珠洲市議会9月定例会の一般質問。
8人が登壇し、現在進行中の土砂災害への対応や、先般、国が示した津波高推計に対する対応など防災対策を5人が質問。
また、先月の木浦ビレッジのオープンや、今議会で国民宿舎能登路荘の改修予算が計上されていることもあり、観光施策にも多くの質問が飛んだ。
私の質問原稿は以下の通り。
長いですが(質問時間29分)、少し気合を入れて読んでみてください<(_ _)>
答弁は近日中に報告しますが、主なものについて。
・能登国1300年キャンペーンについては、趣旨については賛同してもらい「GIAHS推進協議会や能登半島広域観光協議会で議論していく」とのこと。
・子どもの権利条例については、答弁の流れからして今回はボツかと思ったが「先行事例や周辺自治体の動向を参考に今後、検討していきたい」とのことで首の皮がつながった感じ。わずか一項目の問いだけど2200字を費やした甲斐があった?
・里山里海の土地利用計画については、今後策定予定の総合指針を検討する中で「本市として守るべき景観を有する区域について、土地利用計画や保全区域設定に関する検討を進めたい」とのこと。
県都金沢の政治が大きく揺れています。わずか一カ月前には誰も予想しなかった展開に、あらためて一寸先は闇の世界だと感じています。県都にふさわしいまちづくりの理念と政策が大いに議論される選挙を期待し、さっそく質問に入らせていただきます。
<「能登国」1300年に向けて>
市制施行60周年の記念式典が終わりました。メモリアルイベントはその意義を明確にし、認識を広く共有し合うことによって次の一歩につながっていきます。60周年は珠洲市60歳の誕生会以上の成果を残せたでしょうか。発表された自然共生ロゴマークの今後の活躍如何といったところでしょうか。
まず市政60周年の次は「能登国」立国1300年ということで質問させていただきます。
平安初期の歴史書「続日本紀」によれば、養老2年、西暦718年の5月2日、羽咋、能登、鳳至、そして珠洲の4郡が越前国から独立し、能登国を建国したとされています。奈良に都ができて8年目。現在の行政区で言いますと津幡町の一部から以北とのことです。4年後の2018年は「能登国」立国から1300年という節目の年となります。
能登国1300年に着目するのは単に切りのいい歴史の節目だからではありません。能登の里山里海の価値はこの1300年という歴史の積み重ねと切り離して考えることはできないからです。世界農業遺産GIAHSの申請書によれば、能登半島の農業システムのルーツは1300年前の奈良時代にまで遡るとのことです。少し引用しますと「能登半島という地域は、1300年以上の歴史の中で育まれてきた豊かな農村文化の伝統を持つ社会生態学的生産ランドスケープのモザイクで、漁業・農業及び林業と言った人間の活動に対する総合的なアプローチは、現在でも近代的な考え方と共存し続けている」と、やや難しい言い回しですが、能登の里山・里海の特徴や世界的な重要性を明らかにしています。近代の社会システムの中にあって、実は至るところで古代から中世、近世と連綿と続く数多くの農耕文化や風習が日々の暮らしや生業の中で息づき、そして生態系が維持されている、この共存、共生関係が先進国で初のGIAHS認定に至ったということかと思います。
1300年の節目は能登に住む私たちにとってGIAHS認定の意義や能登の里山里海の価値をより深く学ぶ絶好の機会です。加えてGIAHS認定エリアである能登4市5町の一体感の醸成、北陸新幹線金沢開業後の対外的なアピール効果も期待されます。能登4市5町が連携し、能登の里山里海の歴史をアピールする「能登立国1300年キャンペーン」を2018年に向けて展開してはと思いますが、市長の所見をお聞きします。
8月6日には県レベルでのGIAHS認定5地域の広域連携推進会議が発足し、来年のミラノ万博にも出展することが決まりました。国内で新たに認定地域の仲間入りを目指す動きも広がっています。先輩格の能登の取り組みが一段と注目されています。
関連してもう一点、能登立国の718年は珠洲にとっても特別の意味があります。珠洲という地名の語源については諸説あるようですし、さらにその表記についても、その昔、出雲風土記では都という文字を二つ続けて「都都(つつ)」とあり、風土記には須須神社の須須が使われています。そんな中、能登立国を記録した続日本紀の能登立国の記録では、能登国4郡の中の一つとして記された珠洲郡の文字に歴史上初めて現在の「珠洲」表記が登場となります。和銅6年、西暦713年に出された「諸国の郡 郷名に好字を用いよ」との命令を受けてのものとも言われています。好字と言うのは良い意味を持った文字という意味です。
その後、平安後期以降は違った文字が当てられましたが、16世紀の後半、秀吉の天下統一あたりから再び現在の「珠洲」表記が復活し、江戸時代も引き続き使われました。さらに明治時代には古代の郡が行政単位となり「珠洲郡」が復活しました。その後、大正時代に郡制が廃止され「珠洲」は行政単位から単なる地理的名称になりましたが、60年前の合併で珠洲は市の名前として引き継がれ、今日に至っています。
大伴家持が真珠のように美しい輝きを持つ美しい洲(くに)との思いを抱いたとも言われる珠洲と言う表記、そこには先に述べたように自然と共生してきた1300年もの歴史が隠されています。県外にいくと「すず」と読んでもらうのにも苦労する珠洲市ですが、実は金沢よりも加賀よりも古い歴史があります。「珠洲」1300年の歴史は本市のブランド化の取り組みに大きな厚みを加えるものであり、大いに活かすべきだと思いますがいかがでしょうか。
<自治体消滅論について>
次の質問に移ります。
このような歴史のある珠洲市が消滅するかもしれない。そんな自治体消滅論が珠洲市をはじめ全国の多く過疎自治体に衝撃を与えました。震源は昨年秋から今年5月にかけて、元総務大臣の増田寛也氏が中心になってまとめた3本のレポートです。そこでは2040年における20代から30代の女性の人口を独自の手法で推計し、現状から半減以上する896自治体を消滅可能性都市とし、そのうち、さらに2040年に人口が1万人以下となる珠洲市を含めた523自治体が消滅する市町村とされました。
これらのいわゆる増田レポートについては、多くの学者や自治体関係者から、そもそも自治体消滅とは何かと言った入り口論から数値の推計手法も含め、様々な疑問や批判が提起されています。自治体が消滅すると言われると都市ではゴーストタウンがイメージされ、珠洲のような過疎地では廃屋と荒野が一面に広がるような光景が浮かびます。しかし、そのようなことは住民を強制移住させるか、原発の過酷事故でも起きない限り想定は困難です。自治体名が消滅するということならば昭和の大合併、平成の大合併による多くの例がありますが、地域全体の消滅はありません。
自治体消滅論はかなり乱暴な議論だと思いますが、反響は大きく、市町村消滅を必然の流れとして、東京をはじめとした人口集積地に予算を重点配分すべきという論調や、いずれ消滅するなら地域の再生はあきらめようという声も出てきているようです。
実はここが従来の人口減少論との決定的な違いです。人口減少による過疎対策は、文字通り、過疎を何とかしなければという対策ですが、自治体消滅論はそんなことはもう無駄だという宣告のようなものです。
日本行政学会会長や自治体学会代表運営委員などを歴任した大森彌東大名誉教授は、自治体消滅はおこらないと断言し、「起こるとすれば、自治体消滅と言う最悪の事態を想定したがゆえに、人々の気持ちが萎えてしまい、そのすきに乗じて『撤退』を不可避だと思わせ、人為的に市町村を消滅させようとする動きが出てくる場合である」と述べています。
自治体消滅論の意図するところ、まずはこうしたあきらめの世論形成であり、その先には過疎地をたたんでいこうという政策が待ち構えています。増田レポートの骨子はさっそく経済財政諮問会議に取り入れられ、そのまま、さる6月24日に公表された安倍政権の「骨太の方針2014」、正確に言いますと「経済財政運営と改革の基本方針2014」という政権の基本方針に盛り込まれました。これを受けて発足したのが第二次安倍改造内閣の目玉である「まち・ひと・しごと創生本部」です。
すでに来年度概算要求で地方創生関連の様々なメニューが打ち出され、秋の臨時国会では地方創生関連法案も提出されようとしています。各省庁間の予算争いや来春の統一自治体選挙対策も絡んでいますので政策の全体像は見えにくくなっていますが、その方向は消滅可能性の解消ではなく、地方中枢拠点都市圏への都市機能の集積化などに重点を置くものとなっています。キーワードは「選択と集中」。聞こえはいいですが、選択されない消滅可能性市町村はネットワークでつなぎとめるだけ、撤退を見越した予算配分の減少が危惧されます。そもそもグローバル国家を目指した東京一極集中に象徴される従来の「選択と集中」の結果が人口減少社会ではないのか、少子化や地方衰退の原因分析が抜け落ちた議論だと言わざるをえません。
私は、これらの政策は泉谷市政8年間の歩みとも明確に相反するものではないかと思います。市長は6月議会で人口半減論に対して、今、ここを頑張ることで未来を変えることはできると、決意を述べています。決意はもちろん大切ですが、過疎は自然現象ではなく、あらゆる政策の結果です。自治体消滅論に対しては、決意だけでなく的確な批判、反論の視点を持って立ち向かっていかないと珠洲は危ない、そんな危機感を私は持っています。自治体消滅論の根拠や狙いについて市長の見解をお聞きしたいと思います。
自治体消滅論を導く数値に対する批判の一つとして、2011年の東日本大震災以後加速している都市の若者の農山漁村への移住の流れが反映されていないという指摘があります。全国の全体像を示すデータはありませんが、たとえば東京にあるNPO法人「ふるさと回帰支援センター」の移住相談件数は、2008年の約2900件に対して2013年は1万1千件と3.8倍の伸びで、しかも過半数が40代以下で、約7倍の増加とのこと。鳥取県では2011年度に504人だった移住者が2013年度には1.9倍の962人に増え、「消滅する自治体」とされた鳥取県日南町では3年間で人口の2%にあたる102人が移住しています。珠洲でいうなら約300人が移住してきたことになります。島根県隠岐諸島の「消滅する自治体」海士町は人口の1割以上を移住者が占め、社会増が起きています。島根県では8割以上の自治体が消滅リストに上がっていますが、この海士町を含め、離島や山間部の町村では近年、人口の社会増が実現し、公民館・小学校区単位の調査では、山間部を中心に県内33%の区で4歳以下の子どもの数が増えているとのこと。ということは若い移住者が増えていることを意味します。
若者が西日本に向かう理由の一つに、福島第一原発事故による放射能汚染への不安も指摘されています。しかし、大阪や神戸、博多などの都会でなく、過疎が進んだ農山漁村に向かう点にこそ注目しなければなりません。こうした流れの背景には若者の暮らしや仕事に対する意識の変化、価値観の問い直しがあり、一方で受け入れ側に地域の資源を活かした魅力的な地域づくりが広がっている点が指摘されています。この傾向は、数こそ少ないとはいえ珠洲でも現われているのではないでしょうか。市長は北陸新幹線金沢開業や朝ドラの放映などを上げて追い風と称しています。どんな風でも受けとめる努力はしなければなりませんが、さらに大きな時代の追い風こそしっかりと受け止める取り組みが大切ではないでしょうか。所見を聞きします。
<里山里海の土地政策について>
次にこのような都市の若者を迎え入れる上でも不可欠な里山里海の保全・活用に係る土地政策についてお聞きします。
珠洲市の面積は247.2平方キロメートル。第5次珠洲市総合計画によると土地利用区分として都市地域、農業地域、森林地域、自然公園、自然保全地域に分けられ、「自然の恵みと共生した適正な開発を誘導し、長期的かつ広域的な視野に立った総合的な土地利用を目指します」と記されています。しかし、その具体的な手立ては十分整えられているでしょうか。
具体的には市内の土地利用規制は、都市計画法や農地法、農業振興地域の整備の関する法律、森林法、そして自然公園法など各種法令によって個別に規制されています。これら法令に加え、県は土地対策指導要綱で開発行為に対する指導権限を定め、また、いしかわ景観総合条例および景観総合計画によって景観形成の基本的な方針を示しています。こうした大枠の中、本市としての対応となると都市計画法に基づいて都市計画区域は定められていますが、用途制限を行う市街化区域までは定められていません。また、七尾市は能登島地区での土地対策指導要綱、白山市も土地開発指導要綱を定めるなど他の市町の中には独自に、より地域に密着した土地利用規制をおこなっているところもありますが、本市ではそのような対応はとられていません。推察するに、飯田、上戸、直といった市内中心部でも土地には比較的余裕があり、あえて用途区域を指定するまでもないと考えてきたこと、さらに言うならば、規制を検討しなければならないような規模の企業は、進出のあてもなかったことなどが独自の対応をしてこなかった主たる理由ではないかと思います。
しかし世界農業遺産に認定された今、その期待に相応しい景観が維持されているのか、あるいは20年、30年前の市内の景観と比べたときどうなのかといった視線で市内を眺めたとき、法律や県の基準はクリアしていても、後退している景観があちこちあるように思います。GIAHSに認定された今、より高いレベルの景観の保全が求められているのではないでしょうか。
そこで質問の一点目ですが、里山里海の確実な保全と市の活性化を両立させるため、土地利用の適正化に向けて、市がより踏み込んで指導や規制、誘導ができるよう土地対策条例、あるいは要綱を策定すべきではないかと思いますがいかがでしょうか。
質問の2点目。GIAHSのリストには掲載されてなくとも保全することが望ましい里山里海は市内至る所にあります。また、里山里海の眺望景観はさらに広域に広がっています。県の景観総合計画では珠洲は能登外浦エリア、能登内浦エリアとして、主に海岸景観と幹線道路沿いを中心に景観形成方針が示されています。また日置地区の海岸線が昨年度、「奥のと里海日置」として景観形成重点地区に指定されました。対象となったエリアではきめ細かく規制される行為や規模などが決められています。しかし、市内に大きく広がる里山エリアについては幹線道路沿いを除いて対象とはなっていません。もちろんすべての地域が景観条例の対象となりますと、景観は維持できても、私有財産の活用に縛りも厳しくなってしまいます。県の里山創生ファンドに対して本市には基準の緩やかな里山里海応援基金があるように、景観についても県の景観条例ほどの厳しさは求めないけれど、地域住民の合意形成の下、ここの景観、ここの眺望は素晴らしいからできるだけ守っていこう、そんな保全に努める里山・里海エリアを認定していってはどうかと思いますがいかがでしょうか。
関連してもう一点、市内には400haもの耕作放棄地が存在します。市の面積の1.6%にあたります。耕作が再開される可能性のある土地もあるとは思いますが、所有者が高齢化し、後継者も不在で営農再開の可能性はなく、農業法人などの参入も見込めず、放置状態が続いている土地も少なからずあります。国土全体で見れば農地は国民の食料の安定供給のための貴重な資源ですから、安易に他の目的への転用や譲渡を認めることは厳に慎まなければなりません。しかし、耕作再開が困難であるにも関わらず所有し続けなければならないとしたら、農地の評価額は低いとはいえ長年にわたる税負担も含め、厳しいものがあるのではないでしょうか。現在、他の用途を可能にする非農地証明には、20年間以上耕作が放棄され、原野化するなど耕地として復元が困難なことが基準とされているようです。地域資源の有効活用という意味でも、里山里海の景観に影響を及ぼさない土地については、非農地証明の基準を緩和し、他用途への利用方策を探る道を開いていってはどうかと思いますがいかがでしょうか。
<次期行財政改革プランについて>
次に次期行財政改革プランについてお聞きします。現在実施されている珠洲市行財政改革推進プランの計画年度は平成22年度から26年度、すなわち今年度までの計画期間となっています。次期プランは今年度末までには策定されるものと思っていますが、策定作業の進捗状況についてまずお聞きしたと思います。
いまなぜこのような質問をするかと言いますと、平成22年度からスタートしたことになっている現在の行革プランが策定されたのは平成23年の3月。つまり実際にスタートしたのは23年度からで、22年度は行革プランの空白期間となっているからです。その理由を私は承知していませんが、それまでの4次にわたる行革の推進で大幅な職員数の削減、事務事業の見直し、組織機構の改革などを推し進め、ようやく財政破たんの危機を切り抜けた安ど感があったのでしょうか。それともまさに大幅な職員数の削減で次期計画策定に手が回らなかったのでしょうか。
いずれにしても行財政改革に終わりなし。空白はあってはならないと思います。
現在の珠洲市の財政は今議会に提出された昨年度の決算や、決算数値に基づく財政健全化判断比率をみてもいずれも改善されています。だからと言って次なる改革の課題がなくなったわけではありません。市民の皆さんの行政に対するニーズは社会経済情勢と共に変化するものであり、またさきほど触れましたように安倍政権の骨太の方針2014で地方行政を取り巻く環境も大きく変えられようとしています。地方制度調査会の議論もさらなる分権改革に向けて先を走っています。
先の市長選における市長のマニフェストでは1番目に行財政改革に鋭意取り組むと約束されています。そこで、次なる行財政改革プランにおける改革の柱として何を考えておられるのかお聞きをしておきたいと思います。
今議会の提案説明で市長は、「市民の皆様とともに、本市の『質』を高め」豊かなで住みよい珠洲市を築いていきたい旨の決意を述べられました。まさに市民との連携と市の質を高めること、この二つが次期行革の柱ではないかと私は考えます。量はかなり減らしてきた、そしてこれからも増えることのない時代にあっても地域の質は落とさず、さらに高めていかなければなりません。質が大事だということはあちこちの行政がすでに言っていますが、注意しなければならないのは、質のモノサシを行政が一方的に決めて、自画自賛になってはいけないということです。求められる質は市民の皆さんの声を聞き、市民合意のなかで決めなければなりません。
そこで現在の行財政改革プランにも盛り込まれている「市民との協働社会の構築」が掛け声倒れに終わらぬよう、次期プラン作成にあたってはパブリックコメントや地区説明会など市民の声を聴く場も設けるべきと思いますが如何でしょうか。
<子どもの権利条例の制定について>
質問の最後は子どもの権利条例の制定についてです。
過疎化・少子化が進行する中にあっても、地域にできる限り学校を残していこうというのが本市の方針です。これに対して、さる7月29日の新聞各紙は「小規模校の統廃合加速」という見出しで、政府が統廃合を積極的に後押しする方針を固めたことを報じました。指針に強制力はありませんが、市内の小中学校はどうなるんだろうと不安に感じた市民もおられるのではないでしょうか。この翌日、いつもは政府の方針に支持を表明することが多い地元紙が、「過疎防止の観点も大事に」という社説を掲げ、小規模校をあえて統合しない過疎地域の取り組みは尊重する必要があるとの見解を示しました。ここで少し安堵した市民もいるかもしれません。
先ほど島根県の消滅自治体の人口増を紹介しましたが、その中の一つに邑南町という山あいの町があります。この邑南町には小学校が8校あり、そのうち5校が児童数40人以下とのこと。珠洲よりやや厳しい状況のようですが、統廃合はまったく念頭にないそうです。昨年はまち全体で20人の人口増となり、20代から30代の女性は5年間で13人増えているとのことです。過疎地域にとって学校は必要という主張を裏付けるものです。
ただ、このような議論には子どもたちにとってそういう環境が果たしていいのか、悪いのかという最も大切な論点が抜け落ちています。地域のために子どもを犠牲にするのかという主張もときには聞かれるわけです。本当に子どもにマイナスの環境ならば小規模校の再編もやむを得ないでしょう。
少し遠回りになりましたが、今回、子どもの権利条例について取り上げたのは、過疎地や小規模校での子どもたちの姿をどう受け止めるかという議論をするとき、条例の前提となる子どもの権利条約で確認された子ども観が非常に重要だと思うからです。
子どもの権利条約は10年間におよぶ国連での審議を経て1989年、全会一致で採択されました。子どもを権利の主体と明確に認めたという点で、世界各国に子ども観の転換を迫るものでした。日本でも様々な戸惑いと多くの議論を経ながらも、1994年、この条約は批准されました。
もっとも、条約を具体化する責務を負った政府のその後の動きは、はっきり言って鈍いと言わざるをえません。この間、自治体の動きが先行し、2000年の「川崎市子どもの権利に関する条例」を皮切りに、多治見市、札幌市、旭川市、松本市など、条例制定の動きは確実に全国に広がっています。名称が類似し、内容が異なる条例も存在するため、条例数の集計は困難ですが、県内では白山市が2006年、全国では12番目となる白山市子どもの権利に関する条例を制定し、内灘町が2011年に続いています。
これらの条例に共通するのは、従来、子どもは社会や大人から保護される対象、あるいは指導、管理される対象として、いわば児童福祉や教育サービスの消費者的な存在として捉えられていたのに対し、あくまで権利行使の主体である一人の人間として捉えます。理念条例にとどまらず、具体的な権利を明示し、自治体や住民、あるいは事業者の責務を定め、行動計画や権利の救済についても定めるなど、子どもに関する総合的な施策の展開へとつなげています。
川崎市の条例では「子どもは大人とともに社会を構成するパートナーである」とし、現在の社会の一員として、また将来の社会の担い手として固有の役割があり、参加する権利があるとしています。学校の規模の大小、地域の過疎・過密に関わらず、こうした子ども観、そして子どもの権利についての考え方を踏まえることは大切ですが、相対的に小規模校、あるいは過疎地域の方が一人の人間としてその存在感や役割は大きくなります。学校行事はもちろんのこと、たとえば祭りなどの伝統行事への関わりも単なる体験学習の場ではなく、地域社会の構成員の1人として行事を担う固有の役割があり、それは権利としても保障されていると考えるのが子どもの権利条例です。まさにいま、日本の子どもたちにもっとも欠けている自己有用感、自己肯定感を高めることにもつながります。
意見表明権は子どもの権利条約の中でも特に重要な権利とされています。親子議会での子どもたちからの質問に対して市長は、いわゆる子ども扱いではなく、真正面から丁寧に答弁されています。子どもたちの意見表明権、そして市政へ参加する権利を保障し、尊重する姿勢がそこにはあると思いますが、まさにそういう子ども観を市民の間に醸成し、共有しようというのが子どもの権利条例です。
話を小規模校に戻しますと、子どもをサービスの受け手として見るならば、クラス替えがない、部活も選べないといったサービスレベルの低さに目が行くかもしれません。しかし、権利行使の主体として見たとき、1人ひとりの存在がより尊重され、参加する権利、発言する権利など人権がより保障されやすい環境ともいえるでしょう。学び、育つ環境として決してマイナスではない、むしろプラスだからこそ若い子育て世代が田舎に向かう流れが強まっているのではないでしょうか。
子育て支援策や学校教育のさらなる充実が求められる中、市民の間で以上述べたように子どもたちを権利の主体と認める共通の子ども観をベースに総合的な子ども政策を展開していく意義は大きく、子どもの権利条例をぜひ制定すべだと思います。見解をお聞きし、質問を終わらせていただきます。
8人が登壇し、現在進行中の土砂災害への対応や、先般、国が示した津波高推計に対する対応など防災対策を5人が質問。
また、先月の木浦ビレッジのオープンや、今議会で国民宿舎能登路荘の改修予算が計上されていることもあり、観光施策にも多くの質問が飛んだ。
私の質問原稿は以下の通り。
長いですが(質問時間29分)、少し気合を入れて読んでみてください<(_ _)>
答弁は近日中に報告しますが、主なものについて。
・能登国1300年キャンペーンについては、趣旨については賛同してもらい「GIAHS推進協議会や能登半島広域観光協議会で議論していく」とのこと。
・子どもの権利条例については、答弁の流れからして今回はボツかと思ったが「先行事例や周辺自治体の動向を参考に今後、検討していきたい」とのことで首の皮がつながった感じ。わずか一項目の問いだけど2200字を費やした甲斐があった?
・里山里海の土地利用計画については、今後策定予定の総合指針を検討する中で「本市として守るべき景観を有する区域について、土地利用計画や保全区域設定に関する検討を進めたい」とのこと。
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県都金沢の政治が大きく揺れています。わずか一カ月前には誰も予想しなかった展開に、あらためて一寸先は闇の世界だと感じています。県都にふさわしいまちづくりの理念と政策が大いに議論される選挙を期待し、さっそく質問に入らせていただきます。
<「能登国」1300年に向けて>
市制施行60周年の記念式典が終わりました。メモリアルイベントはその意義を明確にし、認識を広く共有し合うことによって次の一歩につながっていきます。60周年は珠洲市60歳の誕生会以上の成果を残せたでしょうか。発表された自然共生ロゴマークの今後の活躍如何といったところでしょうか。
まず市政60周年の次は「能登国」立国1300年ということで質問させていただきます。
平安初期の歴史書「続日本紀」によれば、養老2年、西暦718年の5月2日、羽咋、能登、鳳至、そして珠洲の4郡が越前国から独立し、能登国を建国したとされています。奈良に都ができて8年目。現在の行政区で言いますと津幡町の一部から以北とのことです。4年後の2018年は「能登国」立国から1300年という節目の年となります。
能登国1300年に着目するのは単に切りのいい歴史の節目だからではありません。能登の里山里海の価値はこの1300年という歴史の積み重ねと切り離して考えることはできないからです。世界農業遺産GIAHSの申請書によれば、能登半島の農業システムのルーツは1300年前の奈良時代にまで遡るとのことです。少し引用しますと「能登半島という地域は、1300年以上の歴史の中で育まれてきた豊かな農村文化の伝統を持つ社会生態学的生産ランドスケープのモザイクで、漁業・農業及び林業と言った人間の活動に対する総合的なアプローチは、現在でも近代的な考え方と共存し続けている」と、やや難しい言い回しですが、能登の里山・里海の特徴や世界的な重要性を明らかにしています。近代の社会システムの中にあって、実は至るところで古代から中世、近世と連綿と続く数多くの農耕文化や風習が日々の暮らしや生業の中で息づき、そして生態系が維持されている、この共存、共生関係が先進国で初のGIAHS認定に至ったということかと思います。
1300年の節目は能登に住む私たちにとってGIAHS認定の意義や能登の里山里海の価値をより深く学ぶ絶好の機会です。加えてGIAHS認定エリアである能登4市5町の一体感の醸成、北陸新幹線金沢開業後の対外的なアピール効果も期待されます。能登4市5町が連携し、能登の里山里海の歴史をアピールする「能登立国1300年キャンペーン」を2018年に向けて展開してはと思いますが、市長の所見をお聞きします。
8月6日には県レベルでのGIAHS認定5地域の広域連携推進会議が発足し、来年のミラノ万博にも出展することが決まりました。国内で新たに認定地域の仲間入りを目指す動きも広がっています。先輩格の能登の取り組みが一段と注目されています。
関連してもう一点、能登立国の718年は珠洲にとっても特別の意味があります。珠洲という地名の語源については諸説あるようですし、さらにその表記についても、その昔、出雲風土記では都という文字を二つ続けて「都都(つつ)」とあり、風土記には須須神社の須須が使われています。そんな中、能登立国を記録した続日本紀の能登立国の記録では、能登国4郡の中の一つとして記された珠洲郡の文字に歴史上初めて現在の「珠洲」表記が登場となります。和銅6年、西暦713年に出された「諸国の郡 郷名に好字を用いよ」との命令を受けてのものとも言われています。好字と言うのは良い意味を持った文字という意味です。
その後、平安後期以降は違った文字が当てられましたが、16世紀の後半、秀吉の天下統一あたりから再び現在の「珠洲」表記が復活し、江戸時代も引き続き使われました。さらに明治時代には古代の郡が行政単位となり「珠洲郡」が復活しました。その後、大正時代に郡制が廃止され「珠洲」は行政単位から単なる地理的名称になりましたが、60年前の合併で珠洲は市の名前として引き継がれ、今日に至っています。
大伴家持が真珠のように美しい輝きを持つ美しい洲(くに)との思いを抱いたとも言われる珠洲と言う表記、そこには先に述べたように自然と共生してきた1300年もの歴史が隠されています。県外にいくと「すず」と読んでもらうのにも苦労する珠洲市ですが、実は金沢よりも加賀よりも古い歴史があります。「珠洲」1300年の歴史は本市のブランド化の取り組みに大きな厚みを加えるものであり、大いに活かすべきだと思いますがいかがでしょうか。
<自治体消滅論について>
次の質問に移ります。
このような歴史のある珠洲市が消滅するかもしれない。そんな自治体消滅論が珠洲市をはじめ全国の多く過疎自治体に衝撃を与えました。震源は昨年秋から今年5月にかけて、元総務大臣の増田寛也氏が中心になってまとめた3本のレポートです。そこでは2040年における20代から30代の女性の人口を独自の手法で推計し、現状から半減以上する896自治体を消滅可能性都市とし、そのうち、さらに2040年に人口が1万人以下となる珠洲市を含めた523自治体が消滅する市町村とされました。
これらのいわゆる増田レポートについては、多くの学者や自治体関係者から、そもそも自治体消滅とは何かと言った入り口論から数値の推計手法も含め、様々な疑問や批判が提起されています。自治体が消滅すると言われると都市ではゴーストタウンがイメージされ、珠洲のような過疎地では廃屋と荒野が一面に広がるような光景が浮かびます。しかし、そのようなことは住民を強制移住させるか、原発の過酷事故でも起きない限り想定は困難です。自治体名が消滅するということならば昭和の大合併、平成の大合併による多くの例がありますが、地域全体の消滅はありません。
自治体消滅論はかなり乱暴な議論だと思いますが、反響は大きく、市町村消滅を必然の流れとして、東京をはじめとした人口集積地に予算を重点配分すべきという論調や、いずれ消滅するなら地域の再生はあきらめようという声も出てきているようです。
実はここが従来の人口減少論との決定的な違いです。人口減少による過疎対策は、文字通り、過疎を何とかしなければという対策ですが、自治体消滅論はそんなことはもう無駄だという宣告のようなものです。
日本行政学会会長や自治体学会代表運営委員などを歴任した大森彌東大名誉教授は、自治体消滅はおこらないと断言し、「起こるとすれば、自治体消滅と言う最悪の事態を想定したがゆえに、人々の気持ちが萎えてしまい、そのすきに乗じて『撤退』を不可避だと思わせ、人為的に市町村を消滅させようとする動きが出てくる場合である」と述べています。
自治体消滅論の意図するところ、まずはこうしたあきらめの世論形成であり、その先には過疎地をたたんでいこうという政策が待ち構えています。増田レポートの骨子はさっそく経済財政諮問会議に取り入れられ、そのまま、さる6月24日に公表された安倍政権の「骨太の方針2014」、正確に言いますと「経済財政運営と改革の基本方針2014」という政権の基本方針に盛り込まれました。これを受けて発足したのが第二次安倍改造内閣の目玉である「まち・ひと・しごと創生本部」です。
すでに来年度概算要求で地方創生関連の様々なメニューが打ち出され、秋の臨時国会では地方創生関連法案も提出されようとしています。各省庁間の予算争いや来春の統一自治体選挙対策も絡んでいますので政策の全体像は見えにくくなっていますが、その方向は消滅可能性の解消ではなく、地方中枢拠点都市圏への都市機能の集積化などに重点を置くものとなっています。キーワードは「選択と集中」。聞こえはいいですが、選択されない消滅可能性市町村はネットワークでつなぎとめるだけ、撤退を見越した予算配分の減少が危惧されます。そもそもグローバル国家を目指した東京一極集中に象徴される従来の「選択と集中」の結果が人口減少社会ではないのか、少子化や地方衰退の原因分析が抜け落ちた議論だと言わざるをえません。
私は、これらの政策は泉谷市政8年間の歩みとも明確に相反するものではないかと思います。市長は6月議会で人口半減論に対して、今、ここを頑張ることで未来を変えることはできると、決意を述べています。決意はもちろん大切ですが、過疎は自然現象ではなく、あらゆる政策の結果です。自治体消滅論に対しては、決意だけでなく的確な批判、反論の視点を持って立ち向かっていかないと珠洲は危ない、そんな危機感を私は持っています。自治体消滅論の根拠や狙いについて市長の見解をお聞きしたいと思います。
自治体消滅論を導く数値に対する批判の一つとして、2011年の東日本大震災以後加速している都市の若者の農山漁村への移住の流れが反映されていないという指摘があります。全国の全体像を示すデータはありませんが、たとえば東京にあるNPO法人「ふるさと回帰支援センター」の移住相談件数は、2008年の約2900件に対して2013年は1万1千件と3.8倍の伸びで、しかも過半数が40代以下で、約7倍の増加とのこと。鳥取県では2011年度に504人だった移住者が2013年度には1.9倍の962人に増え、「消滅する自治体」とされた鳥取県日南町では3年間で人口の2%にあたる102人が移住しています。珠洲でいうなら約300人が移住してきたことになります。島根県隠岐諸島の「消滅する自治体」海士町は人口の1割以上を移住者が占め、社会増が起きています。島根県では8割以上の自治体が消滅リストに上がっていますが、この海士町を含め、離島や山間部の町村では近年、人口の社会増が実現し、公民館・小学校区単位の調査では、山間部を中心に県内33%の区で4歳以下の子どもの数が増えているとのこと。ということは若い移住者が増えていることを意味します。
若者が西日本に向かう理由の一つに、福島第一原発事故による放射能汚染への不安も指摘されています。しかし、大阪や神戸、博多などの都会でなく、過疎が進んだ農山漁村に向かう点にこそ注目しなければなりません。こうした流れの背景には若者の暮らしや仕事に対する意識の変化、価値観の問い直しがあり、一方で受け入れ側に地域の資源を活かした魅力的な地域づくりが広がっている点が指摘されています。この傾向は、数こそ少ないとはいえ珠洲でも現われているのではないでしょうか。市長は北陸新幹線金沢開業や朝ドラの放映などを上げて追い風と称しています。どんな風でも受けとめる努力はしなければなりませんが、さらに大きな時代の追い風こそしっかりと受け止める取り組みが大切ではないでしょうか。所見を聞きします。
<里山里海の土地政策について>
次にこのような都市の若者を迎え入れる上でも不可欠な里山里海の保全・活用に係る土地政策についてお聞きします。
珠洲市の面積は247.2平方キロメートル。第5次珠洲市総合計画によると土地利用区分として都市地域、農業地域、森林地域、自然公園、自然保全地域に分けられ、「自然の恵みと共生した適正な開発を誘導し、長期的かつ広域的な視野に立った総合的な土地利用を目指します」と記されています。しかし、その具体的な手立ては十分整えられているでしょうか。
具体的には市内の土地利用規制は、都市計画法や農地法、農業振興地域の整備の関する法律、森林法、そして自然公園法など各種法令によって個別に規制されています。これら法令に加え、県は土地対策指導要綱で開発行為に対する指導権限を定め、また、いしかわ景観総合条例および景観総合計画によって景観形成の基本的な方針を示しています。こうした大枠の中、本市としての対応となると都市計画法に基づいて都市計画区域は定められていますが、用途制限を行う市街化区域までは定められていません。また、七尾市は能登島地区での土地対策指導要綱、白山市も土地開発指導要綱を定めるなど他の市町の中には独自に、より地域に密着した土地利用規制をおこなっているところもありますが、本市ではそのような対応はとられていません。推察するに、飯田、上戸、直といった市内中心部でも土地には比較的余裕があり、あえて用途区域を指定するまでもないと考えてきたこと、さらに言うならば、規制を検討しなければならないような規模の企業は、進出のあてもなかったことなどが独自の対応をしてこなかった主たる理由ではないかと思います。
しかし世界農業遺産に認定された今、その期待に相応しい景観が維持されているのか、あるいは20年、30年前の市内の景観と比べたときどうなのかといった視線で市内を眺めたとき、法律や県の基準はクリアしていても、後退している景観があちこちあるように思います。GIAHSに認定された今、より高いレベルの景観の保全が求められているのではないでしょうか。
そこで質問の一点目ですが、里山里海の確実な保全と市の活性化を両立させるため、土地利用の適正化に向けて、市がより踏み込んで指導や規制、誘導ができるよう土地対策条例、あるいは要綱を策定すべきではないかと思いますがいかがでしょうか。
質問の2点目。GIAHSのリストには掲載されてなくとも保全することが望ましい里山里海は市内至る所にあります。また、里山里海の眺望景観はさらに広域に広がっています。県の景観総合計画では珠洲は能登外浦エリア、能登内浦エリアとして、主に海岸景観と幹線道路沿いを中心に景観形成方針が示されています。また日置地区の海岸線が昨年度、「奥のと里海日置」として景観形成重点地区に指定されました。対象となったエリアではきめ細かく規制される行為や規模などが決められています。しかし、市内に大きく広がる里山エリアについては幹線道路沿いを除いて対象とはなっていません。もちろんすべての地域が景観条例の対象となりますと、景観は維持できても、私有財産の活用に縛りも厳しくなってしまいます。県の里山創生ファンドに対して本市には基準の緩やかな里山里海応援基金があるように、景観についても県の景観条例ほどの厳しさは求めないけれど、地域住民の合意形成の下、ここの景観、ここの眺望は素晴らしいからできるだけ守っていこう、そんな保全に努める里山・里海エリアを認定していってはどうかと思いますがいかがでしょうか。
関連してもう一点、市内には400haもの耕作放棄地が存在します。市の面積の1.6%にあたります。耕作が再開される可能性のある土地もあるとは思いますが、所有者が高齢化し、後継者も不在で営農再開の可能性はなく、農業法人などの参入も見込めず、放置状態が続いている土地も少なからずあります。国土全体で見れば農地は国民の食料の安定供給のための貴重な資源ですから、安易に他の目的への転用や譲渡を認めることは厳に慎まなければなりません。しかし、耕作再開が困難であるにも関わらず所有し続けなければならないとしたら、農地の評価額は低いとはいえ長年にわたる税負担も含め、厳しいものがあるのではないでしょうか。現在、他の用途を可能にする非農地証明には、20年間以上耕作が放棄され、原野化するなど耕地として復元が困難なことが基準とされているようです。地域資源の有効活用という意味でも、里山里海の景観に影響を及ぼさない土地については、非農地証明の基準を緩和し、他用途への利用方策を探る道を開いていってはどうかと思いますがいかがでしょうか。
<次期行財政改革プランについて>
次に次期行財政改革プランについてお聞きします。現在実施されている珠洲市行財政改革推進プランの計画年度は平成22年度から26年度、すなわち今年度までの計画期間となっています。次期プランは今年度末までには策定されるものと思っていますが、策定作業の進捗状況についてまずお聞きしたと思います。
いまなぜこのような質問をするかと言いますと、平成22年度からスタートしたことになっている現在の行革プランが策定されたのは平成23年の3月。つまり実際にスタートしたのは23年度からで、22年度は行革プランの空白期間となっているからです。その理由を私は承知していませんが、それまでの4次にわたる行革の推進で大幅な職員数の削減、事務事業の見直し、組織機構の改革などを推し進め、ようやく財政破たんの危機を切り抜けた安ど感があったのでしょうか。それともまさに大幅な職員数の削減で次期計画策定に手が回らなかったのでしょうか。
いずれにしても行財政改革に終わりなし。空白はあってはならないと思います。
現在の珠洲市の財政は今議会に提出された昨年度の決算や、決算数値に基づく財政健全化判断比率をみてもいずれも改善されています。だからと言って次なる改革の課題がなくなったわけではありません。市民の皆さんの行政に対するニーズは社会経済情勢と共に変化するものであり、またさきほど触れましたように安倍政権の骨太の方針2014で地方行政を取り巻く環境も大きく変えられようとしています。地方制度調査会の議論もさらなる分権改革に向けて先を走っています。
先の市長選における市長のマニフェストでは1番目に行財政改革に鋭意取り組むと約束されています。そこで、次なる行財政改革プランにおける改革の柱として何を考えておられるのかお聞きをしておきたいと思います。
今議会の提案説明で市長は、「市民の皆様とともに、本市の『質』を高め」豊かなで住みよい珠洲市を築いていきたい旨の決意を述べられました。まさに市民との連携と市の質を高めること、この二つが次期行革の柱ではないかと私は考えます。量はかなり減らしてきた、そしてこれからも増えることのない時代にあっても地域の質は落とさず、さらに高めていかなければなりません。質が大事だということはあちこちの行政がすでに言っていますが、注意しなければならないのは、質のモノサシを行政が一方的に決めて、自画自賛になってはいけないということです。求められる質は市民の皆さんの声を聞き、市民合意のなかで決めなければなりません。
そこで現在の行財政改革プランにも盛り込まれている「市民との協働社会の構築」が掛け声倒れに終わらぬよう、次期プラン作成にあたってはパブリックコメントや地区説明会など市民の声を聴く場も設けるべきと思いますが如何でしょうか。
<子どもの権利条例の制定について>
質問の最後は子どもの権利条例の制定についてです。
過疎化・少子化が進行する中にあっても、地域にできる限り学校を残していこうというのが本市の方針です。これに対して、さる7月29日の新聞各紙は「小規模校の統廃合加速」という見出しで、政府が統廃合を積極的に後押しする方針を固めたことを報じました。指針に強制力はありませんが、市内の小中学校はどうなるんだろうと不安に感じた市民もおられるのではないでしょうか。この翌日、いつもは政府の方針に支持を表明することが多い地元紙が、「過疎防止の観点も大事に」という社説を掲げ、小規模校をあえて統合しない過疎地域の取り組みは尊重する必要があるとの見解を示しました。ここで少し安堵した市民もいるかもしれません。
先ほど島根県の消滅自治体の人口増を紹介しましたが、その中の一つに邑南町という山あいの町があります。この邑南町には小学校が8校あり、そのうち5校が児童数40人以下とのこと。珠洲よりやや厳しい状況のようですが、統廃合はまったく念頭にないそうです。昨年はまち全体で20人の人口増となり、20代から30代の女性は5年間で13人増えているとのことです。過疎地域にとって学校は必要という主張を裏付けるものです。
ただ、このような議論には子どもたちにとってそういう環境が果たしていいのか、悪いのかという最も大切な論点が抜け落ちています。地域のために子どもを犠牲にするのかという主張もときには聞かれるわけです。本当に子どもにマイナスの環境ならば小規模校の再編もやむを得ないでしょう。
少し遠回りになりましたが、今回、子どもの権利条例について取り上げたのは、過疎地や小規模校での子どもたちの姿をどう受け止めるかという議論をするとき、条例の前提となる子どもの権利条約で確認された子ども観が非常に重要だと思うからです。
子どもの権利条約は10年間におよぶ国連での審議を経て1989年、全会一致で採択されました。子どもを権利の主体と明確に認めたという点で、世界各国に子ども観の転換を迫るものでした。日本でも様々な戸惑いと多くの議論を経ながらも、1994年、この条約は批准されました。
もっとも、条約を具体化する責務を負った政府のその後の動きは、はっきり言って鈍いと言わざるをえません。この間、自治体の動きが先行し、2000年の「川崎市子どもの権利に関する条例」を皮切りに、多治見市、札幌市、旭川市、松本市など、条例制定の動きは確実に全国に広がっています。名称が類似し、内容が異なる条例も存在するため、条例数の集計は困難ですが、県内では白山市が2006年、全国では12番目となる白山市子どもの権利に関する条例を制定し、内灘町が2011年に続いています。
これらの条例に共通するのは、従来、子どもは社会や大人から保護される対象、あるいは指導、管理される対象として、いわば児童福祉や教育サービスの消費者的な存在として捉えられていたのに対し、あくまで権利行使の主体である一人の人間として捉えます。理念条例にとどまらず、具体的な権利を明示し、自治体や住民、あるいは事業者の責務を定め、行動計画や権利の救済についても定めるなど、子どもに関する総合的な施策の展開へとつなげています。
川崎市の条例では「子どもは大人とともに社会を構成するパートナーである」とし、現在の社会の一員として、また将来の社会の担い手として固有の役割があり、参加する権利があるとしています。学校の規模の大小、地域の過疎・過密に関わらず、こうした子ども観、そして子どもの権利についての考え方を踏まえることは大切ですが、相対的に小規模校、あるいは過疎地域の方が一人の人間としてその存在感や役割は大きくなります。学校行事はもちろんのこと、たとえば祭りなどの伝統行事への関わりも単なる体験学習の場ではなく、地域社会の構成員の1人として行事を担う固有の役割があり、それは権利としても保障されていると考えるのが子どもの権利条例です。まさにいま、日本の子どもたちにもっとも欠けている自己有用感、自己肯定感を高めることにもつながります。
意見表明権は子どもの権利条約の中でも特に重要な権利とされています。親子議会での子どもたちからの質問に対して市長は、いわゆる子ども扱いではなく、真正面から丁寧に答弁されています。子どもたちの意見表明権、そして市政へ参加する権利を保障し、尊重する姿勢がそこにはあると思いますが、まさにそういう子ども観を市民の間に醸成し、共有しようというのが子どもの権利条例です。
話を小規模校に戻しますと、子どもをサービスの受け手として見るならば、クラス替えがない、部活も選べないといったサービスレベルの低さに目が行くかもしれません。しかし、権利行使の主体として見たとき、1人ひとりの存在がより尊重され、参加する権利、発言する権利など人権がより保障されやすい環境ともいえるでしょう。学び、育つ環境として決してマイナスではない、むしろプラスだからこそ若い子育て世代が田舎に向かう流れが強まっているのではないでしょうか。
子育て支援策や学校教育のさらなる充実が求められる中、市民の間で以上述べたように子どもたちを権利の主体と認める共通の子ども観をベースに総合的な子ども政策を展開していく意義は大きく、子どもの権利条例をぜひ制定すべだと思います。見解をお聞きし、質問を終わらせていただきます。
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