ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

オリンピックが原点 通訳人生の長井鞠子さん

2016-09-07 08:13:10 | エッセイ
台風の影響で、昨夜と2日続けてエアコンにお世話になった。今朝4:15~明日へのことば長井鞠子さんのトークを聞いた。

仙台市生まれ高校在学中、奨学金でアメリカ合衆国に留学をしている73才の長井鞠子さんは50年近く第一線で活動し続ける、同時通訳の草分け的存在で、通訳者を目指したのは、1964年、長井さんが大学2年のときに開催された東京オリンピックでの通訳アルバイトがきっかけでしたと。

報酬額は忘れましたが、大金であったことから、就職は通訳と決めたと。しかし、1967年日本初の同時通訳エージェントであったサイマル・インターナショナルの専属通訳者になって、ある通訳で、40枚ぐらいの原稿を渡され、サーと目を通しただけで通訳に入ると、原稿丸読みのところがあり、しどろもどろで終え、明日から来なくていいと言われたときのショックは大きかった。

それ以来、原稿には単語帳を作り、時にはべた訳語を書き通訳をしていると。母国語でない英語を、顔の表情や身振りなどから、本当に言いたいことを通訳するために、大和言葉を習得したり、聞く人の立場で通訳していると。

1998年の長野オリンピックでも通訳を行い、石原知事時代招致に失敗悔し涙を流したが、2020年夏季オリンピックの招致活動も経験し、tokyoが決まった時は涙が出たと。

リオデジャネイロオリンピックを経て、2020年に迎える2度目の東京オリンピックに向けて、現役で活躍したいと力強く語った。




静かな海の足跡が残したもの

2016-09-06 08:46:16 | エッセイ
今月15日は仲秋の名月、何かと「イモメイゲツ」や月見に関するクイズも載せた。

月に浮かぶ「餅つきうさぎ」の顔のあたりの「静かな海」に、1969年アポロ11号が着陸した。人類初の月面第一歩は日本時間7月24日月曜日正午前だった。

左の靴底で刻んだ足跡は脳裏に残っているが、その足跡のアームストロング船長が亡くなって、もう4年も過ぎた。19分後に、バズ・オルドリン操縦士が下り、眼前に広がる景色を見て「これ、すごいだろう」「壮大にして荒涼の極みだね」と、人類初の月面上での会話だった。

コリンズ飛行士は司令船から見守り、遥か地球ナサのスタッフたちや関係者に見守られで成し遂げた船長の脈拍は着陸時156を数えたと。

事故でアポロ13号が引き返した以外、17号まで6回成功し、計12人が月面に降り立った。

静かな海の足跡は、人類史に刻まれただけではなく、少年少女を宇宙へと夢を駆り立て、沢山の後輩を育てた。そんなお月様があと9日後に素敵に見える。満月は17日であるが。

森清範貫主「笑顔」など楢葉で揮毫

2016-09-05 09:09:43 | エッセイ
昨年5日原発事故で避難指示が解除して丸一年になる昨日、木戸村と竜田村の合併でできた楢葉町は9/1で60周年を迎えた。

約600人が参加した町制60周年記念式典と復興支援講演会に招かれた、京都清水寺の森清範貫主が、小中学生が選んだ「笑顔」をステージで揮毫、続いて、町民の応募から選んだ「輝」を揮毫した。

講演では、揮毫した「笑顔」と「輝」について、皆さんの笑顔によって町が輝くことができる。日々毎日を明るく過ごすことが大切と語った。

式典に先立って、60年の歩みを振り返る映像が上映されたが、第二原発誘致では激しい反対運動があったことを思い出す。

北の標葉ごうりと南の楢葉ごうりの双葉郡は帰還困難区域のさらなる除染で、10年で全員帰還ができる町になってほしい。

漢字入りノーマルクロス解答

2016-09-04 08:24:56 | 問題
月見の漢字入りノーマルクロスの答え「イモメイゲツ」でした。

9/15が旧8月15日で、仲秋の名月、月に里芋をを供え、月見ダンゴ15こ、他に枝豆や果物にお神酒、花瓶にススキ、ハギの花に栗の枝などをお飾りして、月を祭った。二百二十日が10日だから、台風の来ないことを祈ります。

ヒラメ漁再開と浪江宿泊開始

2016-09-03 08:37:43 | エッセイ
福島県漁業主力のヒラメ試験操業が震災前は「常磐もの」として高値取引された人気魚で2日いわき市久之浜漁港に5年半ぶりで水揚げされた。福島民報より。

試験操業には、相馬双葉、小名浜底引き網漁協の漁船47隻が臨み、久之浜港には約13.7キロが水揚げ、小名浜魚市場で放射性物質検査の結果、下限値未満で県内の市場に出荷された。今日セリの予定で、市民の台所にいい匂いが戻ってくることであろう。

また、全町避難が続く浪江町で、1日、避難指示・居住制限の両区域で初の特別宿泊が始まり、26日まで実施と。

素晴らしいことで、テレビの映像から、笑顔で後片付けや仏壇へ合掌する姿が映し出されていた。「やっぱり我が家は安心できるね」と同町権現堂の佐藤秀三・芳子さん夫婦も笑顔を見せていた。

馬場町長が怒りを発した、帰還困難区域の津島地区に、当時何も知らずに町民が避難したが、木村さんの指示で再度避難をしたことによる政府・県への対応に対しての怒りあった。もう5年半が経過した。宿泊で身も心も休まるであろう。しかし、津島地区はいつ帰還できるか一日千秋の思いで避難を続けることであろう。