午前中はいしかわ教育総研公開講座。
「主権者教育としての憲法教育を」との演題で、金沢大学の石川多加子准教授を講師に憲法の学習会がおこなわれた。

石川さんの話は何度か聞いたことがあるが、今日は自民党「日本国憲法改正草案」の全面批判。限られた時間ではあるが、歯に衣着せぬ鋭い舌鋒で改憲草案をバッサリ切り捨てていく。
ここ半年大きな関心を集めた第96条や第9条、さらに人権規定については多くの人が論じ、マスコミでもよく取り上げられているが、「第一章天皇」については私が見逃しているのか、あまりみることがなかったように思う。今日はこの第一章にも触れる。
ズバリ制限君主制をとった明治憲法より天皇の権限を強めており、憲法尊重擁護義務から「天皇」を除外した草案第102条も含めてみたとき、絶対君主制を目論んでいると指摘。
その裏表で国民主権の後退があり、その先には「第二章戦争の放棄」が消え、「第二章安全保障」となり、個人の人権が「国益」や「国策」で制限されていく社会が待ち受けている。
金沢大学の講義では約250人入る教室が満室で、アルバイトや就職後の労使関係など身近で具体的な話題をふんだんに盛り込むのでわかりやすく、今どきの学生さんはしっかり聞いて積極的に質問もするという。
安易に自民党改憲草案に流されることのないよう、次代を担う若者に大いに期待したい。
ところが、稀に政治的に偏った抗議だと匿名のメールが大学当局に届くともいう。
無色・中立?・無味乾燥な高校の社会の授業(すべてではないだろうが)のような講義を期待しているのか、あるいは改憲草案を支持する立場か?
大学なんだから石川さんとぜひ激論を交わせばいいのに、匿名メールとは・・・
そういえば今朝の北陸中日新聞は脱原発デモに学生の姿が見えないという疑問から、いまどきのキャンパスを取材している。管理、管理で学問の自由も表現の自由も制約され、窮屈な中で暮らしている実態が紹介されている。
こんな大学の先駆けは1974年にスタートした母校・筑波大である。
集会やデモはもちろん、ビラ1枚配るにも ポスター一枚貼るにも学長の許可がいる。学園祭の企画は、講演会であろうがタコ焼きさんであろうが、企画一つずつ学長の許可がいる。特定の政治団体、宗教団体に関わる企画は不許可だが、それ以外にも家永三郎氏の講演会が建学の理念に反するからとの理由で不許可ということもあった。批判を受け付けない、抹殺する、大学として自殺行為である。
学生を純粋培養するようなこんな管理大学でいいのかと、当時は、他大学からも笑われ、週刊誌やワイドショーの格好のネタであった。ところが今では中教審・文部省の狙い通り、全国の大学に許可制は普及した。
同じく筑波の産学共同路線も大学の自治、学問の自由の観点で、多くの大学関係者から批判されていたが、今では産学共同のどこが悪いの?企業から資金提供うけて一緒に研究するの当たり前でしょって雰囲気である。
こんな中、世の中に迎合するのではなく課題を見出し批判的に捉えていく石川さんのような講義は希少価値。そこに参加できる学生は恵まれているなぁと思う。
「主権者教育としての憲法教育を」との演題で、金沢大学の石川多加子准教授を講師に憲法の学習会がおこなわれた。

石川さんの話は何度か聞いたことがあるが、今日は自民党「日本国憲法改正草案」の全面批判。限られた時間ではあるが、歯に衣着せぬ鋭い舌鋒で改憲草案をバッサリ切り捨てていく。
ここ半年大きな関心を集めた第96条や第9条、さらに人権規定については多くの人が論じ、マスコミでもよく取り上げられているが、「第一章天皇」については私が見逃しているのか、あまりみることがなかったように思う。今日はこの第一章にも触れる。
ズバリ制限君主制をとった明治憲法より天皇の権限を強めており、憲法尊重擁護義務から「天皇」を除外した草案第102条も含めてみたとき、絶対君主制を目論んでいると指摘。
その裏表で国民主権の後退があり、その先には「第二章戦争の放棄」が消え、「第二章安全保障」となり、個人の人権が「国益」や「国策」で制限されていく社会が待ち受けている。
金沢大学の講義では約250人入る教室が満室で、アルバイトや就職後の労使関係など身近で具体的な話題をふんだんに盛り込むのでわかりやすく、今どきの学生さんはしっかり聞いて積極的に質問もするという。
安易に自民党改憲草案に流されることのないよう、次代を担う若者に大いに期待したい。
ところが、稀に政治的に偏った抗議だと匿名のメールが大学当局に届くともいう。
無色・中立?・無味乾燥な高校の社会の授業(すべてではないだろうが)のような講義を期待しているのか、あるいは改憲草案を支持する立場か?
大学なんだから石川さんとぜひ激論を交わせばいいのに、匿名メールとは・・・
そういえば今朝の北陸中日新聞は脱原発デモに学生の姿が見えないという疑問から、いまどきのキャンパスを取材している。管理、管理で学問の自由も表現の自由も制約され、窮屈な中で暮らしている実態が紹介されている。
こんな大学の先駆けは1974年にスタートした母校・筑波大である。
集会やデモはもちろん、ビラ1枚配るにも ポスター一枚貼るにも学長の許可がいる。学園祭の企画は、講演会であろうがタコ焼きさんであろうが、企画一つずつ学長の許可がいる。特定の政治団体、宗教団体に関わる企画は不許可だが、それ以外にも家永三郎氏の講演会が建学の理念に反するからとの理由で不許可ということもあった。批判を受け付けない、抹殺する、大学として自殺行為である。
学生を純粋培養するようなこんな管理大学でいいのかと、当時は、他大学からも笑われ、週刊誌やワイドショーの格好のネタであった。ところが今では中教審・文部省の狙い通り、全国の大学に許可制は普及した。
同じく筑波の産学共同路線も大学の自治、学問の自由の観点で、多くの大学関係者から批判されていたが、今では産学共同のどこが悪いの?企業から資金提供うけて一緒に研究するの当たり前でしょって雰囲気である。
こんな中、世の中に迎合するのではなく課題を見出し批判的に捉えていく石川さんのような講義は希少価値。そこに参加できる学生は恵まれているなぁと思う。
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