珠洲市議会6月議会の一般質問。
私を含め8人が登壇した。今回はなぜか初めて再質問は誰もなし。もちろん、答弁に満足というわけではないが、聞いてもこれ以上の答弁は出てこないという判断があったということ。テレビで傍聴している皆さんにはちょっとおもしろくなかったかも。
今日、明日は輪島市議会でも代表質問、一般質問である。
震災がれき問題を多くの議員が取り上げるはずで、今晩の議会関係のニュースは輪島だ。
以下、私の質問原稿。答弁は数日後にアップします。
「国民の生活が第一」と訴えて政権をとった民主党でしたが、野田内閣は16日、今度は「国民の生活を守るため」として大飯原発の再稼働を決定しました。3年前に民主党が語った「国民」には自分も含まれると多くの国民は受け止めました。今回、野田首相が使った「国民」に自分も含まれていると感じる国民は一体どれだけいるでしょうか。鳩山総理から菅総理、そして野田総理と振り返れば約2年と9か月、思えば遠くへ来たもんだという福島瑞穂社民党党首のコメントがありましたが同感です。
市長就任から丸6年、2期目の折り返しを迎えられた泉谷市長にはそのようなことがあるのか、ないのか、心配して見ている市民の皆さんもおられますが、この6年間、一貫して取り組んでこられた里山里海の取り組みからまず伺いたいと思います。
今議会に提案されました里山里海応援基金についてです。
6月11日、能登と佐渡が世界農業遺産に認定され、1周年を迎えました。「こんな田舎でもいいところがある」という感覚が、今までは一部の田舎暮らし趣味的な意味合いでしか語られなかったのが、この1年で「わたしら何の気なしに見とったもんが、都会の人には魅力あるんやね」という話を聞くようになりました。GIAHS効果ともいうべき市民の意識の変化が少しずつですが着実に浸透しているように感じます。
地域の魅力発見を次のローカルビジネス、あるいはお年寄りの小遣い銭稼ぎであっても、地域の経済活動につなげていくのは重要なことだと思います。そういう意味において、今議会で「珠洲市里山里海応援基金」の創設を提案されたことは評価をしたいと思います。
その上で以下4点、お聞きをしたいと思います。
まず1点目として、里山里海応援基金の狙いや位置づけをより明確にしていく必要があるのではないかということです。珠洲市には、基金の規模としても桁が違う地域振興基金があります。その適用事業は4項目あり、4番目には自然環境保全に関する事業が掲げられています。他の3項目も里山里海の活用に絡めた事業も認定されてきたものと思います。新たな基金を設けなくともこの地域振興基金で対応する、あるいは地域振興基金の看板を掛けかえる、あるいはその一部を里山里海応援基金として別枠扱いするという手法もあり得たのではないかと思います。
また、県はすでに昨年5月、GIAHS認定前ですが早々と基金総額53億円、年間の運用益4500万円の里山創生ファンドを設けており、昨年度は珠洲市内の事業者を含め12件が事業認定を受けています。
こうした中での今回の里山里海応援基金の創設です。そこでまずその狙いとするところ、明らかにしていただきたいと思います。
次に、この基金活用にあたっての事業認定の要件および認定の手続きをお聞きしたいと思います。
県の里山創生ファンドの事業計画をみますと、新たなブランドづくりで補助の限度額が100万円、里山の資源を活用した循環モデルの創出では限度額が300万円と規模が違い、取り組み態勢もおのずから専門家も交えた一定のレベルが期待されます。在所のじいちゃん、ばあちゃんらが集まって今度こんなことやってみんかいね、というところからのアイデアは門前払いなのかなぁという感じはします。たとえ最初は小さな規模でも地域の活力を具体的な形にしていくことは重要だと思います。しかしその一方で貴重な寄付金や税金による基金ですから、ハードルが低すぎて、ばら撒きとのそしりを受けてもいけません。地域のニーズにきめ細かく的確に対応しつつ、厳格な運用も同時に求められると思いますが、どのような手続きを考えておられるかお聞きをしておきたいと思います。
次に今後の基金の積み増し見通しをお聞きします。
最初に報道された新聞の見出しの大きさの割に、予算計上された基金総額は1,030万円。やや拍子抜けしたと言っては失礼かもしれませんが、今年度は300万円の事業を見込んでおられ、しかも基金の取り崩しで対応しますから、このままでは4年目には底をついてしまうことになります。里山里海の保全・活用は地道な息の長い取り組みが求められ、だからこそ単年度の補助事業ではなく基金を積んでの対応なのだろうと思います。そこで今後の基金の積み増しについて、どのような見通しをもっておられるのか伺っておきたいと思います。
ふるさと納税制度の積極的な活用も提案したいと思います。現在もふるさと納税による寄付金の使い道の一つには「美しい里山里海の自然環境の保全」が掲げられており、23年度は約620万円、22年度は約470万円が寄せられていますが、あたらに里山里海の保全活用に特化した受け皿を創設されるわけですから、これを機会に全国の珠洲市関係者あるいは里山里海の保全・活用に関心のある人に、ふるさと納税制度の活用による基金への寄付を積極的にアピールしていってはどうかと思いますがいかがでしょうか。
次に廃屋対策についてお聞きします。
平成20年の住宅・土地統計調査によりますと市内の住宅数は7200戸、うち空き家の軒数は1,210戸、さらにそのうち腐朽破損が確認される家は250戸となっています。
年々増え続ける空き家、さらに腐朽破損が進み廃屋と化した建物の増加は過疎地の象徴と思いがちですが、実は高齢化が進む都市部も含め、全国いたるところでみられる現象です。新築重視の国の住宅政策の誤りが、今日の空き家の急激な増加、さらには廃屋の増加につながったと国の責任を問う指摘もあります。ところが国の廃屋対策は今日までないに等しく、建築基準法で撤去命令や行政代執行の規定があるものの、実態にそぐわず適用された事例はほとんどありません。
山間部にぽつりと建っていた家ならともかく、大通りから見えるところ、あるいは人家連担地域での廃屋の存在は地域の景観を損ねるだけでなく、倒壊による隣家の破損、通行車両や通行人への危険も生じます。
昨年6月議会では濱田議員が珠洲市の実情を紹介し、市の対応を問いましたが、総務課長の答弁、基本的には所有者、占有者の責任であり、改善命令以上の法的な根拠がないとのことでした。
確かに多くの自治体はここで手詰まり状態となるわけですが、これでは住民からの苦情や要望に応えられませんし、地域の環境も守れないということで、ここ数年、全国各地の自治体がそれぞれ知恵を絞り、個人の所有権という法的ハードルを越えるための条例制定に挑んでいます。
空き家の適正管理を掲げた条例、あるいは景観条例の中に廃屋対策を盛り込んでいる例もあり、手法は様々ですが、都道府県では和歌山県が昨年6月議会で景観支障防止条例を制定し、市町村では30を超えた自治体がすでに条例化をしています。秋田県大仙市は今年の冬、全国で初めて雪で倒壊のおそれがある5棟を行政代執行で撤去しました。
市内でも廃屋対策で対応に苦慮した事例も現れており、のんびり構えておられる状況ではないと思います。そこで本市でも廃屋となった空き家の所有者に対して適正な措置を求める勧告や撤去命令、さらには建物撤去の行政代執行も可能とする空き家対策条例を制定すべきだと思いますが市長の見解をお聞きしたいと思います。
もちろん行政代執行に至る前に、所有者自ら解体してもらうのが大原則です。悪意があって放置する例はごく稀なケースだろうと思います。多くは両親が亡くなり空いた家を相続したけど、今住んでいる家のローンがある、あるいは子どもの教育費がかかるなどの経済的理由で、気に留めながらもついつい先延ばしというケースではないでしょうか。
世界農業遺産認定の傍らで廃屋はもちろん、荒れた山林や休耕田、漂着ゴミが散乱する海岸線など、なかなか対処できない課題が山積しているのも事実です。しかし、なかでも廃屋の撤去は景観上も、そして安全対策の面からも優先度は高いのではないでしょうか。ボランティアでは対応できない分野でもあります。年数が経った空き家は傷みも激しくなりますが、相続関係も複雑になり持ち主との連絡でさえ難しくなっていきます。
昨年、能登と同時に世界農業遺産に認定された佐渡市では、8年前に佐渡市老朽危険廃屋対策支援事業として、上限を50万円として補助金を交付する制度を設けています。本市でも老朽化し危険な廃屋の解体を促すため、一定の要件のもと、解体費用を補助する制度を設けてはどうかと思いますがいかがでしょうか。
質問の3番目は自殺対策についてです。
「あ~死んでしまいたい」思わずこんな言葉を漏らした経験は誰しも1度や2度はあるのではないでしょうか。しかし、ほとんどの人は最後の一線には至りません。自分の命を自ら絶つ。まさに自殺は個人の人生観、価値観にもかかわる究極の選択であり、個人の責任であるかのように捉えがちです。
しかし、統計的には1950年代が戦後の最初のヤマ、次は1980年代前半、そして1998年以降昨年まで続く自殺者3万人時代となります。原因別でみたとき、健康問題がほぼ半数を占める状況は変わりませんが、景気動向や経済雇用政策の影響を受け、経済・生活問題に起因する自殺者数が大きく変動します。また、年齢別、あるいは地域別でも一定の傾向が見られます。離婚との相関関係を指摘する調査もあります。離婚した男性は自殺率が上がり、逆に離婚した女性は自殺率が低下するという、世の男性諸氏には複雑な思いがする結果となっています。
いずれにしましても、自殺は統計に表れるように、個人の問題として押しとどめることのできない極めて社会的な問題であり、その予防はまさに社会全体で取り組むべき課題です。当然ながら政治の果たすべき役割も大きいと言わなければなりません。
政府の取り組みはと言えば、長らく無策ともいえる状態が続いてきました。一時は1万6千人を超えた交通事故による死亡者を、あらゆる角度から原因を分析し、様々な対策を展開する中で5千人を下回るところまで減少させてきた取り組みと比較した時に、その力の入れようの差は歴然としています。
国は2006年6月、ようやく自殺対策基本法を制定し、これを受け石川県も2008年3月、石川県自殺対策行動計画を策定しました。予防対策は緒に就いたばかりと言えるでしょう。
こうした中、本市の状況はとみれば、石川県衛生統計年報による平成14年度から22年度までの9年間の数字ですが、人口10万人あたりの平均自殺率40.1人。全国平均を大きく上回り、県平均の2倍近い値となっています。日本一幸せを感じられる珠洲市を目指す市長として、この胸が痛む現状についてどのように受けとめておられるかまずお聞きをしたいと思います。
今後の対応についてお聞きをします。
都道府県別でみたとき、自殺率が全国でもっとも高かった秋田県は国の自殺対策基本法を制定する前の1999年頃から県知事を先頭にして地域や大学の協力も得ながら自殺予防対策をすすめています。秋田県の自殺予防対策は「地域づくりとしての自殺予防」ともいわれ、うつ病対策などの医学的な面からのアプローチとコミュニティからのアプローチ、すなわち地域の人間関係を豊かにし、気軽に相談できる住民の間の信頼関係、あるいは居心地のいい地域の居場所づくりといったソフト面にも配慮がされています。ワースト1の汚名返上には至っていませんが自殺率は徐々に低下しています。
人間関係が密ならいいというものではありません。徳島県に海部町という、平成の大合併で名前は消えましたが、自殺率が長年にわたって極めて低い町がありました。この地域の人間関係の特徴として、緩やかなつながり、排他的傾向が弱い、援助を求めることへの抵抗が弱いといった特徴が報告されています。
このように、自治体だけで対応するには当然ながら限界はありますが、なにより自殺を個人の問題として矮小化することなく、社会全体、地域全体の課題として行政が先頭に立ち予防に向けた総合的な施策を展開することがなにより大切ではないでしょうか。珠洲市として、これまで自殺予防の啓発活動に取り組んでこられたわけですが、さらに踏み込んだ対応が求められていると思います。自殺予防の推進に向けた市長の決意お聞きしたいと思います。
具体的な対策の一つとしてゲートキーパーを育成する動きが全国の自治体に広がっています。ゲートキーパーとは、悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人をいいます。高度な専門知識をもったカウンセラーとは違い、ゲートキーパーを担うのは職場や地域にいる普通の人です。たとえば町の床屋さん。聞き上手、相談上手で、髪を切ってもらいながらの何気ない会話がホッとする時間という方も案外多いのではないかと思いますが、そんな床屋さんにもう少しだけ踏み込んで自殺予防の知識をもってもらう取り組みを富山市は進めています。市職員や民生委員、ヘルパーら介護関係者、さらには学校の教職員を対象にした研修などを対象にした研修も各地で広がっています。珠洲市としても自主防災組織の機能強化や高齢者の見守りの取り組みなどとあわせて、ゲートキーパーの育成を地域づくりの中に取り入れてはどうかと思いますがいかがでしょうか。
質問の第4は原子力防災についてです。
6月9日、福島第一原発事故後、石川県としてははじめての原子力防災訓練が実施されました。今回の訓練はこれまでの安全神話の中での訓練と異なり、過酷事故に対して果たして防災計画は機能するのか、その検証が最大の課題であったと思います。
訓練の内容は、避難区域を30キロ圏に拡大したとはいえ、30キロ圏外に放射能は拡大しないことが前提となっています。福島の事故を教訓としない甘い想定であり、奥能登への避難に逃げ場所がないとの声が上がったのも当然のことです。さらに風向きや放射能の放出量も想定しないということで初動体制の訓練としても手抜きと言わざるをえません。さらに事故の拡大、長期化への対応も今回の訓練項目には盛り込まれておらず、過酷事故に対する訓練とは到底言い難いものでした。
このように訓練自体は極めて限定的な内容に終始し不十分なものでしたが、志賀原発の事故への備えは待ったなしです。2基とも止まっているじゃないかと思われるかもしれませんが、福島第一原発4号炉で明らかになったように原発は停止していても、そこに核燃料がある限りリスクは避けられません。また5年前に発覚した北陸電力の臨界事故隠し。1999年6月18日、定期検査中、すなわち運転停止中の志賀1号機で、制御棒3本が想定外に抜け落ち、即発臨界というあわや大惨事直前の状態に至りました。定検中は安全装置をはずして様々な検査をおこなったりするので、運転中よりも危険と指摘する人もいます。止まっていても危険だからこそ、停止中の原発にも課税できる核燃料税条例の改正案が現在開会中の6月県議会に提案されたわけです。
今回の訓練は現実の危機に向き合わず、その一方で全く議論もされず合意さもされていない志賀原発の再稼働を想定した訓練であり、そういう意味では再稼働へのパフォーマンスのようなものでした。県内各自治体や防災関係者が利用されたようで、私自身は非常に腹立たしい思いで訓練の視察をさせてもらいました。
そんな訓練ですが、本市からも輪島市のサンアリーナに職員が派遣され、穴水町からの避難住民受付をおこないました。県が示す市町単位の緊急避難先の割振り案によると、万が一の原発事故の際、珠洲市は約8100人の穴水町民を受け入れることになるようで。受付の態勢を組むためにはどれだけの職員が必要なのか、県からのスクリーニング班の態勢は十分か、除染をする陸上自衛隊は来てくれるのか、受入可能人数は25,500人と県の防災会議では報告されているけれど、果たして気密性のある施設を十分確保できるのか、等々疑問は尽きません。今回の訓練を踏まえ、受入にあたっての課題をどのように整理しておられるでしょうか。お聞きしておきたいと思います。
今回の訓練は、放射能は30キロ圏外には拡散しないという前提でした。仮にその前提で考えたとしても、30キロ圏から避難民を受け入れるということは、放射能で汚染された可能性のある住民を受け入れるということです。対応にあたる職員の安全確保のために防護服や放射線量を把握する線量計など防護資機材は不可欠であり、早急に配備しなければなりませんがその見通しをお聞きしたいと思います。
今回の訓練、住民避難については、志賀原発の30キロ圏内の一部住民を30キロ圏外に避難させるだけの訓練でした。先日の県議会代表質問では、風向きや道路状況に応じて避難先を臨機応変に変更するとの答弁がありました。しかし、変更すると言っても変更可能なのは七尾市の住民が奥能登に行くか南へ行くかという選択があっても、穴水以北、奥能登の住民にはほとんど避難路の選択肢はありません。とにかく30キロ圏外に出れば大丈夫というのが県の方針ですが、これでは従来の10キロの壁、すなわち10キロを超えて放射能は拡散しないんだという根拠のない安全の壁を30キロに広げただけで、新たな安全神話ともなりかねません。仮に福島第一原発事故の半分の放射能が放出されても、南西の風向きならば珠洲市内も避難対象レベルの放射能が拡散するとの民間研究機関の予測もあります。その場合、穴水町民が珠洲方向に避難すれば放射能の中を、放射能とともに移動することになります。さらに珠洲市は受入ではなく自ら避難をしなければならない状況となります。様々な条件をインプットしたSPEEDIによる放射能の拡散予測結果を開示するよう県に対して求めるべきだと思いますがいかがでしょうか。
質問の最後は教育行政についてです。
教育長はさる5月26日から6月1日まで7日間の日程で谷本知事や木下県教育長らとフィンランドを訪れ、教育事情を視察してこられました。
フィンランドといえばOECD経済協力開発機構の学習到達度調査PISAで毎回、全項目にわたってトップクラスに入る学力世界一の教育国として注目され、日本の教育関係者のフィンランド詣でが続いています。今回、県もやや遅れてブームに飛び乗ったと言えばそれまでですが、フィンランド教育視察と聞き、私はやや意外な印象も受けました。フィンランドの教育は、あらゆる面で日本と異なるからです。真逆と言った方がいいかもしれません。石川の教育をいよいよ方向転換させるのかと注目させてもらいました。
フィンランドでは、たとえば日本の小中学校にあたる基礎教育を終える16歳まで他人と比較するようなテストはありません。日本ではPISAの学力調査の影響を受けて2007年から全国学力テストがはじまり、珠洲市内の学校では夏休みも子どもらを登校させて学力テスト対策として過去問を解く練習をさせていましたが、フィンランドでは考えらえないことです。私たちは競争によって学力は伸びるものと考えがちですが、フィンランドでは学力競争ではなく、自ら学ぶ意義を見つければ、子どもたち自身が学んでいくものだという考えが基本に据えられています。
また、新自由主義路線によって日本では格差と貧困が拡大し、いま、子どもの貧困も大きな社会問題となっていますが、フィンランドは高校まで給食費を含めて無償で、様々な学用品も支給されます。教育の機会均等は教育政策の重要な柱です。
もちろんその背景には福祉国家の理念があります。かつて北欧諸国では1960年代から70年代にかけて福祉国家の概念が確立されましたが、フィンランドにおいても多様な人間が共存し助け合う平等な社会が国民のコンセンサスとなり、その理念は教育界でも具体化されてきました。
日本では学力の格差も拡大していますが、フィンランドは落ちこぼれをつくらない教育でも有名であり、子どもたちの間の学力差が小さいことも注目されています。
「できる子」と「できない子」を分ける習熟度別クラス編成は日本では相次ぎ導入されていますが、フィンランドでは1985年に完全に廃止されています。多様な学力の子どもが集まったグループ学習で、教えあいながら学ぶことが重視されています。
教師を取り巻く環境も全く違います。
日本では学校や教師に対する評価制度もどんどん導入されていますが、フィンランドでは、教師は専門職として敬意が払われ、教育は教師や学校に任せるといった考えが徹底しています。大学の教員養成課程では自己研修の能力をつけることが重視されます。
教育行政の地方分権も徹底しています。国はほぼすべての権限を学校や現場に移譲し、教科書検定も廃止され、教科書の採択や運用も現場に任されています。
日本では教職員の多忙化が深刻な問題となっていますが、フィンランドの教師は授業以外の負担は最小限にとどめられます。生徒指導はソーシャルワーカーやカウンセラーが配置され、日本でいうクラブ活動には別の指導者があたっています。学校内の会議や教育委員会へ提出する資料の作成に忙殺されることはなく、授業以外の時間の使い方は教師の自由。教材の準備やレポートの評価なども一番やりやすい場所でやればいいという考え方だそうです。
このようなフィンランドの教育であり、そして今回の石川県の教育事情視察団の派遣でした。質問を予定していました視察の目的と成果については午前中、中板議員の方から質問がありました。省かせていただこうとも思っていましたが、授業の連続性が参考になると、さらりとした報告でした。珠洲市にとって関心の高い小中一貫教育について、もしもう少し詳しくお聞かせいただけることがありましたらお願いをしたと思います。特段なければあらためての答弁は結構です。
さて、今ほど縷々述べましたように、フィンランドと日本の教育は、根本となる教育理念や学力観、教師の果たすべき役割などをはじめ、あらゆる面で、そして根源的な次元で大きく異なります。にもかかわらず、視察に参加した知事や県教育長からは、教育環境を歪め続けてきたこれまでの教育行政をなんら問い直すことなく、「マスター教員」認定制度や仮称ですが教員指導力向上推進室の設置など、教師の研修強化の方針が早々と打ち出されました。教師の自由と自治を尊重し、自主研修が基本となっているフィンランドの研修体制を理解せず、都合のいい上辺だけを掬い上げるようなやり方は、まさに木に竹を接ぐようなものであり、教育現場の混乱と教職員のさらなる負担増をもたらすだけではないかと危惧します。
こういう視察ならば行かない方がまし、税金の無駄使いと言わざるをえません。石川や珠洲の教育の在り方を根本から問い直す中でこそ今回の視察の成果が生かされるものと私は思います。教育長の所見をお聞きしまして、私の質問を終わらせていただきます。
私を含め8人が登壇した。今回はなぜか初めて再質問は誰もなし。もちろん、答弁に満足というわけではないが、聞いてもこれ以上の答弁は出てこないという判断があったということ。テレビで傍聴している皆さんにはちょっとおもしろくなかったかも。
今日、明日は輪島市議会でも代表質問、一般質問である。
震災がれき問題を多くの議員が取り上げるはずで、今晩の議会関係のニュースは輪島だ。
以下、私の質問原稿。答弁は数日後にアップします。
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「国民の生活が第一」と訴えて政権をとった民主党でしたが、野田内閣は16日、今度は「国民の生活を守るため」として大飯原発の再稼働を決定しました。3年前に民主党が語った「国民」には自分も含まれると多くの国民は受け止めました。今回、野田首相が使った「国民」に自分も含まれていると感じる国民は一体どれだけいるでしょうか。鳩山総理から菅総理、そして野田総理と振り返れば約2年と9か月、思えば遠くへ来たもんだという福島瑞穂社民党党首のコメントがありましたが同感です。
市長就任から丸6年、2期目の折り返しを迎えられた泉谷市長にはそのようなことがあるのか、ないのか、心配して見ている市民の皆さんもおられますが、この6年間、一貫して取り組んでこられた里山里海の取り組みからまず伺いたいと思います。
今議会に提案されました里山里海応援基金についてです。
6月11日、能登と佐渡が世界農業遺産に認定され、1周年を迎えました。「こんな田舎でもいいところがある」という感覚が、今までは一部の田舎暮らし趣味的な意味合いでしか語られなかったのが、この1年で「わたしら何の気なしに見とったもんが、都会の人には魅力あるんやね」という話を聞くようになりました。GIAHS効果ともいうべき市民の意識の変化が少しずつですが着実に浸透しているように感じます。
地域の魅力発見を次のローカルビジネス、あるいはお年寄りの小遣い銭稼ぎであっても、地域の経済活動につなげていくのは重要なことだと思います。そういう意味において、今議会で「珠洲市里山里海応援基金」の創設を提案されたことは評価をしたいと思います。
その上で以下4点、お聞きをしたいと思います。
まず1点目として、里山里海応援基金の狙いや位置づけをより明確にしていく必要があるのではないかということです。珠洲市には、基金の規模としても桁が違う地域振興基金があります。その適用事業は4項目あり、4番目には自然環境保全に関する事業が掲げられています。他の3項目も里山里海の活用に絡めた事業も認定されてきたものと思います。新たな基金を設けなくともこの地域振興基金で対応する、あるいは地域振興基金の看板を掛けかえる、あるいはその一部を里山里海応援基金として別枠扱いするという手法もあり得たのではないかと思います。
また、県はすでに昨年5月、GIAHS認定前ですが早々と基金総額53億円、年間の運用益4500万円の里山創生ファンドを設けており、昨年度は珠洲市内の事業者を含め12件が事業認定を受けています。
こうした中での今回の里山里海応援基金の創設です。そこでまずその狙いとするところ、明らかにしていただきたいと思います。
次に、この基金活用にあたっての事業認定の要件および認定の手続きをお聞きしたいと思います。
県の里山創生ファンドの事業計画をみますと、新たなブランドづくりで補助の限度額が100万円、里山の資源を活用した循環モデルの創出では限度額が300万円と規模が違い、取り組み態勢もおのずから専門家も交えた一定のレベルが期待されます。在所のじいちゃん、ばあちゃんらが集まって今度こんなことやってみんかいね、というところからのアイデアは門前払いなのかなぁという感じはします。たとえ最初は小さな規模でも地域の活力を具体的な形にしていくことは重要だと思います。しかしその一方で貴重な寄付金や税金による基金ですから、ハードルが低すぎて、ばら撒きとのそしりを受けてもいけません。地域のニーズにきめ細かく的確に対応しつつ、厳格な運用も同時に求められると思いますが、どのような手続きを考えておられるかお聞きをしておきたいと思います。
次に今後の基金の積み増し見通しをお聞きします。
最初に報道された新聞の見出しの大きさの割に、予算計上された基金総額は1,030万円。やや拍子抜けしたと言っては失礼かもしれませんが、今年度は300万円の事業を見込んでおられ、しかも基金の取り崩しで対応しますから、このままでは4年目には底をついてしまうことになります。里山里海の保全・活用は地道な息の長い取り組みが求められ、だからこそ単年度の補助事業ではなく基金を積んでの対応なのだろうと思います。そこで今後の基金の積み増しについて、どのような見通しをもっておられるのか伺っておきたいと思います。
ふるさと納税制度の積極的な活用も提案したいと思います。現在もふるさと納税による寄付金の使い道の一つには「美しい里山里海の自然環境の保全」が掲げられており、23年度は約620万円、22年度は約470万円が寄せられていますが、あたらに里山里海の保全活用に特化した受け皿を創設されるわけですから、これを機会に全国の珠洲市関係者あるいは里山里海の保全・活用に関心のある人に、ふるさと納税制度の活用による基金への寄付を積極的にアピールしていってはどうかと思いますがいかがでしょうか。
次に廃屋対策についてお聞きします。
平成20年の住宅・土地統計調査によりますと市内の住宅数は7200戸、うち空き家の軒数は1,210戸、さらにそのうち腐朽破損が確認される家は250戸となっています。
年々増え続ける空き家、さらに腐朽破損が進み廃屋と化した建物の増加は過疎地の象徴と思いがちですが、実は高齢化が進む都市部も含め、全国いたるところでみられる現象です。新築重視の国の住宅政策の誤りが、今日の空き家の急激な増加、さらには廃屋の増加につながったと国の責任を問う指摘もあります。ところが国の廃屋対策は今日までないに等しく、建築基準法で撤去命令や行政代執行の規定があるものの、実態にそぐわず適用された事例はほとんどありません。
山間部にぽつりと建っていた家ならともかく、大通りから見えるところ、あるいは人家連担地域での廃屋の存在は地域の景観を損ねるだけでなく、倒壊による隣家の破損、通行車両や通行人への危険も生じます。
昨年6月議会では濱田議員が珠洲市の実情を紹介し、市の対応を問いましたが、総務課長の答弁、基本的には所有者、占有者の責任であり、改善命令以上の法的な根拠がないとのことでした。
確かに多くの自治体はここで手詰まり状態となるわけですが、これでは住民からの苦情や要望に応えられませんし、地域の環境も守れないということで、ここ数年、全国各地の自治体がそれぞれ知恵を絞り、個人の所有権という法的ハードルを越えるための条例制定に挑んでいます。
空き家の適正管理を掲げた条例、あるいは景観条例の中に廃屋対策を盛り込んでいる例もあり、手法は様々ですが、都道府県では和歌山県が昨年6月議会で景観支障防止条例を制定し、市町村では30を超えた自治体がすでに条例化をしています。秋田県大仙市は今年の冬、全国で初めて雪で倒壊のおそれがある5棟を行政代執行で撤去しました。
市内でも廃屋対策で対応に苦慮した事例も現れており、のんびり構えておられる状況ではないと思います。そこで本市でも廃屋となった空き家の所有者に対して適正な措置を求める勧告や撤去命令、さらには建物撤去の行政代執行も可能とする空き家対策条例を制定すべきだと思いますが市長の見解をお聞きしたいと思います。
もちろん行政代執行に至る前に、所有者自ら解体してもらうのが大原則です。悪意があって放置する例はごく稀なケースだろうと思います。多くは両親が亡くなり空いた家を相続したけど、今住んでいる家のローンがある、あるいは子どもの教育費がかかるなどの経済的理由で、気に留めながらもついつい先延ばしというケースではないでしょうか。
世界農業遺産認定の傍らで廃屋はもちろん、荒れた山林や休耕田、漂着ゴミが散乱する海岸線など、なかなか対処できない課題が山積しているのも事実です。しかし、なかでも廃屋の撤去は景観上も、そして安全対策の面からも優先度は高いのではないでしょうか。ボランティアでは対応できない分野でもあります。年数が経った空き家は傷みも激しくなりますが、相続関係も複雑になり持ち主との連絡でさえ難しくなっていきます。
昨年、能登と同時に世界農業遺産に認定された佐渡市では、8年前に佐渡市老朽危険廃屋対策支援事業として、上限を50万円として補助金を交付する制度を設けています。本市でも老朽化し危険な廃屋の解体を促すため、一定の要件のもと、解体費用を補助する制度を設けてはどうかと思いますがいかがでしょうか。
質問の3番目は自殺対策についてです。
「あ~死んでしまいたい」思わずこんな言葉を漏らした経験は誰しも1度や2度はあるのではないでしょうか。しかし、ほとんどの人は最後の一線には至りません。自分の命を自ら絶つ。まさに自殺は個人の人生観、価値観にもかかわる究極の選択であり、個人の責任であるかのように捉えがちです。
しかし、統計的には1950年代が戦後の最初のヤマ、次は1980年代前半、そして1998年以降昨年まで続く自殺者3万人時代となります。原因別でみたとき、健康問題がほぼ半数を占める状況は変わりませんが、景気動向や経済雇用政策の影響を受け、経済・生活問題に起因する自殺者数が大きく変動します。また、年齢別、あるいは地域別でも一定の傾向が見られます。離婚との相関関係を指摘する調査もあります。離婚した男性は自殺率が上がり、逆に離婚した女性は自殺率が低下するという、世の男性諸氏には複雑な思いがする結果となっています。
いずれにしましても、自殺は統計に表れるように、個人の問題として押しとどめることのできない極めて社会的な問題であり、その予防はまさに社会全体で取り組むべき課題です。当然ながら政治の果たすべき役割も大きいと言わなければなりません。
政府の取り組みはと言えば、長らく無策ともいえる状態が続いてきました。一時は1万6千人を超えた交通事故による死亡者を、あらゆる角度から原因を分析し、様々な対策を展開する中で5千人を下回るところまで減少させてきた取り組みと比較した時に、その力の入れようの差は歴然としています。
国は2006年6月、ようやく自殺対策基本法を制定し、これを受け石川県も2008年3月、石川県自殺対策行動計画を策定しました。予防対策は緒に就いたばかりと言えるでしょう。
こうした中、本市の状況はとみれば、石川県衛生統計年報による平成14年度から22年度までの9年間の数字ですが、人口10万人あたりの平均自殺率40.1人。全国平均を大きく上回り、県平均の2倍近い値となっています。日本一幸せを感じられる珠洲市を目指す市長として、この胸が痛む現状についてどのように受けとめておられるかまずお聞きをしたいと思います。
今後の対応についてお聞きをします。
都道府県別でみたとき、自殺率が全国でもっとも高かった秋田県は国の自殺対策基本法を制定する前の1999年頃から県知事を先頭にして地域や大学の協力も得ながら自殺予防対策をすすめています。秋田県の自殺予防対策は「地域づくりとしての自殺予防」ともいわれ、うつ病対策などの医学的な面からのアプローチとコミュニティからのアプローチ、すなわち地域の人間関係を豊かにし、気軽に相談できる住民の間の信頼関係、あるいは居心地のいい地域の居場所づくりといったソフト面にも配慮がされています。ワースト1の汚名返上には至っていませんが自殺率は徐々に低下しています。
人間関係が密ならいいというものではありません。徳島県に海部町という、平成の大合併で名前は消えましたが、自殺率が長年にわたって極めて低い町がありました。この地域の人間関係の特徴として、緩やかなつながり、排他的傾向が弱い、援助を求めることへの抵抗が弱いといった特徴が報告されています。
このように、自治体だけで対応するには当然ながら限界はありますが、なにより自殺を個人の問題として矮小化することなく、社会全体、地域全体の課題として行政が先頭に立ち予防に向けた総合的な施策を展開することがなにより大切ではないでしょうか。珠洲市として、これまで自殺予防の啓発活動に取り組んでこられたわけですが、さらに踏み込んだ対応が求められていると思います。自殺予防の推進に向けた市長の決意お聞きしたいと思います。
具体的な対策の一つとしてゲートキーパーを育成する動きが全国の自治体に広がっています。ゲートキーパーとは、悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人をいいます。高度な専門知識をもったカウンセラーとは違い、ゲートキーパーを担うのは職場や地域にいる普通の人です。たとえば町の床屋さん。聞き上手、相談上手で、髪を切ってもらいながらの何気ない会話がホッとする時間という方も案外多いのではないかと思いますが、そんな床屋さんにもう少しだけ踏み込んで自殺予防の知識をもってもらう取り組みを富山市は進めています。市職員や民生委員、ヘルパーら介護関係者、さらには学校の教職員を対象にした研修などを対象にした研修も各地で広がっています。珠洲市としても自主防災組織の機能強化や高齢者の見守りの取り組みなどとあわせて、ゲートキーパーの育成を地域づくりの中に取り入れてはどうかと思いますがいかがでしょうか。
質問の第4は原子力防災についてです。
6月9日、福島第一原発事故後、石川県としてははじめての原子力防災訓練が実施されました。今回の訓練はこれまでの安全神話の中での訓練と異なり、過酷事故に対して果たして防災計画は機能するのか、その検証が最大の課題であったと思います。
訓練の内容は、避難区域を30キロ圏に拡大したとはいえ、30キロ圏外に放射能は拡大しないことが前提となっています。福島の事故を教訓としない甘い想定であり、奥能登への避難に逃げ場所がないとの声が上がったのも当然のことです。さらに風向きや放射能の放出量も想定しないということで初動体制の訓練としても手抜きと言わざるをえません。さらに事故の拡大、長期化への対応も今回の訓練項目には盛り込まれておらず、過酷事故に対する訓練とは到底言い難いものでした。
このように訓練自体は極めて限定的な内容に終始し不十分なものでしたが、志賀原発の事故への備えは待ったなしです。2基とも止まっているじゃないかと思われるかもしれませんが、福島第一原発4号炉で明らかになったように原発は停止していても、そこに核燃料がある限りリスクは避けられません。また5年前に発覚した北陸電力の臨界事故隠し。1999年6月18日、定期検査中、すなわち運転停止中の志賀1号機で、制御棒3本が想定外に抜け落ち、即発臨界というあわや大惨事直前の状態に至りました。定検中は安全装置をはずして様々な検査をおこなったりするので、運転中よりも危険と指摘する人もいます。止まっていても危険だからこそ、停止中の原発にも課税できる核燃料税条例の改正案が現在開会中の6月県議会に提案されたわけです。
今回の訓練は現実の危機に向き合わず、その一方で全く議論もされず合意さもされていない志賀原発の再稼働を想定した訓練であり、そういう意味では再稼働へのパフォーマンスのようなものでした。県内各自治体や防災関係者が利用されたようで、私自身は非常に腹立たしい思いで訓練の視察をさせてもらいました。
そんな訓練ですが、本市からも輪島市のサンアリーナに職員が派遣され、穴水町からの避難住民受付をおこないました。県が示す市町単位の緊急避難先の割振り案によると、万が一の原発事故の際、珠洲市は約8100人の穴水町民を受け入れることになるようで。受付の態勢を組むためにはどれだけの職員が必要なのか、県からのスクリーニング班の態勢は十分か、除染をする陸上自衛隊は来てくれるのか、受入可能人数は25,500人と県の防災会議では報告されているけれど、果たして気密性のある施設を十分確保できるのか、等々疑問は尽きません。今回の訓練を踏まえ、受入にあたっての課題をどのように整理しておられるでしょうか。お聞きしておきたいと思います。
今回の訓練は、放射能は30キロ圏外には拡散しないという前提でした。仮にその前提で考えたとしても、30キロ圏から避難民を受け入れるということは、放射能で汚染された可能性のある住民を受け入れるということです。対応にあたる職員の安全確保のために防護服や放射線量を把握する線量計など防護資機材は不可欠であり、早急に配備しなければなりませんがその見通しをお聞きしたいと思います。
今回の訓練、住民避難については、志賀原発の30キロ圏内の一部住民を30キロ圏外に避難させるだけの訓練でした。先日の県議会代表質問では、風向きや道路状況に応じて避難先を臨機応変に変更するとの答弁がありました。しかし、変更すると言っても変更可能なのは七尾市の住民が奥能登に行くか南へ行くかという選択があっても、穴水以北、奥能登の住民にはほとんど避難路の選択肢はありません。とにかく30キロ圏外に出れば大丈夫というのが県の方針ですが、これでは従来の10キロの壁、すなわち10キロを超えて放射能は拡散しないんだという根拠のない安全の壁を30キロに広げただけで、新たな安全神話ともなりかねません。仮に福島第一原発事故の半分の放射能が放出されても、南西の風向きならば珠洲市内も避難対象レベルの放射能が拡散するとの民間研究機関の予測もあります。その場合、穴水町民が珠洲方向に避難すれば放射能の中を、放射能とともに移動することになります。さらに珠洲市は受入ではなく自ら避難をしなければならない状況となります。様々な条件をインプットしたSPEEDIによる放射能の拡散予測結果を開示するよう県に対して求めるべきだと思いますがいかがでしょうか。
質問の最後は教育行政についてです。
教育長はさる5月26日から6月1日まで7日間の日程で谷本知事や木下県教育長らとフィンランドを訪れ、教育事情を視察してこられました。
フィンランドといえばOECD経済協力開発機構の学習到達度調査PISAで毎回、全項目にわたってトップクラスに入る学力世界一の教育国として注目され、日本の教育関係者のフィンランド詣でが続いています。今回、県もやや遅れてブームに飛び乗ったと言えばそれまでですが、フィンランド教育視察と聞き、私はやや意外な印象も受けました。フィンランドの教育は、あらゆる面で日本と異なるからです。真逆と言った方がいいかもしれません。石川の教育をいよいよ方向転換させるのかと注目させてもらいました。
フィンランドでは、たとえば日本の小中学校にあたる基礎教育を終える16歳まで他人と比較するようなテストはありません。日本ではPISAの学力調査の影響を受けて2007年から全国学力テストがはじまり、珠洲市内の学校では夏休みも子どもらを登校させて学力テスト対策として過去問を解く練習をさせていましたが、フィンランドでは考えらえないことです。私たちは競争によって学力は伸びるものと考えがちですが、フィンランドでは学力競争ではなく、自ら学ぶ意義を見つければ、子どもたち自身が学んでいくものだという考えが基本に据えられています。
また、新自由主義路線によって日本では格差と貧困が拡大し、いま、子どもの貧困も大きな社会問題となっていますが、フィンランドは高校まで給食費を含めて無償で、様々な学用品も支給されます。教育の機会均等は教育政策の重要な柱です。
もちろんその背景には福祉国家の理念があります。かつて北欧諸国では1960年代から70年代にかけて福祉国家の概念が確立されましたが、フィンランドにおいても多様な人間が共存し助け合う平等な社会が国民のコンセンサスとなり、その理念は教育界でも具体化されてきました。
日本では学力の格差も拡大していますが、フィンランドは落ちこぼれをつくらない教育でも有名であり、子どもたちの間の学力差が小さいことも注目されています。
「できる子」と「できない子」を分ける習熟度別クラス編成は日本では相次ぎ導入されていますが、フィンランドでは1985年に完全に廃止されています。多様な学力の子どもが集まったグループ学習で、教えあいながら学ぶことが重視されています。
教師を取り巻く環境も全く違います。
日本では学校や教師に対する評価制度もどんどん導入されていますが、フィンランドでは、教師は専門職として敬意が払われ、教育は教師や学校に任せるといった考えが徹底しています。大学の教員養成課程では自己研修の能力をつけることが重視されます。
教育行政の地方分権も徹底しています。国はほぼすべての権限を学校や現場に移譲し、教科書検定も廃止され、教科書の採択や運用も現場に任されています。
日本では教職員の多忙化が深刻な問題となっていますが、フィンランドの教師は授業以外の負担は最小限にとどめられます。生徒指導はソーシャルワーカーやカウンセラーが配置され、日本でいうクラブ活動には別の指導者があたっています。学校内の会議や教育委員会へ提出する資料の作成に忙殺されることはなく、授業以外の時間の使い方は教師の自由。教材の準備やレポートの評価なども一番やりやすい場所でやればいいという考え方だそうです。
このようなフィンランドの教育であり、そして今回の石川県の教育事情視察団の派遣でした。質問を予定していました視察の目的と成果については午前中、中板議員の方から質問がありました。省かせていただこうとも思っていましたが、授業の連続性が参考になると、さらりとした報告でした。珠洲市にとって関心の高い小中一貫教育について、もしもう少し詳しくお聞かせいただけることがありましたらお願いをしたと思います。特段なければあらためての答弁は結構です。
さて、今ほど縷々述べましたように、フィンランドと日本の教育は、根本となる教育理念や学力観、教師の果たすべき役割などをはじめ、あらゆる面で、そして根源的な次元で大きく異なります。にもかかわらず、視察に参加した知事や県教育長からは、教育環境を歪め続けてきたこれまでの教育行政をなんら問い直すことなく、「マスター教員」認定制度や仮称ですが教員指導力向上推進室の設置など、教師の研修強化の方針が早々と打ち出されました。教師の自由と自治を尊重し、自主研修が基本となっているフィンランドの研修体制を理解せず、都合のいい上辺だけを掬い上げるようなやり方は、まさに木に竹を接ぐようなものであり、教育現場の混乱と教職員のさらなる負担増をもたらすだけではないかと危惧します。
こういう視察ならば行かない方がまし、税金の無駄使いと言わざるをえません。石川や珠洲の教育の在り方を根本から問い直す中でこそ今回の視察の成果が生かされるものと私は思います。教育長の所見をお聞きしまして、私の質問を終わらせていただきます。
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抜粋
「絆」「復興支援」を口実に、汚染を拡大することは許されない。がれき受け入れは県が主導して行っているが、問題がおきれば、その責任はすべて受け入れた市町村が負わなければならず、私たち住民は、二重にも三重にも、このがれき広域処理は受け入れがたい。県は市町村担当者に本当のことを話しておらず、地域の保守的な風土を利用して、この計画を押し付けようとしているだけだ。がれき広域処理の責任者を明らかにされたい。