先日紹介した西海村分村恵陽開拓団について、その歩みをまとめた西海村満州開拓誌が珠洲市立中央図書館にあったので借りてくる。
表紙の絵は故・内波脩一郎先生、表紙をめくって「はじめに」を書いているのは西海村満州開拓誌刊行会代表を務めた故・田畑良幸氏、さらに当時の市長、故・鍵主圭吾氏の「市民生活の指針に」との一文が掲載されている。
発刊に寄せられた言葉の中には、開拓団の目指した道は「正しく快挙であった」、「パイオニア精神」、「異郷の地に大闊歩」、「偉業なかばに敗戦」といった表現が随所に散りばめられ、「国策として満州人の農地を強制的に買収する」(「珠洲のれきし」P88)という「開拓団」の本質に踏み込んだ記述はない。
本文も、理想郷建設を夢見た分村計画が、敗戦によって悲劇に満ちた終末をむかえたという展開である。
このような限界や問題点を内包しつつも、それでも開拓団の具体的な計画や歩みが、当時の写真もふんだんに盛り込み詳細にまとめられた意義は大きい。
大陸侵略という大きな国策の流れに経済的に貧しい一地域がものの見事に組み込まれていき、敗戦、シベリア抑留の中で多くの人たちが餓死、凍死していった珠洲の近代史からあらためて戦争について学ぶことができる貴重な資料である。
表紙の絵は故・内波脩一郎先生、表紙をめくって「はじめに」を書いているのは西海村満州開拓誌刊行会代表を務めた故・田畑良幸氏、さらに当時の市長、故・鍵主圭吾氏の「市民生活の指針に」との一文が掲載されている。
発刊に寄せられた言葉の中には、開拓団の目指した道は「正しく快挙であった」、「パイオニア精神」、「異郷の地に大闊歩」、「偉業なかばに敗戦」といった表現が随所に散りばめられ、「国策として満州人の農地を強制的に買収する」(「珠洲のれきし」P88)という「開拓団」の本質に踏み込んだ記述はない。
本文も、理想郷建設を夢見た分村計画が、敗戦によって悲劇に満ちた終末をむかえたという展開である。
このような限界や問題点を内包しつつも、それでも開拓団の具体的な計画や歩みが、当時の写真もふんだんに盛り込み詳細にまとめられた意義は大きい。
大陸侵略という大きな国策の流れに経済的に貧しい一地域がものの見事に組み込まれていき、敗戦、シベリア抑留の中で多くの人たちが餓死、凍死していった珠洲の近代史からあらためて戦争について学ぶことができる貴重な資料である。
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