11/19(金)~22(月)まで、今や月例となった帰省。金曜日、朝一番の便にて高知空港に降り立つ。バスにて高知市内のリハビリ病院に入院中の母を見舞う。随分と元気になったが、耳鳴りと目眩が時々おこるとのことで、散歩も余りできないようだ。この原因究明と治療法の目処が立たない限り退院は叶いそうにない。
夕方、田舎の実家に辿り着き親父・伯父と恒例の食事&一杯。親父も最近は酒の量が減った。程ほどに飲み、早々に床に就いた。健康的な暮らしである。
翌日、明け方の雨が上がり心配された天気が晴れとなった。妹の家の柚子の取り入れを午前中手伝う。もう殆どの農家が取り入れを終えているそうな・・・半農の妹のところは遅れているそな。木から柚子の実を採るだけでノンビリしているようだが、中々の労働。雨上がりで蚋は集ってくるし、木が大きいので上の方はカギ針で採る。結構な労働であった。
午後からは自分の畑で蜜柑の様子や、先月植えた絹ザヤの手を取り付ける。河原から竹を切ってきての作業だが、私のやる事ゆえノンビリしたもの。蜜柑畑の下草は冬に向かい伸びていない、刈る必要なし。栗や梅の枝打ちをして切り落とす。
小さな木に実が・・
相変わらず蜜柑の新芽や小枝が鹿の襲撃を受けていた。何とかせにゃならんが・・・取敢えず、枝打ちした枝で被害の大きい蜜柑の周りをガードした。山の方で鹿の鳴き声がすした、忌々しいやつだ。
枝先が喰われて・・
翌日も雨の予報であったが午前中は持った。家の傍の畑にある文旦の木の枝を切ったり、畑の畝を耕す。全ては運動・腹減らしの為である。此処には文旦は三本しかないが、何れも大きな実を付けてたわわである。伸びた枝を切ると、なんと実が付いていた・・・失敗。
とは云いながらも慣れぬ鍬などを持つと汗は掻くし、しんどくて手が勝手に休む。
文旦の木 未だ青い文旦
午後から雨が降り出した。俄百姓はそれでも畑に出た。隣の畑のオバサンから立派な野菜を沢山頂戴した。「どうしたらこな立派な野菜が育つのかね~」などど云いながらあり難く頂く。そういや、毎回貰っていた・・・。母が小学校の先生をしていた頃の教え子、未だ母を「美千子先生」と呼ぶ。
夜は野菜の煮物、従兄弟が持ってきた猪肉を煮た。(猪肉は未だ旨くなかった、年を越してからが脂がのり旨くなる)
故郷の川は、今日も穏やかに流れている。
月曜日、昼前に雨が激しく降り出した。安芸駅まで妹に送って貰い。ごめん奈半利線の土佐黒潮鉄道にて高知市へ。車窓からの自慢の景観も雨に煙見えない。
母の見舞いを済ませ、夕刻の便にて帰京。そう云えば、先月の帰りに見舞った時も大雨であった。
家に辿り着くと、大したこともしていないのに疲れていた。