ナムチェには市が立つ。
元々は土曜日が市の日だったのだが、近頃は金曜と土曜、続けて市は立つらしい。
河口慧海の本などを読むと山の集落の市はチベットとの交易の場として栄えたようであったが、今の市はカトマンズから運んだ日用品や近郷近在の農産物の販売所になっている。
観光客の大半はカトマンズから飛行機で30~40分飛んでルクラまで来て、翌日半日程歩いてナムチェに着く。
だからあまり遠い場所との感覚は持た無いが、バスと徒歩でカトマンズからやって来ると、バスを降りてからナムチェまで、現地の人の足でも4~5日掛かる。
観光客用の店が建ち並ぶナムチェだが、街の人や近郷近在の人の為の店は少なく物も乏しい。
だから市は必要なのだと思う。
野菜が主食の山の民 野菜は豊富だった

何でも売る 売れそうでも そうでなくても

流石に肉屋は露天では無い(水牛の肉らしい)

生姜だけを売る人

卵と唐辛子を売る人

ドルジに似ているのでシェルパ族かと思ったら違った

皺の深さが土地の暮らしを物語る?

ほぼ市の全景 賑やかと言ってもこれだけの物です

ドライチーズ (乾燥してカチカチのチーズ)

バター 無塩で塩気は無い

チベットの人達か? 歌を歌いながら練り歩く
市でみかんを買った。
思ったよりも高くて驚いた、が、観光客価格だろうか?
ナムチェの街を歩きながら人にカメラを向けると嫌な顔をされる事が多かった。
6~7歳と思われる女の子にカメラを向けた時には強烈にNOと言われた。
そして、バザーで見掛けた人の中にも写真を嫌がる人が少なからず居た。
観光客価格のみかんと写真を嫌がる街の人達には共通点が有ると思った。
私は初めて訪れたナムチェで、見る物総てが珍しく写真にも撮りたいのだが、撮られる方は毎日毎日新たにやって来る観光客にカメラを向けられるのだ・・・たぶん私が住人なら辟易して怒り出すだろうと思った。
昨年歩いたゴレパニまでの山道で子供達がミカンを売っていた。
それは3個で20ルピー程だったが、ここでは1個40RPだった。
いや、解らない。
それがナムチェの相場だったのかも知れないが、エベレスト街道では何もかもが昨年のアンナプルナサーキットよりもかなり高く感じられていた。
それでも売れるのだろうし、観光客は引きも切らずにやって来る。
そして、買ってくれとは一言も言わずにただ道端に並べているだけの物を観光客が勝手に買って行く。
みかんばかりでは無い。
水でもトイレットペーパーでもコーラでも、だ。
ヒマラヤは魅力的だ。
数有るトレッキングルートの中でもエベレスト街道は輝いている。
クライミングを抜きにして、カラパタールに登るトレッキングでも2週間程度は歩かなくてはなら無い。
その間は街の暮らしの便利や快適とは隔絶された日々を味わうのに、不便や辛さや苦痛を承知の上で世界中から大勢の人がやって来るのは不思議だとつくづく思う。
不思議な人の中に自分も入るのだが、相当嫌な思いをするにも拘らず、しかも、昨年の経験でそれに懲りる事も無くまたヒマラヤを歩きに来てしまっている事の理由は自分でも解らない。
私の感覚と常識からは相当に理不尽な事の多い毎日なのだが、後になるとそれらが皆懐かしい思い出に脚色されてしまうヒマラヤの旅。
一個50円のみかんの話しも、忘れる事無くしっかりと思い出された。
そうだ、彼からは旅の良い思い出をオマケに貰っていたのだなと、なんでもかんでも許せてしまうと、またヒマラヤに行きたくなるのかも知れない、と思う。
元々は土曜日が市の日だったのだが、近頃は金曜と土曜、続けて市は立つらしい。
河口慧海の本などを読むと山の集落の市はチベットとの交易の場として栄えたようであったが、今の市はカトマンズから運んだ日用品や近郷近在の農産物の販売所になっている。
観光客の大半はカトマンズから飛行機で30~40分飛んでルクラまで来て、翌日半日程歩いてナムチェに着く。
だからあまり遠い場所との感覚は持た無いが、バスと徒歩でカトマンズからやって来ると、バスを降りてからナムチェまで、現地の人の足でも4~5日掛かる。
観光客用の店が建ち並ぶナムチェだが、街の人や近郷近在の人の為の店は少なく物も乏しい。
だから市は必要なのだと思う。

野菜が主食の山の民 野菜は豊富だった

何でも売る 売れそうでも そうでなくても

流石に肉屋は露天では無い(水牛の肉らしい)

生姜だけを売る人

卵と唐辛子を売る人

ドルジに似ているのでシェルパ族かと思ったら違った

皺の深さが土地の暮らしを物語る?

ほぼ市の全景 賑やかと言ってもこれだけの物です

ドライチーズ (乾燥してカチカチのチーズ)

バター 無塩で塩気は無い

チベットの人達か? 歌を歌いながら練り歩く
市でみかんを買った。
思ったよりも高くて驚いた、が、観光客価格だろうか?
ナムチェの街を歩きながら人にカメラを向けると嫌な顔をされる事が多かった。
6~7歳と思われる女の子にカメラを向けた時には強烈にNOと言われた。
そして、バザーで見掛けた人の中にも写真を嫌がる人が少なからず居た。
観光客価格のみかんと写真を嫌がる街の人達には共通点が有ると思った。
私は初めて訪れたナムチェで、見る物総てが珍しく写真にも撮りたいのだが、撮られる方は毎日毎日新たにやって来る観光客にカメラを向けられるのだ・・・たぶん私が住人なら辟易して怒り出すだろうと思った。
昨年歩いたゴレパニまでの山道で子供達がミカンを売っていた。
それは3個で20ルピー程だったが、ここでは1個40RPだった。
いや、解らない。
それがナムチェの相場だったのかも知れないが、エベレスト街道では何もかもが昨年のアンナプルナサーキットよりもかなり高く感じられていた。
それでも売れるのだろうし、観光客は引きも切らずにやって来る。
そして、買ってくれとは一言も言わずにただ道端に並べているだけの物を観光客が勝手に買って行く。
みかんばかりでは無い。
水でもトイレットペーパーでもコーラでも、だ。
ヒマラヤは魅力的だ。
数有るトレッキングルートの中でもエベレスト街道は輝いている。
クライミングを抜きにして、カラパタールに登るトレッキングでも2週間程度は歩かなくてはなら無い。
その間は街の暮らしの便利や快適とは隔絶された日々を味わうのに、不便や辛さや苦痛を承知の上で世界中から大勢の人がやって来るのは不思議だとつくづく思う。
不思議な人の中に自分も入るのだが、相当嫌な思いをするにも拘らず、しかも、昨年の経験でそれに懲りる事も無くまたヒマラヤを歩きに来てしまっている事の理由は自分でも解らない。
私の感覚と常識からは相当に理不尽な事の多い毎日なのだが、後になるとそれらが皆懐かしい思い出に脚色されてしまうヒマラヤの旅。
一個50円のみかんの話しも、忘れる事無くしっかりと思い出された。
そうだ、彼からは旅の良い思い出をオマケに貰っていたのだなと、なんでもかんでも許せてしまうと、またヒマラヤに行きたくなるのかも知れない、と思う。