11月13日 木曜日 快晴
4時起床。 テントの内側と寝袋の顔の周りが凍っていた。
本日は朝一でカラパタールに登りその足でディンボチェまで下るので結構忙しい。
カラパタールの頂上まで標高差は410mで、距離は2キロ弱だった。
カラパタールは5550mで先日登った5100mのポカルディのピークよりも高いのだが、登る距離がほぼ同じで標高差が300mも低いとなるとたぶん楽勝だな、と、読んでいたが・・・。
昨夜はラムさんも一緒のテントで寝たので自分が起きてガサゴソ始めると直ぐに目を覚ましてお早うと言った。
私はソイジョイを齧りぬるくなったポカリで朝食にしていた。
ラムさんにソイジョイを1本差し出し食べませんかと言ったのだが、彼はそれを受け取り、後で行動食にしますと言ってウエストバックに仕舞い込んだ。
5時出発。
ラムさんがテントに鍵を掛けたいと言ったので自分のザックに付けていたダイヤル式の鍵を外して渡した。
そうか・・・今出掛けたら、いくら早くても8時頃までは戻らないから確かに狙い時だなと思った。
先日の早朝のピークアタックではアイランドピーク用にと新たに買ったスポットタイプのヘッドライトを使った。
今まで使っていたヘッドライトはどちらかと言うと拡散タイプで足下全体を照らすのには良いのだが、岩場などでここ一番外したく無い足場をテラスなどの時には光量が弱いと思ってスポットタイプを準備したのだった。
しかし、スポットタイプは光軸を一点に絞って遠くを照らすのが役目なので足下を照らすには光が強過ぎ、そして、中心以外は暗くて使い難かった。
今朝はいつものヘッドライトにしてみたが、やはり光量不足を感じた。
見えなくは無いのだが、もっとハッキリ見たいと思う足場の良く無い箇所で物足りないのだった。
東の空が紅くなって そうか日本は彼方か、と
エベレスト街道トレッキングの終点はカラパタールの山頂だと言っても良い。
だからゴラクシェプまで来た人は皆カラタパールの山頂を目指す。
しかし、トレッキングで登れるカラパタールと言えどもヒマラヤの山なのだ。
標高5550mは立派に高山であり、高度順化が出来ていない人は登れずに終わる。
高度順応をしっかりやってくれば難儀する山では無く、雪が無ければ登山靴さえ必要では無い簡単な山なのだが、それでも、自分の足で5550mを登り切れば感動的である。
夜が明けて山頂が見えた (カッコ良いのはプモリ7165m)
真っ暗な中にヘッドライトの光が筋となって見えていた。
ああ、この光景は、昨年のトロンパスの峠越えの時と同じだと思いつつ、同時に、あんなに先行者がいるのかと驚いた。
先日の早朝登山の教訓を生かして今朝は幾つかの仕掛けをしていた。
まず、寝る前に登山靴にホッカイロを入れて温める事と、手袋は、軍手の下にインナー用の薄い手袋を重ねてみた。
これが上手くいけばアイランドピークの下山でロープを握る時には軍手で行こうと考えていた。
作戦は総て成功・・・アイランドピークへ登る姿が見えて来た。
ただし、ホッカイロには少し問題があって高地で酸素が薄いからか平地のような発熱はせず生温いのだ。
それでも凍ったように冷たい登山靴に足を入れるよりは格段に快適なのだが。
カラパタール山頂 (写っていないが30人くらいは居た)
6時30分 カラパタール山頂着。
山頂は登り切った嬉しさでハイになったトレッカーがひしめき合い記念写真の撮影が随所で行われていた。
だから気の利いた場所には中々立てず、取り敢えずお茶を飲んで一休みしようと風下に座り込んだ。
ラムさんはこの前のピークアタックの時のビスケットの残りを食べていた。
自分はまたソイジョイを齧ってだいぶ冷たくなったポカリを飲んだ。
6時50分 記念写真を数枚撮って下山開始。
ヒマラヤのライチョウがいた
7時45分 宿に到着。
9時に出発しますと言うので朝食が出来るまでにパッキングを済ませた。
テントの中は朝の陽射しで温まり、広げっ放しだった寝袋が乾いて気持ち良かった。
ずっと持ち歩いていた秘蔵のミネラルウォーターで移動中に飲むポカリを作った。
ディンボチェで1ℓ120RPの水がゴラクシェプでは300RPになっていたので節約していた。
この気持ちってなんなんだろう、と、時々思うのだが、根が貧乏性で駄目なのか?
120RPは150円で300RPは375円である。
水1ℓが375円と言うと結構な価格では有るが、ここで水代を少しケチった所で旅費総額には何の影響も無いし、水代をケチるくらいならカトマンズでビール代を節約した方が効果的だと思うのだ。
同じ物の値段が釣り上がると言うのに拒否反応を示すのか?・・・ヒマラヤの高地では水が買えるだけで有り難いと言うのに、じつにケチ臭いと我ながら思うのだった。
朝の僅かの時間に5機も6機もヘリが来ていた
硬い蜂蜜トーストとゆで卵2個とブラックティーの朝食を食べ終え、出発準備を整え外でラムさんを待っていた。
すると宿の前の粗末なヘリポートには引っ切り無しにヘリコプターが飛来しトレッカーを乗せて飛んで行く。
ヘリは着陸してすぐに飛び立つのだったが、それでも順番待ちが出来る程頻繁に飛来しては飛んで行く。
やがて会計を済ませてやって来たラムさんに、あのヘリは何なのかと問うと、レスキューヘリだと言う。
高山病は寝ている間に悪化するので急ぎのレスキューは朝に集中するのだとか。
ゴラクシェプでは毎朝の光景なのだが、ここ数日の人の多さでレスキューの数も多いのだろうとの事だった。
昨年のピサンピークでの高山病の自己判定は「中程度」まで来ていたと思ったが、山に登る気力が有って、吐き気が有ってもソイジョイなどを齧れたと言うのは初期症状だったのかと思い直していた。
ヘリに乗り込む人の中には肩を借りても足下が覚束ない人が見られた。
ネパール人シェルパと日本人の碑のある丘
高所からは少しでも低い所に下って行くと元気がモリモリと湧いて来る。
空気が濃くなる事が原因なのだろうが、信じられない程元気が盛り返す。
だからゴラクシェプからディンボチェまでの道は随分早かった。
そうかぁ~・・・カラパタールまでのトレッキングの人は後は下るだけなのだな、と、少し羨ましくも有った。
そんな気にさせる程、高所から降りて来ると言うのは気持ちの良い事なのだった。
9時00分にゴラクシェプを出発し12時00頃ツクラ到着。
陽射しが気持ち良いので庭のテーブルに陣取ると一人の白人青年がスパゲッティーを食べていた。
とても美味そうだったので昼飯はあれと同じ物と言って注文した。
トマトソースのスパゲッティーと言われたそれは、なんだか子供の頃の給食のスパゲッティーに似ていて美味かった。
今までならとても食べ切れなかった大盛りを完食した。
高度順化が完成して食欲が戻ったのだと思った。
3泊目のディンボチェの宿
13時00分 ツクラ出発 14時20分 ディンボチェ着
高所から下って行くのは楽である・・・と、言うのも距離による。
登りだったからとは言え二日掛けて歩いた道を一日で、しかも朝一でカラパタールに登ってからの道のりは後半がきつかった。
要するに、このトレッキングは毎日そこそこきついのだ。
行程表には休養日で近くの丘を散策などと書かれていても実際にはラムさんの高度順化計画が盛り込まれていて某かの高さの所まで登らされていたし。
ディンボチェの宿は三泊目で、勝手知ったる我が宿と言う感じになっていた。
そして、この宿は食事が美味い。
高度順化も完璧となり快調な私は、ヤクステーキとトマトソースのスパゲッティーを注文し完食した。
またアイランドピークが近くなったと思った。
19時00 就寝
11月13日 酸素濃度 データー
ゴラクシェプ(5140m)83% 心拍数105 (AM7:50 カラパタール下山直後)
ツクラ (4620m)90% 心拍数83 (PM12:30 昼食後)
ディンボチェ(4410m)93% 心拍数86 (PM3:00 休息後)