じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ナムチェ~ルクラ

2014-12-15 19:30:57 | ネパール旅日記 2014

 11月20日 木曜日 曇り ナムチェ(3440m)~ルクラ(2800m)

 昨夜9時頃、サイレンの音が聴こえたと思ったら宿中が騒がしくなり、やがて通りでも人が走る足音や大きな声が聞こえ、訳は分からないが尋常では無い雰囲気が感じられた。
私は万が一の事を思い貴重品と少しの着替えをザックに入れ、飛び出す準備をした。

 恐らく火事だろうとは思ったが何処でどんな火事なのか、この宿に近いのか遠いのか、何も分からないので動きがとれなかった。
しかし、本当に危険が迫っていたらラムさんが知らせに来るだろうと思い部屋で待機していた。

 ナムチェの家は段々畑の棚に立てられているようなもので消防車はおろか、手押し車さえ動ける場所では無かった。
火事だとしたら消火はどうするのだろう?水だって豊富では無いのだから大変な事になるなと思った。

 そんな事を思っているうちに飛び出して行った宿の人達が雑談をしながら戻って来た。
その雰囲気に緊張感は無く騒動は納まった事が伺えたので靴を脱いで寝袋に潜り込んだ。
9時過ぎと言うと今の自分には深夜に当る時刻なので直ぐに寝入ったようだった。

 翌朝、ラムさんに騒動の事を尋ねるとやはり火事だった。
少し上の学校のそばの民家で小火があったが軍隊が出て直ぐに消し止めた、との事だった。

 7時30分 ナムチェ出発。
今日がこのトレッキング最後の歩きで、標高差700メートルを距離20キロで下る。
昨年の最後の日は結構感傷的になって歩いたのだが今日はそんな気持ちはあまり無かった。
これが最後かと思って来てみれば、来年は何処へ登ろうかに気持ちは変わっているし。


Kongde 来年はあれに登りたいと言ってみたが

つい一昨日までは氷と岩の世界に居たのだが、今は日本の農村と変わりない風景の中を歩いているのが少し不思議ではあった。
ヒマラヤの凄さは亜熱帯から極寒まで、高度さが造り出す気候の垂直分布であるな、などと独り言を言いながら全力で歩いた。
この時、自分の気持ちは既にトレッキングの歩きを楽しむ方向には無く、ルクラの宿で熱いシャワーを浴び髭を剃り、そして、15日間口にしていないビールの方へ飛んでいたのだった。


奥会津の只見の方の景色に似てる気がするが

田舎の景色と言ったら語弊があるが、しかし、急峻な山と深い谷があって、僅かな平地にへばりつくように開けた山村の風景は、アジアに限っては何処の国も似ていると思うのだが。


急ぎルクラを目指す私はゾッキョを無視して橋を渡った

橋の向うから荷物を運ぶゾッキョ(牛)が隊列を組んで渡った来る。
昨日までの私は安全策を採ってゾッキョが渡り切るまで待っていたのだが今日は無視して突っ込んで行った。
その理由は、気が急いていたと言う事も少しはあるが、ルクラとナムチェと言う二大都市間は物流も多く荷を運ぶゾッキョが引きも切らずにやって来るので待っていたら先に進まないのだ。

 11時00 パクディン着 昼食
パクディンの宿は往きに泊まったのだが、ラムさんが懇意にしているようで居心地が良かった。

ここまで来る間にかなり豊かに育った野菜類を見て来た。
標高は2600mもあるのだが、さすがに亜熱帯のネパールで葉物の野菜や芋類、そしてトマトも実っていた。
なので昼食はトマトソースのスパゲッティーにした。
案の定、小さなトマトをボールにひとつ程もソースに使ったスパゲッティーは美味かった。
日本で言うと超特盛り・・・味噌ラーメン丼一杯分くらいのスパゲッティーを平らげた。

 11時45分 パクディン出発
出掛ける時に道は一本道である事と、宿は空港のそばで、往きに昼飯を食べた所で良いのかを確認した。
この日の私は絶好調を通り越して神懸かり的に速く歩けていた。
だから常にラムさんとカンニさんを待っていたのだが、それが勿体無い。
此所まで来たらもう残り10キロと少し・・・ルクラまでは400mの登りだったが標高は3000mを切って自分のいつもの守備範囲に入っている。
2時間で行けると読んでいたのでラムさん達を待っているわけにはいかないのだ。


ルクラの街はトレッカーも少なく閑散としていた

 1時45分 ルクラ着
最後の200mの石段まじりの急登は一気に駆け上った。
とても苦しかったのだが、それは高所でもがく苦しさとは別の物で、言ってみれば馴染みの苦しさとでも言う感じだった。

ルクラの街の一番奥の空港近くの宿にたどり着き二階のダイニングに上がった。
しかし結局はラムさんが来てチェックインするまで部屋も決まらず、お茶も飲めずに待つ事になった。

ラムさんとカンニさんが10分後れでやって来た。
宿は空いている様子でダイニングに近い陽当たりの良い部屋が貰えた。
私は荷物を部屋に置くと、この時の為に温存してあった着替えやひげ剃りを持ってシャワールームに飛び込んだ。

プロパンガスの湯沸かし器からは熱いお湯がそこそこの湯量で出た。
これなら寒さを感じずに使える、優秀なシャワーであった。

頭も身体も汚れ過ぎているのか、シャンプーも一回では泡が立たず、タオルにはいくら石けんを擦り付けても泡は立たなかった。
タオルに至っては泡が立つどころか下ろしたての白いタオルが茶色に染まっていた。

厄介だったのはひげ剃りだ。
15日間伸ばしたヒゲに4枚刃のT字カミソリは役不足で、まずバリカンで刈ってからでないと剃れない感じであった。
しかしシャワーの使用に時間制限を言われ無かったのを良い事に、小一時間も使い続け、納得のいくまで洗った。

シャワーを浴び、日本の洗剤の匂いが微かに残る衣服を身に着けたとき、清潔って気持ちが良いなとしみじみ思った。

この宿はラムさんの遠い親戚だとかで待遇がとても良かった。
スマホの充電が無料で、WiFiも無料でパスワードを教えてくれた。

この夜、ラムさんが登頂祝いのささやかなパーティーをと言って鳥の唐揚げやモモ(ネパール餃子)をご馳走してくれた。
私はビールを解禁してラムさんとカンニさんと乾杯した。
ビールが好きだと言うカンニさんと、ネパールラム酒が好きだと言うラムさんにはそれぞれ好きなものを飲んでもらって自分はネパール焼酎のロキシーを燗して飲んだ。
その後、ラムさんの友達のガイドや宿のご主人も加わりいつの間にか盛大な酒盛りになり、私は久し振りに酔った。

カンニさんは明日歩いて二日程の家に向かって出発すると言うので夜のうちにボーナスを渡した。
序でに、このトレッキング中使い続けたダウンジャケットと軍手、毛糸の帽子なども貰ってもらった・・・日本にもって帰って洗って着られる代物ではなくなっているのだ。

 PM8:00 酔っぱらって寝袋に倒れ込む。

 11月20日 酸素濃度 データー

 ルクラ(2800m)94% 心拍数65 (PM3:30 )




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