じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ネパールの旅 総集編

2014-12-17 13:27:40 | ネパール旅日記 2014
2014年ヒマラヤの旅は11月2日に仙台市青葉区の陸前落合駅から仙山線に乗って始まり、11月26日に陸前落合駅に着いて終わった。

初めての中国国際航空の各駅停車便で、上海・北京・成都等を周り二泊三日も掛けてネパールはカトマンズに着いたのだが、帰国便が一泊二日なので都合三泊四日も中国国内遊覧飛行を楽しめて得をした気分であった。

中国の印象で特筆すべきは、香辛菜とザーサイの美味さは絶品であり、秋田のいぶりがっこや九州の高菜漬けに勝るとも劣らぬ物であると知った事か?

面白かったのは、北京の空港は空調が利いているにも拘らず石炭ストーブの匂いがした事で、噂は本当であったかと感心した。

いや、中国の表玄関しか見ていなくては言うのも烏滸がましいが、本当に言いたい事は、中国人も仏教のアジアの民であるなと言う事である。
成都のボッタクリ白タクなど、クアラルンプールのインド系タクシーの極悪運転手に比べれば可愛いものであった。

さて、ヒマラヤの旅を締めくくってみたいと思うが、これが中々上手くまとまらないのだ。
なんと言うか、往きも帰りも歩くのが主体であり、これはと思った所でカメラを向けて撮っていてもメモなどの記録を取る時間が無いので何の目的でこれを撮ったのか?と、なってしまっている。
そして、一番は言葉の壁であった。
観光客と接する事の無い村人は英語はまるで通じないし、それどころか各部族の言葉が入り交じれば、それは津軽の人と九州の人の会話に似たような事になり、通訳のタマンさんでさえ手を焼くのだった。
だから興味の湧いた事に対して突っ込んだ話しが聞ける事は希で、一を聞いて十を想像するしか無い事が多く、ここに書く内容の信憑席も推して知るべしとなってしまう。

雑多な写真で恐縮ではあるが、私が見たエベレスト街道の印象的な所をまとめてみたいと思う。


閑散としたルクラのメインストリート

いや、観光客の往来が減ったのはシーズンの終わり、冬が来るからと言う事よりも数日間悪天候が続きカトマンズからの観光客が運ばれて来ていないからである。
しかし、この写真で言いたかったのはそんな事では無い。
道路にコンクリートの四角い蓋のようなものが見えるのだが、これは下水のマンホールでは無いのかと思うのだ。
ルクラにはかなりの数の宿があってどの宿も水洗トイレなのだが、流した水は何処へ行くのか心配だったが、少なくてもメイン通りの宿のそれは下水様の物があって流されているのかと思ったのだが・・・。
しかし、仮に下水が流れたとして、それの最終処理はどうなっているのか?
そこを詮索してしまうと良く無い方向へ転がりそうなので話しはここまでと言う事で。


白に青線のロープが雪壁に張るフィックスロープ

ロープの前のポリタンクはケロシン、灯油である。
北米やヨーロッパでのコンパクトストーブの燃料はホワイトガソリンであるが、ネパールでは高地でなくても燃料は灯油であった。
特にエベレスト街道は車やバイク等の乗り物が無いのでガソリンは入手出来ない。
だから登山隊のバーナーもガスか石油になるのだった。


何故か鍋釜は全てアルミだ

金物屋の店先なのか、石油コンロやアルミの鍋ややかんが売られていた。
右端の青いのが石油コンロだ。
その昔し、と言っても僅か50年前は日本でもプロパンガスよりも石油コンロが幅を利かせていたのだが、ネパールのはコンロと言うよりもバーナーである。
ネパールの石油バーナーは燃料タンクにポンプが着いていて加圧出来る。
圧力を掛けて灯油をガス状にして噴射し燃やすのだ。
この方式でないと空気の薄い高地では強い火力が得られない。

さて、何故に鍋釜は全てアルミなのか?だが、これは運搬時の軽さの問題では無いかと思う。
旧い宿に泊まるとダイニングの棚に磨き込まれた銅製の鍋や食器が飾られている。
アルミが手軽に手に入るようになって真鍮や銅製は重さの点で駆逐されたまでは無いかと推測してみたが。


カラフルで見た目は上等なブランド品の山道具

この辺りで売られているブランド物の衣料品は間違い無く偽物である。
様々な有名ブランドがまさかと言う価格で売られている。
それらのクォリティーは、本物より落ちるが価格で考えたら優秀だな、と思う。
ネパールの法律は知らないが、ブランドの保護に敏感な国の白人達も数日や数週間のトレッキングで使い倒すのにと難しい事を言わずに買っている。
ナムチェには本物を扱う店があるが、クライミング用品もウェアーも本物は日本で買う方が安い。


水牛の肉だと言われたが・・・

日本に「山くじら」と言うのが有ったをご存知だろうか?
私としては水牛なら食べても良いと言うネパール人の話しが日本の「山くじら」に結びついて仕方が無いのだ。
日本では、獣肉を食する事が禁じられた時代に、猪を山の鯨であると詭弁を弄して食べていた。
私は日本の山くじらがネパールの水牛に被ってしまうのだ。
そもそも水牛は牛では無いと言うのはヒンドゥー教の、水牛は悪魔の使い、悪魔の乗り物と言う所から来ているので仏教徒には関係がないのだ。
ヒンドゥーもポン教もラマ教も仏教もごちゃ混ぜ信仰を仰いで気にならない人達が年老いた牛を処分して食べない訳が無いと思うのだ。
だから、年老いたヤクやゾッキョは間違い無く山くじらになっていると思うのだが。


これが何かわかりますか?

昨年の30日と今年の21日を足して都合50日程ヒマラヤ近辺を歩きましたが、この様式のトイレは初めてでした。
なんと申しましようか、これはトイレなどと呼ぶのは失礼で「厠」と言うべきであるなと思いました。


トイレの中に新聞紙!!!

厠に入るとそこはかとない良い香りがする。
いや、冗談や比喩では無く、本当に清々しい香りが漂っているのだ。
それは、一面に敷き詰められたヒマラヤ杉の葉っぱから漂う物である事は間違い無い。
そして、恐る恐る穴の中を覗くと、異物の類いは何も無く全面に杉の葉っぱが敷き詰められているだ。
私は瞬時に閃いた・・・この厠は使用後に杉の葉っぱを落とし、全てを隠して処理するのだな、と。
私は、杉の葉っぱの最後の処理はどうするのかを尋ねたかったがその時間無く残念だった。


ゴミ箱だと思うのだが

昨年歩いたアンナプルナサーキットにはこの様なゴミ箱は無かった。
しかしエベレスト街道は要所に石造りのゴミ箱が有って、片方がペットボトル、もう一方が缶類となっていた。
アンナプルナもエベレスト街道も殆どゴミは落ちていずきれいだが、何かが落ちているとすると、トレッカーが捨てたり落としたゴミでは無く、地元の人の生活ゴミである事が多い。



仏教の子供達

陽当たりの良い岩陰に子供達が寝転んでいた。
学校帰りの三人は近所の子供らで兄弟では無かった。
写真を撮ろうとすると手で顔を覆って隠してしまう。
何か無いかと考えたらソイジョイを持って居たのでそれで吊って撮った。
1本のソイジョイをラムさんが三等分にして渡したが、誰一人としてありがとうの言葉は無かった。
成る程、この子等は喜捨の精神を知っているのだなと唸ってしまった。


荷は相当重そうで登りは小刻みに休んでいた

日本にでも山で強力を生業とする人が在ったが、今は恐らく絶えていると思う。
ボッカをする人は今でも見られるのだが、新田次郎の強力伝のような人は現代ではいないと思う。
しかし、ヒマラヤの山の中には今でも100キロを担いで山道を往く人は普通に居る。


この荷は100キロ有るだろうか?

ネパール人の体格はとても華奢で100キロもの重荷を背負って山道を行くなどとは思えない。
重荷と言うのが30キロや40キロなら自分も背負って山を歩いた経験はあるが一日が限界であった。
彼らは生まれ育った所がネパールだからと言ってしまえばそれまでだが、あの仕事ができるかと問われれば、自分には絶対に不可能だと言い切れる。
もしもネパールに生まれていたら自分もあの荷物を担げただろうか?
それしか喰って行く道が無ければやるしか無いのだが、日本人に生まれ育った自分の思考では想像する事も出来ない。


  唐突に・・・これにて 2014年ヒマラヤの旅は完結です。




コメント (4)
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