北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

12月議会 最終日

2012-12-14 | 珠洲市議会
 衆議院選挙と重なった12月議会も今日が最終日である。
 今回は市長提出議案は全て賛成。
 請願一件(郵便局における地域ネットワーク維持及びユニバーサルサービス堅持を求める請願書)も賛成。
 森井議員が提案者となり、三盃議員、上野議員、向山議員、小泊議員が賛成者となって提案された「緊急事態に対応する必要な法整備を求める意見書」には反対する。
 以下、提案された意見書と私の反対討論である。



私は、議会議案第7号「緊急事態に対応する必要な法整備を求める意見書」に反対し、以下、理由を述べ討論とします。

 本意見書は、東日本大震災や福島第一原発事故の想定外を教訓とし、自然災害や原発事故、外部からの武力攻撃、テロといった、あらゆる事態に備える緊急事態基本法の早期制定を求めるものです。
確かに3.11に対する政府の対応は、多くの課題を残しました。危機管理体制の在り方が問われていることも間違いありません。3.11から何を教訓として受け止め、何を改めるのか、まさに政府だけではなく国民全体に問われている問題だと私は思います。
しかしそのときに、本意見書にあるように、果たして避けることが不可能な自然災害と根本原因を絶つことができる原子力災害を同列に扱うことが妥当でしょうか。さらに加えて、平和外交の構築と外交交渉によって防ぐべき外部からの武力攻撃や、国内法によって対処すべきテロまで引き出し、新たな法律を制定するという議論が、3.11の教訓からなぜ導かれるのでしょうか。原因や対処方法が全く異なる事態を一括りに「緊急事態」として備えようとするのはあまりにも乱暴な議論ではないでしょうか。
率直に言って、緊急事態への適切な対応を真剣に考えたものなのか疑問と言わざるをえません。むしろ緊急事態や非常事態を口実として憲法が保障する人権を制約し、あるいは憲法が想定しない権力の集中を可能にする新たな有事法の制定を目指しているだけではないでしょうか。本意見書案の最大の問題は、日本国憲法に「非常事態条項」が明記されていないことは承知しつつ、あえて国の最高法規である憲法を超越した、ようするに憲法違反の法律の制定を求めるものだということを指摘しなければなりません。
緊急事態基本法の制定を目指す動きは2004年の民主、自民、公明3党による合意にさかのぼりますが、東日本大震災と福島第一原発事故の悲劇を口実に、今年に入り各地の自治体議会で意見書提出の動きが展開されました。現憲法制定以降繰り返されてきた有事体制強化による憲法の空洞化を狙った動きの一環に他なりません。憲法への重大な挑戦であり、到底認めることはできません。
そもそも憲法第99条で憲法尊重擁護義務を負う自治体議員からなる自治体議会がこのような憲法に反する法律の制定を求めることが果たして許されるのでしょうか。疑問と言わざるをえません。議員各位には特段の慎重な判断をお願いしたいと思います。

以下、本意見書にあげられた個々具体の緊急事態ごとに簡潔に反論させていただきます。
まず、大規模な自然災害に対しては、法的には現行の災害対策基本法で対応が可能です。第8章には災害緊急事態の規定も盛り込まれています。
今回の東日本大震災で政府の初動が遅れたことは事実ですが、その最大の原因は災害対策基本法の不備ではなく、地震・津波災害と福島第一原発事故との複合災害、まさに原発震災となった点にあります。政府や国会の福島第一原発事故調査委員会の報告書をみても、当時の菅直人首相はじめ官邸の主要閣僚やスタッフは原発事故への対応に全精力をつぎ込んでおり、津波被災地への対応に手が回らなかった様子を確認することができます。福島県内では津波被災地であっても放射能汚染のため、救出作業を断念せざるをえなくなった地域もあります。
安全神話を信仰し、原子力災害対策特別措置法や原子力防災計画があっても複合災害を否定し、極めて不十分な想定しかしてこなかった歴代政府の責任、そしてなにより地震列島に原発を次々と建設してきた歴代政府の責任こそ追及されなければなりません。

東日本大震災の被災地では、いまなおふるさとを追われ、憲法が保障する幸福追求権、生存権、財産権、教育を受ける権利など基本的人権を奪われた多くの人たちがいます。特に原発事故による被災者の多くはいまだに十分な損害賠償さえ受けていません。いま政治が考えるべきことは、憲法に濡れ衣を着せて緊急事態基本法を制定し、国民の財産権や表現の自由など基本的人権を制約することではなく、災害時でも国民の人権が十分保障されるよう政策や制度を整備していくことではないでしょうか。

現在、すでに制定されている有事法制との関係も整理されていません。かつての小泉政権下の2003年に武力攻撃事態法など有事3法が制定され、さらに翌2004年には国民保護法など有事関連7法が制定されました。自民党が中心となって、外部からの攻撃や大規模テロに備えるはずの法律がすでに制定されているわけです。人権の制限も盛り込まれています。私はこれらの法律はいずれも憲法との関連で大いに疑義があると思っていますが、国会審議の過程では、建前上、当然ながら憲法の枠内の法律とされています。
ところが今回の基本法は、憲法が想定しない国家緊急権を想定した法律のようです。これまでの有事法との関係はどうなるのでしょうか。法体系として一貫性がなく、矛盾していると言わざるをえません。
大規模自然災害や原子力災害への対応こそ必要だという声を抑え込み、アメリカからの要請を受け、これら有事体制の整備を強引に押し進めてきたかつての自公政権の政策こそが、東日本大震災の教訓に照らせば反省を迫られているのではないでしょうか。

 世界の多くの国では「非常事態宣言」を発令できるようになっているとの指摘もありました。これについても若干の反論を述べたいと思います。
たとえばドイツではボン基本法の下、世界的にも詳細、精緻な緊急事態法制があるといわれていますが、ナチスヒトラーの経験とその後の東西冷戦対立の歴史を抜きには語れないドイツ独自の背景があります。
フランス第五共和制憲法も大統領非常権限を定めていますが、大陸の中の国同士で戦争を繰り返し、ときには侵略し、ときには侵略され、国境線が頻繁に書き換えられた経験を持つ国と、かつてのアジアへの侵略の歴史をもつ日本とは、歴史も前提となる法体系も異なることを忘れてはなりません。
韓国にも国家緊急権がありますが、休戦協定が結ばれているとはいえ朝鮮戦争が依然終戦を迎えておらず、しかも長く軍事独裁政権が続いた歴史も踏まえるなら、とても日本の参考とはなりません。
一方、イタリアでは現在ある緊急事態にかんする有事法制はかつての大戦時のファシズム政権下で策定されたものが制度上残っているだけで、実質的には存在していないのと同じです。
アメリカでも、戦時を含む国家緊急事態に対する憲法上の規定はなく、災害や戦争の都度、大統領の権限を規定して対処しています。
イギリスはそもそも成文憲法をもたず、憲法のなかに緊急権に関わる総則的な規定もありません。具体的な裁判の蓄積と個別法での対応となっています。
以上、日本にも馴染みの深い国の例を一部ではありますが紹介させていただきました。国家緊急権をめぐる法体系は各国それぞれ実に多様だということはおわかりいただけるかと思います。国家緊急権を憲法に明記をしている国もあればそうでない国もあります。大規模自然災害と戦争や内乱に対する法体系も様々です。今回の意見書案に限らず、日本の外交、安全保障の問題を議論するときに、しばしば世界の国々では常識だという一言で片づけようとする場面に出合うことがありますが、憲法をはじめとした世界各国の法制度はそんな単純なものではありません。
そのうえで絶対に忘れてはならないのは、日本国憲法は、緊急事態条項をうっかり入れ忘れたわけではないということです。明治憲法で定められていた緊急勅令、戒厳令、非常大権、財政上の緊急処分という緊急事態条項によって戦争への道を突き進んでいった反省からあえて入れなかったのです。日本国憲法の下、戦争を放棄し、戦力や交戦権を否認するなかで戦後を歩んできた日本と、軍隊を保持し、ときは戦禍を被る国とでは自ずから国家緊急権を巡る議論も異なってきます。

一昨日は北朝鮮が弾道ミサイル技術を使ったロケットを発射しました。今年は竹島や尖閣諸島、北方4島を巡る領土問題が大きな関心を集めた年でもありました。このような動きがあると有事体制強化を掲げる主張や改憲論が勢いを増します。しかし、まさに国際社会と協調した日本の外交力が問われているのであって、威勢のいい声を張り上げて東アジアの緊張を高める中で解決する問題ではありません。まして、軍備増強によって領土問題を解決しようなどという考えは19世紀や20世紀前半の帝国主義の時代に歴史を逆行させるものでしかありません。

最後に、自民党はいま、憲法改正を訴え、憲法改正草案の中で緊急事態条項を新設すると訴えています。私は改憲論には与しませんが、仮に緊急事態基本法の制定を目指すならば、論理としてまさにその通りで、改憲手続きを経た後に議論を進めるのが筋だと思います。
以上、現憲法下で認められない緊急事態基本法の制定を求める本意見書は、東日本大震災を踏み台にし、憲法の空洞化を推し進めるものでしかなく、否決するべきということを訴え、議員各位のご賛同をお願いし、討論とします。


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