じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ナムチェ~ディボチェ

2014-12-04 14:00:18 | ネパール旅日記 2014
2014年11月8日 土曜日 ナムチェからディボチェへ 

行程表の予定ではタンボチェに泊まる事になっているのだがラムさんの提案でディボチェへ行く事になった。
その理由は、タンボチェはトレッカーが多く宿が取り難いから、との事だった。

トレッキング中の宿はガイドが決める。
そして、ガイドはそれぞれ決まった宿が有ってその村ではそこ以外には泊まらない。
余程混んでいて部屋が無い時でもガイドと一緒なら断わられる事は無い。
もっともその場合は食堂で寝たりキッチンで寝たりと条件は悪くなるが。
なのでタンボチェで泊まらない本当の理由はラムさんの馴染みの宿はタンボチェでは無くそこから少し下ったディボチェに在るからなのだと思う。


朝 一斉に宿を出たトレッカーで賑わう街道

ナムチェの標高が3440mで目的地のディボチェは3820m。
引き算では380mしか登らない事になるのだが、どっこい、エベレスト街道はそんなに優しく無い。
プンケティンガと言う谷川沿いの集落の標高は3250mでナムチェより190m低い。
要するに登り返しが有るのだ。
そしてプンケティンガ程顕著な登り返しでは無い、地図の等高線にも現れ難い微妙なアップダウンが幾つも有り、累積標高差では800mを優に超えている。

寝る前に翌日のルートを地図上で読むのが日課なのだが、下手に地図読みが上手だと翌日のアップダウンや急登などが予測出来てしまい歩く前から気持ちが重くなるので良く無いかも知れない。


ヤクが来ると人は立ち止まってやり過ごす

標高4000mを境にして上の寒い方には長毛のヤクが居て下の暖かい方には短毛のゾッキョが飼われている。
ヤクは毛足が長く粗食と寒さには滅法強いが暑さに弱く下の方に降りて来ると息が上がってへばっているのを見掛ける。
逆にゾッキョは寒さに弱く食料も飼い葉を必要とするので集落の多い標高の低いところで飼われている。
ちなみにヤクは野生から家畜化されたものだそうで、今でもムスタンの方には野生のヤクが居るのだとか。
一方のゾッキョはメスのヤクとオスの牛(水牛?)の掛け合わせだそうで暑さに弱いヤクの欠点を補うべく生み出されたとか。
荷役しているのは総て雄だそうで、メスは乳を採るのだそうです。
ゾッキョのオスは哀しいかな、生殖能力は無く一代限りの運命です。


タンボチェは広い丘の上だった

ラムさんが一昨日、トレッカーの半分はタンボチェのゴンパ(僧院)までだと言ったが、それは道々歩いていて頷けた。
ここまでは道が広くて歩き易く、ガイドに手を引かれる程の高齢者も登って来ていた。
そして万が一の場合のレスキューも容易だし、場合に因っては馬で来て帰る事も可能なのだ。
もっとも馬のタクシーはこれから上、5100mのゴラクシェプまで、エベレスト街道の何処の集落でも調達可能なのだが。


この界隈では一番大きなタンボチェのお寺
一度消失して再建されたものでそれ程古くは無い
そして、大僧正(リンボチェ)は滅多に居ない、らしい



食欲減退時の切り札とシャワー代わりのシート

1時30分 ディボェチェ 着

宿には早く着いた方なのだが既に満員だった。
ディンボチェの宿が満員との事でここまで足を伸ばした人が多いと言う・・・ラムさん、良い読みである。

国籍不明の白人の若者グループが手の切れるような冷水をタンクから手桶ですくって浴びていた。
パンツ一丁の姿で互いに水を掛け合い、一桶毎に嬌声を上げ楽しそうであった。

同じ井戸端で靴下の洗濯をする私の出で立ちは、毛糸の帽子を被り分厚いダウンジャケットに身を包み、股引も履いていた。

あの若さが羨ましい・・・寒さに強い北欧の人たちか? 

少し下痢気味であった。
本日の行程中に二度程、急を要してトイレを探した。
私は山道でのキジ撃ちは得意な方なのだが如何せんエベレスト街道は人の往来が多過ぎて場所とタイミングが掴めなかった。
仕方なくラムさんに「トイレ」と言うと「大ですか小ですか」と問われ、大だと言うと適当な処で上を指差し登って行けと言う。
それで登ってみると確かに何処からも見えず、そして、前任者が居た事を伺わせる痕跡がある。
いや、参った。
ラムさん、緊急避難的トイレの場所まで把握してガイドをしているのか? プロであるなと感心し、全幅の信頼を寄せても良いかと思い始めた。

下痢の理由に心当たりが有った。
水分の取り過ぎだろうと思う。
本日は、朝に紅茶二杯500ml 歩きながら自前の薄いポカリ500ml 昼食時にレモンティー三杯750ml 休息時に水500ml を飲んだのだった。

私は普段山に登ってもあまり水を飲まない方なのだが、高山病対策には一日3ℓの水を飲めと書いてある指南書も有って意識して飲んだのだ。
さらに、昨年のピサンピークでは殆ど水を飲まずに登って見事に高山病を貰った経緯も有って今回は意識して飲んだのだった。

元々自分のお腹は水物に弱いのでこんなに浴びるように飲んだからおかしくなるのも当たり前かと思い、明日からは飲みたく無いのに無理して飲むのは止めて、飲みたいのだけれども我慢するのは止めようと決めた。

水の飲み過ぎは胃を弱くする。
食欲が落ちて、昼にツナサンドしか食べていないのに腹が減っていなかった。

晩飯時、フリーズドライの親子丼と味噌汁とふりかけで勢いを付け無理して食べた。

晩飯の時に日本人のご夫婦と同席になり、ベテランのトレッカーらしくあれこれと御意見を伺った。
少し頭痛を感じていたのだが、高山病の初期症状だろうと言われダイヤモックスを服用する事を勧められた。
その事をラムさんに話して、ダイヤモックス、持ってるでしょ?と問うと、サラリと持っていないと言う。
嘘ぉ、ダイヤモックスはツアー費用に含んでそっちが用意する事になっているのに、と言うと、聞いていないと、悪びれる様子も無く笑顔で答えるラムさんだった。

いやいや、ここは既に富士山より高い処で、明日には4000mを超えて行くと言うのに、高山病の決め手のダイヤモックスを持っていない・・・有ると思って安心していたものが無いとなると一気に心細くなるのが人情だった。

この時、微かな希望を先程の日本人ご夫婦に向け、再度食堂に行ってダイヤモックスが無い事を話してみた。
しかし、反応は予想したものとは違って、日本でダイヤモックスを手に入れる方法などの説明に走り、余分に有るから少し別けてあげましょうかなどと言う事にはならなかった。

この話しには伏線も有って、カトマンズに着いてすぐ、ツアー会社の人にダイヤモックスを買いたいので、と、伝えたのに、ガイドに持たせるから大丈夫、買わなくて良いと言われたのだった。

昨年、ピサンピークで高山病にかかった時に、やはりガイドのドルジが持っているべきの薬を持っていなかった経験から、自前で買おうと言ったのだったが・・・これがネパーネなのだ。
どれほど綿密な打ち合わせをしても、当時者間では通じていても、一度伝言で第三者に伝わった時には何の意味も成さない。
これがネパールであり、ネパール人の気質なのだと、今更ながらに思い知った。

それでもラムさんは高山病だとは思っていない様子で、風が冷たいと頭の中に風が入って痛くなりますから毛糸の帽子を被ったまま寝て下さい、などとアドバイスをくれた。

18時30分 就寝

11月8日 血中酸素濃度データー

ナムチェ  (2600m)90% 心拍数69 (AM6:00 安静時)
ディボチェ (3820m)83% 心拍数100 (PM2:00 到着後)
ディボチェ (3820m)79% 心拍数80 (PM5:30 安静時)


つづく


コメント
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