

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ルクラ にて

2014-12-16 10:13:12 | ネパール旅日記 2014

 11月21日~24日 飛行機待ちでルクラに停滞。

 11月20でトレッキングは終わったがヒマラヤの旅最後の詰め、ルクラからの脱出が予定通りに行かなかった。

 予定では11月21日の早朝の便でカトマンズに戻るはずだったのだが、21日の便は乗れなかった。

 21日の夕方、一日中空港に張り付いていたラムさんが宿に戻って来て、明日の11時のフライトの予約が入ったと言って、まあ一日の遅れなら良い休養だと、余裕で構えていた。

 しかし、結局は飛行機に乗れずに宿でブラックティーを飲んでいた。


サンルームに自分の椅子を見つけ終日占領する

 ルクラの飛行場(テンジン・ヒラリー空港)は一説には「世界一危険な飛行場」と言われている。
滑走路の長さは460mで幅が20m、有視界飛行で降りるしか無い。
しかも、空港は標高2800mの高地にあって気象条件は目まぐるしく変化する。
着陸する時は山側に向かって登りを利用して減速し、離陸の時は下りを使って加速し谷に向かって飛び降りるようにして飛び立つ。
まるで航空母艦のカタパルトのようだと評されているのだが、実際に飛行機が飛び立つのを見ていると、滑走路から飛び出した飛行機は速度不足なのか一瞬谷に沈んで見えなくなる。

 そう言う飛行場なので欠航が多かった。
元々14人乗り程度の小型機でピストン輸送をしていて、着陸したら直ぐに乗客を入れ替えて飛び立ち、カトマンズで下ろしたらまた飛んで来ると言う忙しい飛行機なのだ。

 カトマンズとルクラの飛行場の間には4000m近い峠があって飛行機はぎりぎりの高さでそこを超える。
その時は晴れていて雲一つ無い空でも結構揺れる。
山の斜面が温まると上昇気流が生まれ安定しないのだそうだ。

 悪条件を幾つも乗り越えてルクラにやって来る小型飛行機は以前は良く落ちた。
滑走路の拡張整備と、今は安全を優先して疑わしい天候のときは欠航となっているので落ちる事は少なくなったそうだ。
だが、落ちなくなった分だけ欠航が増えた。
元々ハイシーズンには予約の取り難い航空券で常に混んでいる。
それが欠航すればあっという間に乗客は溜まり益々混雑する。
そう言う事で正規の航空券を持って居ても順番待ちで当日に乗れないと言うのは普通にある事らしい。


空港のターミナルへ行く道

飛行機待ちと言われても状況が分からず、他にカトマンズに戻る手は無いのかなども含めラムさんに説明を求めるのだが、この手の状況になるとネパール人気質そのままで、納得のいく説明は貰えなかった。


金網越しに飛行機の来ない静かな空港を眺める

昨夜は明日の予約が入ったと言っていたのに今日になると何時乗れるか分からないと言う。
それでは昨夜の予約が取れたと言う話しはなんだったのかと問うのは無駄だった。
ラムさんの説明では乗る人が沢山居て順番が回って来なかったと言うのだ。
それだったら予約じゃないだろうと自分は思うのだが、確かに、航空会社のキャンセル待ちの受付ではラムさんの言う時刻の飛行機に我々の名前はあった。

空港で苛々しながら順番待ちをしている人の中に同じ宿で4日目のフライト待ちをしているオーストラリア人を見つけた。
彼の所へ行って様子を聞いてみた。
彼が苛々している理由は帰国便のフライトが明後日に迫っていてどうしても明日の便に乗らなければならないからだった。
私が賄賂とか通じないのと尋ねると、そんな金は持っていないと言う。
賄賂では無いのだが、新たにチケットを買えばキャンセル待ちでは無いので直ぐに乗れると言う情報を他のガイドから聞いていたのだが、それも定かでは無かった。

この日の夜、彼を宿のダイニングで見掛けなかったので午後の便に乗れたのだろう。


カトマンズからの飛行機は来ないがヘリなら飛べるらしい

お昼になって宿に戻るとフランス人の親子とガイドが言い争っていた。
ガイドはお金を出して別のチケットを買おうと提案していたのだが親子はそんな金は無いと言い、チケットを買ってあるののにおかしいだろうと言っている様子だった。
そして、親子の帰国の便も決まっているらしく、日程に余裕は無かった。

他にもう一組、こちらは父娘なのか、それとも老けて見える男性に若く見える女性の組み合わせなのか、イギリス人と思しき二人連れが居た。
こちらは飛行機待ちが3日目だそうだがトレッキングガイドがついていて、しかも日程は気にならない様子で暢気に構えていた。

色々聞いて回るうちに正確な実体が分かって来た。
自分達がルクラに着く数日前から天候が悪く飛行機が欠航していて相当な人数がキャンセル待ちをしていた。
しかも、悪天候は完全には解消していなくて、明日は飛べるだろうと言う予測でキャンセル待ちの順番を入れているのだった。
それが終日飛べなかったとなると、また翌日、似たような順番で待つ事になる。
成る程、一日経っても一向に順番が進まないと思ったら飛行機が飛んでいなかったのだ。

自分には予備日が4日あった。
ルクラの飛行機が不安定な事と、アイランドピーク登頂の天気待ちなどで4日の余裕を持ったのだが、少し不安になっていた。

宿が気楽で快適だったので停滞は苦にならなかった。
キッチンの若いコックと親しくなり日本語を教えて暇つぶしをした。
彼はとても真面目で聞いた言葉をメモし、直ぐに反復して使い方が正しいか確認する。
これだものなぁ、仕事で使うツールだから飯の種だもの真剣だよな、と恐れ入る。
そして彼は授業料としてブラックティーやミルクティーを御馳走してくれた。

夜は宴会だった。
20日の夜にビール代として3000RPを支払ってからは毎晩宿のご主人にご馳走になっていた。
初日に1本500RPだったロキシーも好きなだけ飲ませてくれたし、茹でたジャガイモや大根の漬け物を振る舞ってくれた。

ガイドがいてもいなくてもトレッキングは出来ると思うが、この歳になるとあまり度の過ぎたハプニングは楽しく無い。
金で便利さと気楽さを買うなら旅は止めた方が良いと言うのを何処かで読んだ。
しかし、ルクラでの飛行機の順番待ちやその後の手続きなど、やってやれない事は無いが、ラムさんがいたお陰で自分はミルクティーを飲んで暢気にしていられた。



11月20~22日と3泊し、23日の昼頃の便でカトマンズに戻った。




コメント (2)
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