じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

山は白銀・・・

2014-12-19 21:20:01 | 日記的雑談
いや、世間では大雪だと騒いでいる訳ですが、宮城県の山は普通ですねぇ・・・と,思うんですが。

私が高校生だった頃、40年以上前ですが、蔵王の山の雪はこんな物では有りませんでした・・・これ、ホント。

写真はまだ持ってますぜ・・・白黒ですけど後見の坂をワカンで必死にラッセルして登っている姿が残ってます。
学校が休みになった翌日・・・12月20日過ぎくらいだから、丁度今頃ですけど、澄川のスキー場なんか雪はたっぷり有りましたね、確かに。

まっ、昭和末期から平成に変わる頃には雪は少なくなってましたが、それ以前はやっぱしドガチャカドガチャカと降ってましたよ、絶対に。

35~36年前のクリスマスイブの夜は仙台は大雪で市内の交通が麻痺しちまいまして、中心部に有った会社から少し郊外・・・と,言っても今の家のように山奥では無くタクシーで2メーターくらいの所まで歩いて帰った記憶が有ります・・・靴屋で長靴を買って帰ったんですが、安いのから売れて行くのかとても立派な、履き捨てるには勿体無い代物を泣く泣く買いましたっけ。

その昔し、東北六県を車で仕事に歩いていた頃・・・彼方此方で田圃に車を落としましたね。
いや、ホワイトアウトもアレなんですが今程除雪が良く無いんで道路と田圃の境目が分からずに落とすんですわ・・・まっ、視界不良で道路の脇のポールも見えないのに無理して走っていて落とす訳ですから、無茶と言うか馬鹿なのか?


本日のスキー場への道 気温低いので滑りません

ボロ布・ロープ・砂袋・タイヤチェーンの予備・スコップ・毛布・・・出来れば予備燃料、など、持って走っていました。

予備燃料ねぇ・・・オイルショックの時・・・やっぱし36、37年くらい前か?
日曜はガソリンスタンドが休み、で、田舎に行くと20リッターしか売ってくれない、なんて時期が有りまして、青森往復するナンテ言って帰りが日曜だと予備タンク持ってないと帰れない訳です。
いや、土曜日に入れたって雪道じゃ満タンで帰れませんでした。

アレ・・・田舎の山間部の国道なんか夜中に交通量減るでしょ、そうすると、雪が降り続いてる深夜は除雪しなくなるんですよ。
まさか国道で立ち往生は無い、なんて思ったら甘い訳で、道路の上で立ち往生、で、毛布被ってガソリン気にしながら夜明かしです。

で、道路で泊まって寝ていると早朝に除雪車が来て叩き起こされる訳です。
でも自分は二進も三進も行かないんで除雪車が迂回して先に行っちまう訳です。
そうすると、除雪車の後には車が付いて来る訳でして、邪魔者扱いされる上に馬鹿野郎的視線を浴びせられる訳です。
いや、登りだと厄介ですが平ならスコップで少し掘って走り出せるんですけどね。

さて、スキーに行って来た訳です・・・シーズン始まりました。
まっ、今年もヘボだなぁ~と、つくづく思いました・・・本日転倒4回ですぜ。

いや、38度の斜度に新雪・・・上手い人は飛ぶように板を浮かして行く訳ですが私しゃそんな芸当は出来ませんでターンする度に新雪の深雪にスキーが刺さってズッポシ、と。

いや、そこまで下手だとは思っていなかったんでガッカリです。

で、本日私が留守の間はさすがに部屋の暖房は切っていた訳です。
いや、クワガタ君の事なんですがね・・・そしたら、室温14度の部屋で元気に歩き回っているじゃ有りませんか。


あと少しで年越しで来ます!!! ガンバレっ!!!

ドーなっちまっているのでしょうか、彼は!!!

是非年越しして欲しいものであります。


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アベ君

2014-12-19 20:00:20 | 旅と感想
一昨日「総集編」と題した物を出しておきながら、またヒマラヤトレッキングの話しを書いているのは恐縮至極なのですが、まあ、山高ければ谷深しと申しますように、印象的な物は引きずるのであるなと言う事でご容赦願いたいと思う訳です。

さて、アベ君なんですが、実の処を言うと、彼について私は殆ど何も知りません。
例えば、アベ君は阿部君なのか安倍君なのか、そう言う基本的な事さえ知らない間柄なのです。

そんなアベ君なんですが、幾つかのキーポイントで出会っていまして、今度のヒマラヤの事を思い出すのに欠かせない存在として深い印象が残っている訳であります。

最初に彼に遇ったのは、何処であったかは忘れましたが、外人の一行の中に東洋人が居るな、でも親しげにしているので日系の外国人とか、留学先から来ているとかなんだろうな、ナンテ事を勝手に思っただけで話し掛けもしなかった訳です。

次にアベ君を見掛けたのは結構下の方の宿で、たぶんパクディンかディボチェの宿であったと思うのですが、最初に外国人グループの人であると認識していたのでこの時も話し掛けはしなかった訳です。

で、次にアベ君を見掛けたのは、ディンボチェへ行く道すがらでありましたが、やっぱし、既に外国人グループの人であると認識していたので日本人とは思わなかった訳で、話し掛けはしなかった訳です。

そうなんです・・・ナンども接近して話すチャンスは遇ったのに、意識と言うのは恐ろしい物でして、彼は外人枠の人である思ってしまうと日本語を話しているとも思わないので無視してしまう訳であります。

余談でありますが、海外の観光地で出会う日本人と言うのは他の日本人にとてもよそよそしいと思う訳です・・・いや、これホントであります。
なんと申しましようか、極端な場合ですと「あっ 日本人が居やがった」と言う雰囲気さえ醸し出されたりする訳であります。
私なんぞは比較的長期でしかも独りなものですから、誰とでも仲良くなりたい訳なんですが、寄せ付けてもらえない傾向が有る訳です・・・汚い?臭い?貧乏そう?胡散臭い?頭悪そう? と、そういう風に見えているのかなどと思って哀しくなったりする事も有る訳ですが。

さて、そう言う暗い過去を引きずる私としましては妄りに安易に来易く海外で出会った日本人に声は掛けられなくなっていると言う事実も有る訳で、だからアベ君はヒョットすると日本人かも知れないと思いつつ、見なかった事にしていた訳であります。

ところが、私のガイドのラムさんはアベ君が日本人でしかも単独で歩いていると言うのをとっくに知っていた訳であります。
そして、ディンボチェの二日目、高度順応の為に登った5100mのピークを下りて来た時にアベ君に出会った。
この時は独りで、我々が今しがた下りて来たピークに登るつもりで居たようだが、手ぶらの軽装であった訳です。
少し遠くからラムさんが見つけて、日本人の若者が登って来ますね、と言ったのを聞いて私はアベ君に気が付いた訳です。
そしてラムさんは、彼は調子が悪そうですね、とも言ったのであります・・・ふぅ~ん、彼は一人なんだ、と思うとともに、ありやぁ~水も持っていないで、これは危ないな、と、感じた私は、いやぁ、これからですか?と声を掛け、そして、ここから一気に700m登るんで緩く無いし、水とかウィンドブレーカーは持った方が良いよ、と、余計な事を言った訳です。
で、アベ君は素直に、それは良い事を聞きました、装備を整えて出直します、と、言って戻ったと言うのが馴初めでありました。

アベ君はイケメンでした。
しかも、体力も知力もあり(推測ですが)独身・・・俺がこの若さで海外に行くとしたら、こんな辛い所には来ないで南の島のハーレム目指すがなぁ~と、驚きの念を持って彼を見る訳ですが、しかし、話しを聞いてみれば自分と同じ無職!!! そりゃそうだよなぁ、サラリーマンで一月以上のトレッキングの旅なんて・・・まっ、超優良企業には有る程度の勤務年数でまとまったお疲れお休みをいただける所もあるらしいが、そんな恵まれた会社は僅かでありましょう。

と、言う事で、アベ君は会社を辞めたのを切っ掛けにトレッキングに出て来たのだと。
これは大きなポイントです・・・トレッキングがしたくて会社を辞めるのか、会社をやめた~トレッキングに出たのは、結局はエベレスト街道を歩くと言う同じ行為に辿り着いたとしても、その意味合いは大きく違うと思うのであります。


で、アベ君は海外で働く事も視野に有る、なんて話しもしまして、知ったか振りが大好きな0yaziを相手にそう言う話しを振っちぁイケナイよ、と。
この手の話しをしたのはゴラクシェプの宿でありました。
宿が満員で、私とラムさんがテントでアベ君はポーターが泊まる部屋に寝た夜のダイニングでありました。

本当に座る余地のない混雑したダイニングで、自分よりも早く来ていたアベ君はラムさんに呼ばれガイド達が集まる隅っこの席を得ていた訳です。
そこへ私が現れれば当然近くに座る訳で、その時にあれこれと細かい話しが出たと言う事な訳であります。

で、まあ、英語だよなぁ~・・・会話もだけど英語で仕事をするとなると書けないと話しになら無いからなぁ・・・なんて、尤もらしい事を先輩面して若者相手に吹かすのは楽しい訳です。
それでも、マレーシアは止めた方が良い、何故なら、俺が嫌いだから、とか、フィリピンは英語の勉強の環境としては最高だが、君はイケメンだから必ずフィリピン娘と出来ちまってややこしい事になるだろう、なんて有意義なアドバイスもした訳です。

そして、ラムさんが、カラタパールに登ったら一気にルクラまで下ってカトマンズに行くと言うアベ君に、ルクラで泊まる宿を紹介し、飛行機のチケットはその宿で手配してもらえ、とか、俺の名前を言えば全て面倒見てくれるから、なんて大風呂敷も広げた訳であります。

いや、実際にルクラの宿は混雑していて断わられたんだけれども、ラムさんの紹介でカクカクシカジカと言って部屋を確保したと、後日聞いたので、やるなぁラムさん、なんですが。

と、言う事で、アベ君と何か込み入った縁が有った訳では無いんですけれども。
それどころか一歩たりとも一緒に歩いた訳でもないんですけれども、私としては、滅多に海外で日本人に相手にされないのに随分和やかに話しをしてもらったのでとても印象深いと言う、唯それだけの事なのでありますが。

で、ゴラクシェプで別れてから、彼はカトマンズに戻りポカラに行くと言っていた訳です。
ですからもう会う事も無いだろうとすっかり忘れていた訳ですが、なんと、カトマンズの桃太郎と言う、私が毎日豚カツを食いに行っていた日本食風飯屋で再開したのであります。

いやぁ~アベ君!!! まだこんな処に居たの?と、嬉し恥ずかしの再会でありました。
で、ゴラクシェプ以後の出来事を色々聞いた訳です。

例えば、ポカラで泊まった宿の旦那に、家の婿になら無いか?と迫られた、と、若いイケメンならではのとてもティストオブハニーな日々を送っていたとか。
しかも、その娘はアベ君の感覚でもかなりの美形であったのだそうで、俺なら無職の身でそんな話が舞い込んだから気軽に一口乗っちゃうけどなぁ~・・・ナンテ事を思いながらビールなど呑みながら語った訳です。

ああ、思い出しました・・・アベ君もその気は有ったんだけれども、もうすぐ妹の結婚式に出るのでとりあえず日本に帰らなくてはならなくて、残念であったと申していたのを思い出しました。

ああ、また思い出しました・・・日本へ帰る航空券を持っていなくてカトマンズで探したんだそうです。
勿論、エア・アジアの格安航空券だそうですが、あの航空会社は搭乗の4唐日前と言うのが一番鬼門でありまして、意外と満席だったりする訳です。
で、アベ君もネットで見たら満席で困っちまって、結局はビジネスクラスを5万円で押さえたと・・・いや、日本まで5万円では無くて、カトマンズ~クアラルンプールですから、相当高価でありますね。

まっ、それだけの、他愛無い話でありました。

アベ君はヒマラヤを歩く事に魅せられたと申しておりましたので、また何処かでまた会うかもしれませんが、一応、終わった訳であります。

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