高田敏子作「ガラスのうさぎ」は1977年に出版された、戦争体験の本である。私は過去に娘たちと映画を見た。
作者は1945年3月10日の東京大空襲の時、国民学校卒業を控えて疎開先二宮にいた。
その後4ヶ月経って、父に呼ばれて我が家へ、焼け野原のなくなった我が家の跡から、金庫、床の間の置かれた「ガラスのうさぎ」が見つかった。ガラス工芸品の工場の父が作ったうさぎで、爆風の熱風で焼けとけたガラスのうさぎを大事に手提げ袋にしまった。
兄二人は陸軍、海軍に志願、残された病弱な母と妹二人が行方不明、その後8月5日新潟に向かうため二宮駅に着くと15分もして機銃掃射が降ってきて、作者の敏子は椅子の下で無事、父は撃たれて亡くなった。・・・太平洋戦争を風化させないために。
作者は1945年3月10日の東京大空襲の時、国民学校卒業を控えて疎開先二宮にいた。
その後4ヶ月経って、父に呼ばれて我が家へ、焼け野原のなくなった我が家の跡から、金庫、床の間の置かれた「ガラスのうさぎ」が見つかった。ガラス工芸品の工場の父が作ったうさぎで、爆風の熱風で焼けとけたガラスのうさぎを大事に手提げ袋にしまった。
兄二人は陸軍、海軍に志願、残された病弱な母と妹二人が行方不明、その後8月5日新潟に向かうため二宮駅に着くと15分もして機銃掃射が降ってきて、作者の敏子は椅子の下で無事、父は撃たれて亡くなった。・・・太平洋戦争を風化させないために。