北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

12月議会一般質問(またまた反省)

2011-12-13 | 珠洲市議会
 12月定例会一般質問。
 8人が登壇し、私は6番目。

 質問項目は過去2回の半分程度。項目を減らしてじっくり取り上げる方針でいったが、原稿の量は前回並み。持ち時間は30分で、前回は1分30秒ほど残したので、今回も楽勝と思ったが前半ゆっくり話しすぎて、最終版は駆け足になってしまった。

 失敗の原因は登壇直後にある。開始時間をチェックするのを忘れて質問開始してしまったのだ。
 これまでは経過時間をチェックしながら原稿を読むスピードを調整していたが、今回は経過時間がわからなくなってしまった。
 途中でしまった!と思ったが、このペースで大丈夫だろうとたかをくくっていたのがまずかった。残り五分で議長から注意があるが、この時点でまだ2000字程度残っている。
 やばい!!直接の質問箇所を飛ばさないようにしながら、途中の原稿を飛ばし読み。
 なんとか29分40秒で終了。珠洲市議会は質問時間の「ロスタイム」が認められていなので冷や汗ものだ。

 答弁は数日中に要旨を掲載したいが、学校の多忙化対策と原発関係を除けば、満足とまではいわないが、まずまず丁寧な答弁であった。
 
 8人が登壇後、関連質問がおこなわれたが、なんと5人が登壇。過去最高だが、これが関連質問?というものも。活発な議会審議は結構なことだが、適切な関連質問は今後の課題か。
 
 用意した一般質問の原稿は以下の通り。
 もちろん正式な議事録ではないし、特に最後の方は飛ばしたところもあるが、せっかく書いたのでそのまま掲載。
 あくまで事前に用意した原稿ということでご覧ください。

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日本の歴史の大きな転換期とすべき2011年があと18日で暮れようとしています。果たして本当にここで日本は変わるのか、変われるのか。東日本大震災の記憶の風化が早くも指摘されています。記憶の劣化だという厳しい指摘もあります。人の記憶の半減期は放射能の半減期より短いとの嘆きも聞かれます。この秋、私自身被災地を訪れ、あるいは被災地の方の話を聞く多くの機会に恵まれました。一言ひとことを胸に刻み、被災地の光景を目に焼き付け、今後の活動に生かしていきたいと思います。

まず、珠洲のブランド化についてお聞きします。
市長は常々「自然と共生する珠洲市として、珠洲市そのものをブランド化していきたい」との思いを述べておられます。議事録を検索すれば初めて登場するのが3年前の3月議会。「本市そのものが地域としてブランド化するよう様々な努力を重ねてまいりたい」との発言があります。
ブランドといえば高級品を思い浮かべ、私などプライスカードをみただけで引いてしまいますが、それはあくまで一般の商品の話。地域ブランド化の取り組みは多くの自治体で取り組まれています。担当部局を置き、目的意識をもって取り組んでいる自治体もあれば、自治体固有の歴史、伝統の中でブランド化された地域もあります。
「輪島」といえば朝市、目じりに皺のよった優しそうなおばあさんの「こうてってくだしね」と声が聞こえてきそうです。あるいは輪島塗。吸い込まれそうな漆の輝きが浮かんできます。「金沢」といえば加賀百万石。兼六園のことじ灯篭や武家屋敷、友禅、金箔、豪華な九谷焼に盛り付けられた加賀料理と「百万石」にふさわしい伝統の厚みに裏付けられた文化の香りがしてきます。「沖縄」といえば青い海と青い空。日本中どこにも青い空と青い海はあっても、やはり沖縄は一味もふた味も違います。琉球王朝時代からの独自の文化が「沖縄」の魅力をさらに高めています。由布院は温泉を核に住民による様々なイベントと地道なまちづくりで全国ブランドに押し上げた典型的な例だろうと思います。
いずれも地域がブランド化され、朝市は全国各地にあっても輪島の朝市に行ってみたい、あるいは伝統料理は日本中にあっても、せっかく金沢に来たんだから少々値段がはっても加賀料理を味わいたい、こんな風に差別化され付加価値がつき、観光客を引き付け、地域産品の価値を高めています。
さて、「自然と共生する珠洲市」のブランド化状況はどうでしょうか。風力発電の風車が30基、バイオマス施設もあり、世界農業遺産にも認定され、メガソーターも建設予定。ブランド化への道筋が見えてきたと市長は述べておられますが、果たしてどうでしょうか。
「自然と共生する珠洲市」。言わんとするところ、私の思いとも重なりますが、率直に言って表現が役所内部の事業計画名ならいざしらず、様々なブランドが溢れるマーケットの中でアピールするにはインパクトに欠けるように思えてなりません。
たとえば同じく世界農業遺産に認定された佐渡。「朱鷺と暮らす郷」あるいは「朱鷺と共生する島」と、朱鷺をシンボルに差別化を図る戦略が練られています。
「珠洲市をブランド化する」とも言われます。しかし、ブランド化するのはたかだか57年の歴史の「珠洲市」ではなく、まして「珠洲市役所」でもりません。古の時代から「珠の洲(たまのしま)」といわれた「珠洲」ではないのでしょうか。
ブランド化すると宣言すればブランドになるというものではありません。ブランド化だといい続けてもブランドにはなりません。戦略が必要です。
頭脳明晰な市長ですから頭の中では戦略が組み立てられているのかもしれません。しかし、庁内はもちろん、市内の関係団体、市民の皆さんも巻き込んだ取り組みにしなければなりません。なにより消費者に浸透し、評価されてこそのブランドです。
そもそも地域ブランドとは何か、ブランド化していく目的は何か。地域の農産物の付加価値を高めるためか、観光客など交流人口の増加を図るためなのか、あるいは里山里海のイメージからIターン、Uターンを促進し定住人口の増加を図るのか。これら全部を絡めたものかもしれません。いずれにしましても珠洲ブランド化戦略を策定して、目的を明確に定め、課題や戦略などについて行政と市民が認識を共有し、推進態勢を整えていくべきではないかと思いますがいかがでしょうか。

 次の質問に移ります。
 まちなかバス「すずらん」。100円バスという方も多いようですが、車を持たない方、運転されない方など、いわゆる交通弱者の方のための貴重な移動手段であり、加えて飯田町周辺の活性化にとっても大切な取り組みだろうと思います。地元の方の利用もあるようですが、市内各地からバスで出てこられた方が病院へ行き、買い物もして、役所に用事があれば寄って、という利便性向上策だろうと思います。
しかし、乗客の姿を見かけることはあまりありません。先般の市長と語る会で年間乗客数の報告がありました。20年度、21年度は約2500人、昨年度は5割増の約3700人。といっても1日あたりは、運休の土日祝日を除いて、約14人。1日6巡していますから、一巡する間に乗る人は2人程度となります。
飯田町やその周辺以外に暮らす方と話していますと、「今の市長さんは飯田のことしかやらん。すずなり作って、わくわく広場つくって、人の乗らんバスを回して。飯田の市長さんやからしょうがないんかね」といった声をよく耳にします。
この批判が当たっているかどうかはともかく、やはり交通の不便なところに住んでおられる方のニーズと合致していないのではないかと思わずにはいられません。
 交通弱者とほぼ重複するかと思いますが、買い物弱者という表現もあります。住んでいる地域での日常の買い物や生活に必要なサービスを受けたりすることに困難を感じている人をいいます。病院には出かけなければならないが、ついでとはいえお店を回って買い物して帰るには、買い物袋を抱えてバスに乗るだけでも大変、バスから降りて家にたどり着くまでが実はもっと大変です。
 こうした中で、市内でも宅配の需要が急速に拡大しています。ある市外の事業者は、配送体制が追いつかず断っている状況だそうです。一回当たり210円の配達料で1週間分の食材が揃うなら、やはり便利です。
買い物弱者と言われる人たちは全国で600万人いると言われています。過疎地だけではなく都会の真ん中にもいます。県内では金沢市も買い物弱者支援サービス事業に取り組んでいますが、全国各地で実に様々なアイデア、工夫を凝らした地域の実情にあった買い物支援サービスが展開されています。事業主体も、個人商店や大手のスーパー、コンビニ、福祉関係のNPO、生産者グループ、あるいはタクシー会社も含め様々です。
売り上げアップが一番の目的であることはいうまでもありませんが、お客さんの生の声をたくさん聞く中で、店の品ぞろえやサービスのヒントをもらい、店づくりのプラスになった、あるいは、お年寄りにも魅力的な商店街にしようと工夫を凝らす動きが出てきたとう事例もあります。たとえすぐに売り上げにつながらなくても、「来週はうちの店で特売あるし、病院出たついでに100円バスに乗って寄ってくだいね」と声をかけるだけでもいいでしょう。「今度、2月の26日に飯田の商店街で珠洲まるかじりのイベントやるし食べに来てくだいね」と声をかけていくことも大切だろうと思います。
いま、商店街もお客さんが来てくれるのを待つ時代から地域にどんどん入っていく時代に入っているのではないでしょうか。大きく言えばまちづくりの基本的な方向性にもかかわる問題だとも思います。飯田など中心街に人を呼び込む前に、まずは中心街で商売をしている人たちがどんどん市内各地を回る、そんな双方向の流れをつくることが地域づくりの観点からも必要ではないでしょうか。
商店街の活性化策だけではなく、限界集落に近くなった集落があちこちに増えてきている中、一日に一回、郵便やさんが回ってくるだけでなく、宅配の人も回り、顔なじみが増えていくことは、地域の見回りという観点からも行政的には意味があるように思います。
もちろん、それぞれの会社やお店にはそれぞれの経営方針や経営判断がありますが、行政として誘導策を実施していくことは可能です。買い物支援サービスのビジネスモデルの提案を募り、事業の定着に向け支援制度を設けてはどうかと思いますがいかがでしょうか。

 次は今年のベースボール独立リーグで見事日本一に輝いた石川ミリオンスターズについてです。
 ベースボール・チャレンジ・リーグ、頭文字をとってBCリーグと呼ばれていますが、このBCリーグに所属する石川ミリオンスターズは、かつてチームに在籍した珠洲市出身の中居殉也コーチの縁もあり、チームが発足した2007年から珠洲市営野球場で公式戦を開催してきました。また試合後にはミリオンスターズの選手らによる野球教室も開催され、奥能登の子どもたちの野球のレベル向上だけでなく大きな夢を与えてきました。
 珠洲市もこの間、BCリーグの公式戦が開催できるよう外野の防護マットを設置する工事をおこない、その後もバックスクリーンやスコアボードの改修、ベンチ前の人工芝敷設などの工事を重ねてきました。建設費を含めれば4億円以上の予算が野球場に投入されています。その甲斐もあり奥能登でBCリーグの公式戦が開催できるのは珠洲市営野球場だけとなっています。加えて珠洲市野球協会の皆さんの運営への協力や市民の皆さんの支援などもあり、珠洲でプロ野球が観戦できるようになりました。
 輪島市や能登町、穴水町からも子どもたちはじめファンがやってきます。それどころかミリオンスターズの応援団、さらには相手チームの応援団など、市外県外からもファンが駆けつけ、はるばる珠洲まで来たんだからと観光巡りをして帰る方もおられます。
 そんなBCリーグ、ミリオンスターズの試合ですが、残念ながら今シーズンから1ゲームだけとなってしまいました。BCリーグとはいえプロの試合、グランドではスピードとパワーあふれるプレーが繰り広げられていますが、スタンドを見渡し、まばらな入場者では選手に申し訳ない気さえしてきます。
 日本のプロスポーツは、かつては企業の広告塔として大企業が支えてきました。地域でプロスポーツを支える動きは、被爆地ヒロシマの復興のシンボルともなった広島東洋カープくらいでした。しかし、1993年のJリーグの発足が大きな転機となり、バブル経済の崩壊とも重なり、プロスポーツも欧米のような地域密着型へと移行していきました。地域がプロスポーツを支え、一方で選手も様々な地域貢献をおこないます。優秀なマネジメントをする人がいるところでは地域活性化の新たな核にもなっています。アルビレックス新潟や浦和レッズなどはその典型です。
 石川県内でも石川ミリオンスターズをはじめ、サッカーのツエーゲン金沢、バスケットボールの石川ブルースパークスがプロスポーツとして活躍し、地域で支援する動きが拡大しています。金沢市は今年、地域密着型プロスポーツの支援活動を開始しました。各クラブの広報担当者との意見交換会の開催やミリオンスターズの市民応援デーを企画、2月にはファン感謝デーも予定しています。小松市も8月13日、弁慶スタジアム開設3周年を記念した「市民感謝デー」を企画し、ミリオンスターズの試合の無料入場引換券を配布、市民あげての応援の気運を盛り上げました。
地域密着型プロスポーツへの期待が高まる中、ミリオンスターズの試合開催が奥能登では珠洲市営野球場だけというのは実にありがたいことです。交流人口の拡大が大きな課題である本市にとって、市外、県外のファンを珠洲に呼び込めるチャンスです。シーズン2試合に戻ればさらに経済効果も期待でき、しかも2日連続の日程ならば、選手だけでなくファンも含めた宿泊が期待できます。球場は整備したので、あとは球団側でご自由に、ということでは行政の取り組みとして淋しすぎます。
プロスポーツを新たな地域資源として育成していくことは大きな社会の流れでもあり、将来的には県内他の自治体とも連携し、ミリオンスターズを盛り上げていく取り組みがあってもいいのではないかと思います。
市長は、今年は所要で欠席でしたが、例年は始球式で自慢の肩を披露されているとのこと。もう一歩踏み込んだ取り組みを期待したいと思います。珠洲市として石川ミリオンスターズの試合をいかに受け入れ、地域の中で活かしていくのか、今後の取り組みの方向性についてお聞きをしたいと思います。

質問の4点目は教育問題についてです。
まず、教職員の勤務実態についてです。
教職員の多忙化解消については6月議会で取り上げ、そして9月議会でも関連した質問をさせてもらいました。教職員の多忙化問題は、まさに教職員が子どもたちと向き合う時間をつくれないという意味において重大な問題であり、改善に向けた取り組みが早急に求められています。なぜ本腰を入れた取り組みが始まらないのか私には不思議でなりません。
あらためて言うまでもなく教職員の勤務時間については労働基準法が適用されますし、さらには県内公立学校教職員については「石川県学校職員の勤務時間、休日及び休暇等に関する条例」、いわゆる勤務時間条例が定められています。さらに勤務時間の適正な把握に関して、文部科学省は2006年4月3日付けで「労働安全衛生法等の一部を改正する法律等の施行について」という通達を各同道府県教育長あてに出しています。その中では、使用者は労働者の労働日ごとに始業、就業時間を確認し、記録すること、確認、記録の方法は、現認し記録するかタイムカード、ICカード等客観的な記録を基礎として確認、規則することされ、記録した書類は3年間の保存が義務付けられ、違反した場合は罰則規定があります。さらに労務管理責任者は労働時間管理上の問題点を把握し、解消を図ることとされています。
実は3年前にも赤坂議員が質問でこの通達に触れています。教育委員会としてこの通達を把握しておられれば、その後なんらかの多忙化解消策がとられていて当然だと思うわけです。
教育長は2006年のいわゆる4.3通達を把握しておられるのかまず確認をさせていただきたいと思います。
多忙化解消を進める第一歩は実態を正確に把握することから始まります。
そこで、市内小中学校教職員の服務監督の最終責任者である教育委員会として、ぜひ勤務実態調査を実施していただきたいと思いますが教育長、いかがでしょうか。

教育問題の2点目はインクルーシブ教育の推進についてです。
多くの皆さんにとって聞きなれない言葉かもしれませんが、「障害の有無にかかわらず、分け隔てられることのない共生社会」という意味になるインクルーシブ社会の実現が明記された障害者基本法の改正が2009年12月に成立しました。
この法律の第16条で、インクルーシブ教育について規定しています。
全文紹介しますと「国及び地方公共団体は、障害者が、その年齢及び能力に応じ、かつ、その特性を踏まえた十分な教育が受けられるようにするため、可能な限り障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ、教育の内容及び方法の改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない」とされています。
この条文で明らかにされている通り、インクルーシブ教育というのは、障害のあるなしにかかわらず、すべての子供を受け入れ、ともに育ち学び合う教育を意味します。
ところが文科省は、法律の意味をすり替え、特別支援教育の充実こそがインクルージブ教育への道だと考えております。
確かに、珠洲市においても七尾特別支援学校珠洲分校が開校し、これまで七尾や金沢方面の学校に通っていた子どもたちが自宅から通い、珠洲で学べるようになりました。能登町からの子も含め現在24人が学んでいます。また、市内の小中学校では12人の子どもたちが特別支援学級で学んでいます。障害をもった子どもたちも地域で学べるようになったことは評価できます。
しかし、特別支援教育が言われはじめてから特別支援学校、特別支援学級の設置とそこに通学する児童生徒が全国的にふえる傾向にあります。直接の関連はともかく、特別支援教育と並行して全国学力・学習状況調査が実施されました。このテストから障害児の答案用紙が除外され採点されていたことがニュースにもなりました。能力主義、効率主義の追求によって障害のある子は普通学級に居づらくなっています。共生社会どころか、さらなる分離、差別が行われようとしています。
特別支援学校や学級の必要性を否定するつもりはありませんが、普通学校の現場での豊かな教育実践も数多く報告されています。教育の内容や方法についても改善充実を図るよう法律で明記されました。普通学級で地域の友達と一緒に学びたい、生活したいという希望がストレートに叶うよう、インクルーシブ教育推進に向けての教育長の決意と今後の課題をお聞きしたいと思います。
あわせて、インクルーシブ教育への入り口とも言える障害児の就学や進学の決定にあたっては、障害のある子どもとない子どもが同じ場でともに学ぶことを原則としつつ、本人・保護者が望む場合には特別支援学校・学級を選択できるようにするべきと思いますが、教育長の見解をお聞きします。 

質問の最後は原発問題についてです。
福島第一原発の事故がいまだ収束をみず、事故原因の本格的な究明作業も今後の課題として残されています。
こうした中、原子力安全委員会はさる11月17日、原子力防災指針を見直しました。従来の原発から10キロメートルの防災対策重点地域EPZに代わり、新たに原発から5キロメートルを重大事故が起きたらすぐに避難する予防的防護措置準備区域PAZとし、30キロメートルを避難や屋内退避に備える緊急防護措置区域UPZ、50キロメートルをヨウ素剤の服用準備などをする被曝防護措置実施区域PPAとする指針を示しました。
国の議論と並行して全国の原発周辺地域では原子力防災計画、そしてそれに密接に関連する原子力安全協定についての議論が重ねられています。国の指針を待つとしていた谷本知事もようやく11月  11日、石川県としても原子力防災計画の見直し作業に着手すると表明しました。本来ならば、原子力防災の議論は拙速を避けるべきで、福島の事故を徹底的に検証し、教訓を十分に踏まえた計画策定に向けじっくりと知恵が絞られるべきです。しかしながら現在、全国各地の原発立地県の多くは、国の動きに先立って見直し議論を積極的に進めています。
その背景には2つの理由があると考えます。
一つは、多くの原発が停止しているとはいえ、今日現在いまだ8基の原発が稼働しており、さらに、たとえ停止中であっても、そこに核燃料がある限り危険であることが福島第一原発の事故、特に4号機の事故で明らかになったからです。自治体の責任として、悠長に構えているわけにはいきません。志賀原発は2基とも停止中ですが、危険性は認識しておかなければなりません。
もう一つの理由は、国および電力会社の再稼働への動きです。ストレステストが現在行われていますが、これによって再稼働の時期は若干遅れることはあっても、そもそも落第がない試験です。原子力防災計画見直し前の再稼働となっては、住民の安全を守れないという自治体の危機感があります。

 そんな中、谷本知事は再稼働の判断基準をあいまいにしており、なし崩し的な再稼働があるのではと多くの県民は不安を感じています。
 知事は事故原因の究明と安全対策の徹底が必要としています。しかし、東京電力や国は基本的には事原因は想定外の津波であり、津波対策として具体的には防潮堤の建設や非常用電源車の配備などで事足れりという立場です。国民意識とかけ離れ、専門的知見からも厳しい批判が寄せられています。
 私は再稼働反対、廃炉を求める立場ですが、しかし、仮に再稼働の是非を判断するというならば次の4つが最低限の物差しだろうと思っています。
まず、事故の完全な収束です。都合よく定義を変えて使っている冷温停止ではなく、外部への放射能の放出抑制など危険の封じ込めが求められます。2点目は事故原因の究明。地震原因説が多くの技術者、専門家から指摘されています。技術的な究明はもちろんですが、はじめに推進ありきの形骸化した規制体制にも踏み込んだ原因究明が求められます。3点目は安全対策の確立。事故の検証に基づく耐震設計審査指針など指針・基準の全面的な見直し、そして独立した規制行政機関によるチェックが求められます。そして、地元の同意です。そこには当然、原子力防災計画の見直しや安全協定の拡大が含まれてきます。地元も立地自治体だけではなく最低限PPAの範囲の自治体の同意が必要でしょう。知事はいまだに原子力防災計画の見直しを再稼働の反断基準として明言していないことも県民の大きな懸念材料となっています。
そこで市長にお聞きします。
6月議会で市長は、知事の志賀原発再稼働の判断にあたって「疑義が生じた際には直接知事にただしたい」と答弁されました。その一方で、再稼働の判断基準を問う地元紙のアンケートに対して「県と志賀町が了承すれば再開やむなし」との回答も寄せておられます。一貫性がなく理解不能です。市長にとって知事の対応をただす判断基準とは何でしょうか。この際、ぜひ明らかにしていただきたいと思います。

判断基準を持つことは大切ですが、私は6月議会の再質問でも触れたとおり、知事に疑義をただすという行為については、単なるパフォーマンスでしかないと思っています。なぜなら、知事は従来、再稼働の判断が迫られたとき、安全性については基本的に国の判断に従い、安心の確保は立地自治体である志賀町の意向がすべてでした。そしてそれらを全体として協議する場として副知事を会長とする原子力環境安全管理協議会、いわゆる安管協があります。そこでの協議の結論を踏まえて知事は最終判断をおこないます。
失礼ですが、市長が知事室まで足を運ばれても、せいぜいが「市長のご意見は受けたまりました。珠洲からわざわざご苦労さまでした」で終わります。権限をもたない珠洲の市長が安管協の判断を覆せるわけがありません。
行政の世界ですから、モノ申すときには、決められたルールの中、発言できる立場を獲得することが先決です。そのためにも、珠洲市長として北陸電力との原子力安全協定に当事者として、あるいはせめて立会人として参加し、併せて安管協の構成員に加えるよう北陸電力や県に申し入れるべきでだと私は考えますがいかがでしょうか。
さて、今議会の開会前日である12月5日、ようやく奥能登広域圏事務組合で志賀原発への対応について協議がはじまったとのことでした。私も以前から奥能登2市2町の連携を求めており、一歩前進と評価をしたいと思います。
安全協定はもちろん、原子力防災計画についても、私は奥能登2市2町ができる限り足並みをそろえることが大切だと考えます。
その際に忘れてならないのは、新たに示されたUPZ30キロメートル、PPA50キロメートルはあくまで目安であり、行政区域や地形などを考慮し、各地域で決めるべきと原子力安全委員会でも確認されています。半島先端で陸の孤島となる奥能登の特殊事情を踏まえた原子力防災計画になるよう、奥能登各自治体が連携し、県に働きかけるべきではないでしょうか
 最後にもう一点、提案をさせていただきます。
 安全協定や原子力防災計画の見直しを巡るこの間の議論は、枠組みの拡大が中心となっています。順番としてそれでもかまいませんが、そこで終わるような課題ではありません。
福島の事故を目の当たりにした私たちには防災計画の全項目の再検討が求められています。避難経路や移動手段の確保、ヨウ素剤の広域的配備はもちろん、長期的避難や移住、経済的補償、医療や福祉施設の避難体制や受け入れ先の整備、被曝医療の充実、モニタリング体制の充実、さらに奥能登では観光客や帰省客がピークとなる夏場対策も欠かせません。子どもたちの学習環境をいかに保障するかも大切な課題です。最大の被害を想定し、どこまでリアリティをもった計画にできるかが問われています。
福島の事故、そして被災者から学ぶことが何より大切です。奥能登広域圏事務組合として福島県内の被災地を視察し、事故の教訓や防災計画の課題などを学び、今後の志賀原発への対応に生かすべきだと考えます。市長の方から積極的に提案していかがかと思いますがいかがでしょうか。

以上をもちまして私の質問を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。




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