第一次安倍内閣を称して「お友達内閣」と呼んだ。
もちろんこれは安倍総理が自分のお友だちを集めて組閣したことを批判的に表現したものだが、それでも「お友だちを大事にする安倍ちゃんのどこが悪い」とかばう安倍ちゃんファンはいなかっただろうか。
小林節慶応大名誉教授(憲法学)は集団的自衛権についての安保法制懇の報告書が描く友達関係について、以下のように指摘している。
北陸中日新聞(5月26日)
「(集団的自衛権の)行使は飽くまでも我が国が主体的に判断すべき問題である」との見解に対して「友達が襲われたとき『ほっといたら私が危ないというときだけ助けます』と言うのは友達ではないのでは」とバッサリ。
安保法制懇報告書は、集団的自衛権行使を認める条件として6つあげ、その中の一つとして「放置すれば日本の安全に大きな影響がでる」ということを記載している。
まさに自分が危ないときだけ助けると言っているのである。
この報告書を容認したら、お友だちを大事にすると信じていた安倍ちゃんファンはがっかりではないか。
もちろん友達である米国から「出てこい」と言われたら拒否できないのが集団的自利権だが・・・。
それでも「安倍ちゃんはお友だちを大事にするんんだ」と信じているファンはまだ多いかもしれない。
集団的自衛権をめぐる議論の中で「襲われている友達を助けなくていいのか」という比喩が頻繁に登場する。
これに対して早稲田大学の水島朝穂教授(憲法学)は以下のように指摘する。
北陸中日新聞(5月6日)
「友達がやられたらやりかえすというのは暴力団の論理。個人の立場に置き換えても許される行為ではない」と問題視。
近代国家は個人による勝手な仕返しを厳しく禁じていると指摘する。
確かに個人の仕返しを認めたら、警察も裁判所もいらなくなり、法秩序のない野蛮な社会になってしまう。
友達がやられたら仲裁に入り、止められないときは警察を呼ぶのが近代国家だ。
安倍ちゃんはきっと幼い時から「友達がやられたらやり返す」なんてことはしたことがないのだろう。
多くの人はそんなことをしたらお互いの友達を巻き込んで、大ケンカへとエスカレートしていくことを経験的に学んでいる。
もちろんこれは安倍総理が自分のお友だちを集めて組閣したことを批判的に表現したものだが、それでも「お友だちを大事にする安倍ちゃんのどこが悪い」とかばう安倍ちゃんファンはいなかっただろうか。
小林節慶応大名誉教授(憲法学)は集団的自衛権についての安保法制懇の報告書が描く友達関係について、以下のように指摘している。
北陸中日新聞(5月26日)
「(集団的自衛権の)行使は飽くまでも我が国が主体的に判断すべき問題である」との見解に対して「友達が襲われたとき『ほっといたら私が危ないというときだけ助けます』と言うのは友達ではないのでは」とバッサリ。
安保法制懇報告書は、集団的自衛権行使を認める条件として6つあげ、その中の一つとして「放置すれば日本の安全に大きな影響がでる」ということを記載している。
まさに自分が危ないときだけ助けると言っているのである。
この報告書を容認したら、お友だちを大事にすると信じていた安倍ちゃんファンはがっかりではないか。
もちろん友達である米国から「出てこい」と言われたら拒否できないのが集団的自利権だが・・・。
それでも「安倍ちゃんはお友だちを大事にするんんだ」と信じているファンはまだ多いかもしれない。
集団的自衛権をめぐる議論の中で「襲われている友達を助けなくていいのか」という比喩が頻繁に登場する。
これに対して早稲田大学の水島朝穂教授(憲法学)は以下のように指摘する。
北陸中日新聞(5月6日)
「友達がやられたらやりかえすというのは暴力団の論理。個人の立場に置き換えても許される行為ではない」と問題視。
近代国家は個人による勝手な仕返しを厳しく禁じていると指摘する。
確かに個人の仕返しを認めたら、警察も裁判所もいらなくなり、法秩序のない野蛮な社会になってしまう。
友達がやられたら仲裁に入り、止められないときは警察を呼ぶのが近代国家だ。
安倍ちゃんはきっと幼い時から「友達がやられたらやり返す」なんてことはしたことがないのだろう。
多くの人はそんなことをしたらお互いの友達を巻き込んで、大ケンカへとエスカレートしていくことを経験的に学んでいる。
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