初めてとなる全国キリシマツツジサミットが能登空港ターミナルビルを会場として、午後1時半から開催された。
のとキリシマ愛好家の皆さんは一生懸命勉強しておられるが、私も含め一般の市民はのとキリシマはいいなぁと思っていても、その特徴や歴史などについてきちんと学ぶ機会があまりなかった。
そういう意味で、今日はこれまでの研究の成果を学び、また保存や活用を巡る課題や展望について考える貴重な機会となった。
能登空港ターミナルビル4階の会議室で開催された今日の全国サミット、地元の愛好家の皆さんや地元自治体関係者、さらに「全国」ということで鹿児島県霧島市や群馬県館林市からの参加もあり会場は満員。
まずは倉重祐二新潟県立植物園副園長と小林伸雄島根大教授による基調講演。
江戸時代あたりから奥能登各地の民家の庭に植えられてきたのとキリシマだが、誰が、いつ、どんなルートで奥能登に持ちこんだのか、今もってよくわかっていない。そんな中、2006年からこのお二人による学術調査が開始され、徐々に謎が解明されつつある。
倉重氏によると、1692年に記された世界初のツツジの専門書「錦繡枕」では、その1ページ目にキリシマツツジが紹介されるなど、江戸時代から庶民の間に流行した園芸の分野でキリシマツツジは高い評価を得ていたとのこと。1600年代にたくさんの品種が生まれ、江戸キリシマは20品種あったとのこと。しかし、久留米ツツジの方が色のバリエーションが多く、人気が広まり、色の少ないキリシマツツジは人気がなくなっていった。ところが能登にのとキリシマとして大量に残されており驚いたとのこと。のとキリシマは江戸キリシマ品種群の1つだと解明されている。
のとキリシマは日本一。
理由その1:古木の数。樹齢100年以上が珠洲市や能登町を中心に輪島市や穴水町も含め700~800株はあるとみられる。
理由その2:木の大きさ。池上宝蔵さん宅ののとキリシマは高さ4m、幅5.1mと現存する中で最大。文献上では高さ9m、幅11mの巨木もあったという。
理由その3:品種の数。本霧島や八重霧島など花弁の違い、また紅霧島や紫霧島など色の違いも含め10種類はあるという。
まさに能登の宝であり世界に誇る文化財であり、地域振興に活かさない手はないと倉重氏は語る。
今後の課題として台帳管理や後継者育成を上げ、地域と産・学・官の連携、地域間連携の重要性を説く。
続いて小林氏は江戸キリシマと現存の分布についてDNA分析に基づく調査結果を報告。分布状況は解明が進むが、能登にどのように伝播したかは今後の調査課題とのこと。キリシマから江戸、そして陸路能登へ伝わったと思われるが、北前船による海路の可能性もある。しかし文献では確認されていないという。
後半は、持木能登町長や霧島市長やがパネラーとして登場しシンポジウム。
現状や課題、今後の展望について議論を深める。
霧島市長からは来年に向け、地元の霧島市立国分中央高校の園芸工学科でキリシマツツジの調査研究を開始すること、第2回全国サミットを開催すること、そしてのとキリシマの古木を霧島市に移植する里帰りプロジェクトの3本柱で取り組み方針が示された。古木を譲り受けることが出来たら、市役所庁舎前の一番いい敷地を用意したいと表明する。
持木町長は今後の課題として、過疎化、少子化による後継者不足、管理者不在などの状況を上げる。古木を枯らしていっては、能登の時間軸の優位性が吹き飛んでしまう。一方、展望として柳田の植物公園をのとキリシマの拠点として整備していく方針を明らかにした。
議論のごく一部しか紹介できないが、まだまだ未解明の謎も多く残っている。能登固有の品種の存在も指摘されている。今後の究明が待たれるが、謎が残る方が魅力的でもある。
今後の活用策については様々な提案、提言があった。能登は民間の愛好家が中心となってのとキリシマツツジフェスティバルやオープンガーデンなど活用策が展開されてきた。今後については行政も関わり方も検討課題の一つとなる。
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