じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ロブチェ~ゴラクシェプへ

2014-12-08 16:17:13 | ネパール旅日記 2014
 
 11月12日 水曜日 快晴
 ロブチェからゴラクシェプ、そしてエベレストベースキャンプへ。

 7時30分 ゴラクシェプを出発。
今日はゴラクシェプまで約10キロを歩き宿に荷物を置いてエベレストBCへ向かう。
これは楽しみにしていた。
なんと言っても、あのエベレストへ登る為のベースキャンプへ行くのだから興味津々である。

 
アマダブラムに月が昇った

 ロブチェからゴラクシェプへはかつて氷河であったと思われるモレーンの谷を行くのだが、人が住んではいけない場所だなと思う程に荒涼としていた。
相変わらず片栗粉か粉砂糖かと言う程に粒子の細かい土は少しの風でも舞い上がって厄介だった。
所々に氷河が溶けてできたと思われる湖があった。
湖は殆ど凍っていたが陽が当たり溶けている所の水の色を見ると乳白色に見えた。
おそらく泥が溶けてミルク色になっているのだ。
成る程と頷けた。
この道の細かな粒子の土は氷河とともに流れていた泥だったのだ。
水が乾いて泥が残った物で土では無いのだ、と、勝手に推測したみたが・・・。


雪の季節には閉鎖されるゴラクシェプの宿

トレッキングルートの人の多さに宿の確保が心配になったと、ラムさんが一人で先を急いだ。
ゴラクシェプは人気のカラタパール登山のベースであり元々混む所らしかったがここ数日は異常だと他所のガイドも話していた。
理由は、アンナプルナサーキットの事故と峠の閉鎖でトレッカーがエベレスト街道に集中しているのだろうとの事だった。


今夜の宿はテントだった

9時30分ゴラクシェプ着。
ラムさんが急いだ甲斐も無く今夜の宿はテントだった。
自分らは到着順的には相当早い方なのだが、標高5200mの寒さに耐えられる寝袋を持っているのでラムさんがテントを選んだ気がしてならない。
ラムさんの寝床も無いとの事でテントに同宿となったのが怪しい。

ここより先に宿は無く、駄目だとなれば4キロ程下の宿に戻るしか無い。
明日のカラパタール登頂を考えればテントでも寝床の確保が最優先だった。

テントに荷物を押し込み昼食を食べ暫し休息。
分厚いマットが敷かれたテントの中は陽が当たって暑いくらいで快適だった。


エベレストベースキャンプへの泥が乾いた道

標高が5000mを超えてからは少し動くと息切れがする。
自分では意識してい無いのだが、出来るだけ多くの空気を吸おうとして常に口を大きく開けていた。
意識してゆっくり歩いているのに苦しかった。


氷河は僅かずつ下に動いている(エベレストの頭が見える)

ここまで来ると完全に人間が住む所では無いと確信する。
草木は微塵も無く、生き物と言えば、トレッカーと宿の周りのカラスだけであった。


山は万年雪で氷河では無い(手前の白い凸凹が氷河)

ラムさんが、クンブー氷河はもっと大きかったが急速に融けている、温暖化ですね、と言った。
私は地球温暖化説には懐疑的な方なのだが、現実に氷河が後退していると言われると反論もし難く黙っていた。


氷河に向かってヤッホーをするラムさん?

ゴラクシェプの宿からエベレストBCまでの標高差は220m、距離は6キロ弱程度と、標高が5000mを超えていなければ1時間で行けるのだが、如何せん息が苦しくて速度が出ない。
快晴の空の直射日光は強烈で無風なら暑くてダウンジャケットを脱ぎたくなるが一度風が出ると寒くて毛糸の帽子で耳まで被いたくなる。
こんな調子ではアイランドピークどころか明日のカラパタール登頂も覚束ない、と弱気になる。


どう言う経緯でこうなったのか想像はつくが

喘ぎながらもなんとかエベレストベースキャンプに着いた。
今はシーズンオフで登っている登山隊も無くただの岩場に賑やかなタルチョが旗めいているだけだった。
何か、もう少し感動的なものを期待していたのだが拍子抜けだった。


ラムさんと記念撮影

ラムさんがエベレストに登った時のベースキャンプはここより少し上でウェスタンクムの氷河の下だったと言う。
そして、来年のベースキャンプがここかどうかも解らないのだそうだ。
その年の雪や氷河の具合で少しずつ変わるのだとか。
実際地図にはオールド エベレストBCとの記載も有る。

エベレストBCから中国の国境までは直線で2キロも無く、Lho La(ロー峠)6026mを超えて中国へ続く道が在って今なら越せると言うが相当な難所でトレッキングでは無くエクスペディションだそうだ。

僅か220mの標高差とは言え登りが辛かったのか、エベレストBCからの戻り道は意外と軽快だった。

宿に戻りブラックティーをポットで貰いテントでのんびりする。
下手に陽の当らない部屋よりもテントで良かったかも知れないと思ったのは陽が在る間だけだった。
夜間、テントのすぐ前に荷役のヤクが数頭繋がれた。
ヤクは静かで鳴きもしないのだが、首に付けたカウベルが夜通しカランコロンと静かに鳴るのだ。
昼間はのどかで良い音色だと思っても、寝床の耳元で聞かされると騒音以外の何物でも無かった。
そして、標高5200mのテントは日が落ちると急速に冷えて寒かった。

夕食時に日本人の青年と相席した。
アベ君は会社を辞めてトレッキングに出て来たと言う事で、カトマンズからジリまでバスで来て歩いてルクラに入ったと言う強者だった。
聞けば、山登りは殆ど経験は無く、長期のトレッキングも初めてだと言う。
若いって恐ろしい。
そして、羨ましい。


ダイニングも通路も満員で、彼は普段はポーターが泊まる部屋が宛てがわれていた。



 19時00分 就寝

 11月12日 酸素濃度 データー

  ロブチェ(4910m)75% 心拍数70 (AM6:00 寝袋の中で)
 



コメント
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