オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

散歩

2010-11-06 | Weblog
11/6(土) 8時前に散歩に出る。何処を歩こうかと考えながらのスタートだったが、駅前から駒沢通りを越えて下馬方面に向かう。行方定めぬブラブラ歩き・・・。

駒繋ぎ神社の近くに辿り着き、神社に参拝することとなった。崖の上の神社から階段を下って、桜並木のある遊歩道を野沢通りに向かう。このまま世田谷公園まで歩こうかと思ったが、帰宅が遅くなると諦めて世田谷観音へと向う。

                       

                   駒繋神社本殿          神楽殿

世田谷観音には特攻隊の慰霊碑がある。この前で英霊に頭を垂れる。そう云えば、我が父も終戦間際には特攻隊員となっていたそうな。帰省して酒を交わすと、必ずその話となる。その上、普段に呑む酒が「月桂冠」となった。飛行機乗りの官給品の酒がこれで、懐かしいとか。

飛行教官が長かった親父は幸運にも生き延びたが、予科練の仲間や教官仲間は沢山亡くなったと云う。戦争末期の5月、岩国の航空隊で教官をしていた親父たちは、訓練生に教える搭乗機や油も乏しくなり、訓練を止めて教官一同で特攻隊を編成した。特攻基地に赴任前のひと時、岩国の町で生まれて初めて易者に手相を見てもらったそうな。

易者が曰くに「あなたは長生きする、90歳まで生きる云々」。特攻隊の教官仲間が後ろでクスクス笑ったとか。明日をも知れぬ身、自分でも信じていなかったと云うが、運良く永らえて易者の言う通りになりそうだ。この話と、終戦の8月15日、夕方には郷里に帰って来た話は何十篇聞いたことか・・・これからも、親父と呑む度に出ることだろうが、疎かに聞くことはできない。

                          
                        小田原代官屋敷跡(世田谷観音内)

木漏れ日の向うに、移築した小田原代官屋敷の門構えが映えていた。

途中、野沢公園にて体操をして9時過ぎに帰宅。家人は、姉妹三人でデイズニーランドに出かけるところだった。今夜は、其処のホテル泊まりとかである。そんな訳で、今夜の晩飯は私が作る、予定はヘルシー&廉価な「親子丼」だが・・・。

コメント
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