山道を登りながら、かう考えた。「知に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい。・・・」
と始まる草枕、私はかなで大分揮豪した。
漱石が1903年英国から帰国して、2年後の日露戦争の終わりに吾輩は猫であるを発表、1906年(明治39)4月に坊ちゃん、そして、9月にこの草枕を発表した。30才の若い洋画家が山中の温泉宿に泊まり、若い出戻りのおかみから自分を書いて欲しいと頼まれてもなかなか描けない・・・非人情的な俳句、漢詩、写生を貫いてそこに流れている低回趣味(世俗離れ自然に親しむこと)から則天去私(小さな自分にとらわれず、自然に任せて生きる)へと進化し漱石の「明暗」に行きつくのである。
と始まる草枕、私はかなで大分揮豪した。
漱石が1903年英国から帰国して、2年後の日露戦争の終わりに吾輩は猫であるを発表、1906年(明治39)4月に坊ちゃん、そして、9月にこの草枕を発表した。30才の若い洋画家が山中の温泉宿に泊まり、若い出戻りのおかみから自分を書いて欲しいと頼まれてもなかなか描けない・・・非人情的な俳句、漢詩、写生を貫いてそこに流れている低回趣味(世俗離れ自然に親しむこと)から則天去私(小さな自分にとらわれず、自然に任せて生きる)へと進化し漱石の「明暗」に行きつくのである。