会津の旅最終コーナー、鶴ヶ城です。赤瓦の鶴ヶ城撮影はこれで2度目です。
名だたる戦国武将が東北の要衝の地として治めた会津のシンボル鶴ケ城であるが、14世紀までは黒川城と呼ばれていた。その後、蒲生氏、上杉氏などが城主となり、約1か月の戊辰戦争で持ちこたえ、天守閣や公園内には広大な内堀や切り立つ石垣が数多く残り、その一つ一つには、攻め来る敵を迎え撃つための戦略的な工夫や技術が垣間見える。
1960年に本丸が復旧して、若松城が完成し、平成23年(2011)の春におよそ1年の歳月をかけた屋根瓦の葺き替え工事を終え、幕末当時の姿を再現。日本唯一の赤瓦の天守閣に生まれかわった。「日本さくら名所100選」の地でもある。
12/25冬の鶴ヶ城には写真にも見えるように雪つりの松、前公園には20本に近い松吊りの柱が見える。15:00撮影。
名だたる戦国武将が東北の要衝の地として治めた会津のシンボル鶴ケ城であるが、14世紀までは黒川城と呼ばれていた。その後、蒲生氏、上杉氏などが城主となり、約1か月の戊辰戦争で持ちこたえ、天守閣や公園内には広大な内堀や切り立つ石垣が数多く残り、その一つ一つには、攻め来る敵を迎え撃つための戦略的な工夫や技術が垣間見える。
1960年に本丸が復旧して、若松城が完成し、平成23年(2011)の春におよそ1年の歳月をかけた屋根瓦の葺き替え工事を終え、幕末当時の姿を再現。日本唯一の赤瓦の天守閣に生まれかわった。「日本さくら名所100選」の地でもある。
12/25冬の鶴ヶ城には写真にも見えるように雪つりの松、前公園には20本に近い松吊りの柱が見える。15:00撮影。