これは、福島民報5/21あぶくま抄の書き出しである。
ひんやり、ジトジト・・・やはり触覚だろうか。<風の音にぞ驚かれぬる>と和かにあるように聴覚であろうか。
この季節にぴったりの、<風薫る>という言葉もあり、臭覚でもわかるようだ。
また、古今東西の画家たちは草や竹のそよぎを描き、目の前に風を表現した。歌川広重の東海道五十三次<四日市(三重川)>に、画面中央の柳の枝を大きく吹きなびかせる強い風の表現、水際の草原もみなかぜにそよぎ、橋の上を渡る旅人は風に飛ばされないようにと合羽をしっかり押さえ、土手では風に飛ばされて転がる笠を必死で追いかける旅人が描かれている。
風は一つだけの感覚に訴えるものではないようだ。
いま、福島の浜通りはやませに悩まされている。親潮の東風による冷害風である。北海道北見、帯広で33度というのに、ここは18~20度でコタツに暖をとっている。
そして、庭の木の枝の揺れで風を多く感じている。障子のきしむ音や雨戸を叩く音からから風を、5感だけでなく6感でも風を日本人には感じているようだ。
ひんやり、ジトジト・・・やはり触覚だろうか。<風の音にぞ驚かれぬる>と和かにあるように聴覚であろうか。
この季節にぴったりの、<風薫る>という言葉もあり、臭覚でもわかるようだ。
また、古今東西の画家たちは草や竹のそよぎを描き、目の前に風を表現した。歌川広重の東海道五十三次<四日市(三重川)>に、画面中央の柳の枝を大きく吹きなびかせる強い風の表現、水際の草原もみなかぜにそよぎ、橋の上を渡る旅人は風に飛ばされないようにと合羽をしっかり押さえ、土手では風に飛ばされて転がる笠を必死で追いかける旅人が描かれている。
風は一つだけの感覚に訴えるものではないようだ。
いま、福島の浜通りはやませに悩まされている。親潮の東風による冷害風である。北海道北見、帯広で33度というのに、ここは18~20度でコタツに暖をとっている。
そして、庭の木の枝の揺れで風を多く感じている。障子のきしむ音や雨戸を叩く音からから風を、5感だけでなく6感でも風を日本人には感じているようだ。