オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

あなご料理を・・・

2014-01-21 | Weblog

1/21(火) 昨夜、銀座に昨年オープンしたアナゴ料理の店「銀座 ひらい」にて、三遊亭大王ことWATANABE KAZUOさんとご一緒した。相棒のHIROMIKI氏も一緒であった。年末、大王さんから「銀座に手ごろな値段で、旨い店を見つけたので如何ですか」と、お誘いを受けたが、時間のやりくりが着かず昨晩となった次第。

WATANABEさんを知ったのは平成五年なので二十年も前になるが、社会貢献推進の仕事に就いていた時である。当時、経団連の社会貢献部の定例会合で講師役の存在であったのが菱形マークの電気会社に勤務されていたWさん。アメリカでの体験をベースに、日本にボランティアやヒィランソロピーを根付かそうと奔走されていた。

Wさんには社内セミナーなどで何度かお出ましを願った。今の会社に移ったところ、この会社とWさんは福祉囲碁と云う、また違った形で関わりがあった。人間の縁と云うやつは不思議なものである。こうして二十年を超えるご厚誼を頂いてきた。

Wさんもサラリーマンを退いた後、大学の先生や福祉法人の理事や施設長、全国を又にかけた講演会活動と大活躍をされている。最近は社会人落語家・三遊亭大王として高座に上がることが多いとか。囲碁にカラオケ、落語に話芸と、豊富な体験を生かした語り口は、熟年から老人層へと幅広く元気を注入する。来月で78歳だと言われたが、色艶のよさ、声の張り、話題の豊富さ、健啖ぶりと二十年前の姿と些かも変わりがない。

昨晩アナゴ料理をご馳走になったからと、よいしょをしている訳じゃありませんぜ。本当にお元気なんだ。その健康の秘訣は散歩にありと仰る。

アナゴの話が出ず、Wさんのことに終止しているが・・・・、紹介した内容は昨晩に出た話のおさらいである。宵闇迫る銀座三越前で、私たちは落ち合った。日曜日、昼間の銀座につづく銀座であった。

               

                         何れも、銀座四丁目交差点。

ここで漸くアナゴの話だが、この「銀座 ひらい」は日本橋と室町にあるアナゴ料理店「玉井ゐ」の分家のようである。本家の両店も日本家屋の仕舞屋を店としているが、この銀座も三原橋の三原小路の奥に在る仕舞屋であった。二十人も入れば満杯と、小体な店造りながら調理場が覗けるようにガラスで仕切ってあるので、席数よりは広く感じた。

昨晩頂戴したのは、アナゴ串焼き、アナゴのシャブシャブ、アナゴ箱飯などであった。珍しくハイボールばかり飲むHIROさんを尻目に、私とWさんは日本酒のぬる燗を飲った。燗酒の器は志野焼き?お湯の入った器に酒のお銚子がすっぽりと収まった酒器、これは中々の趣向であると感心した。

昨年、イブの夜の馬車道での小料理屋のカウンターに設えられていた酒燗方法もも面白かったが、こっちの方が簡単で便利だろう。こう云うのは、写真で見せるが一番だが、飲んでいるときにカメラは無粋と撮らなかった。

室町の「玉ゐ」を教えてくれたのもWさんであった。それをご縁に知人を何度か案内し、アナゴの美味しさに大いに喜んでもらったことがある。銀座に店ができたのは、案内状が来ていたので承知してはいた。が、またしてもWさんにご案内を頂くとは・・・。

懇談の後、唄が上手なWさんを銀座の店に誘うのが筋だが。生憎この日、昼に渋谷の先輩から「高知からTOSAOがきちゅうぞ、先輩を遊んじゃれ」と電話を貰っていた。TOSAOさんは、高校の先輩で、母校の校長を退職後、郷里の町会議員をしている。また竹内慕雪という書家であり、書道組織の理事会などで、ちょくちょく上京する。

明日は帰高されると云うので、銀座から渋谷に向かった。渋谷と云えば「菜加野」、前述の電話を寄越した先輩とは奈加野の店主のこと。二人は同級生なんだが、この日で滞在三日目となり付き合うのが疲れたと、相手役に私を呼び出した次第だ。菜加野でグダグダと一杯やり、お好み焼き屋で更に一杯となった。

 

昨晩、菜加野のオヤジから山商のカミさんが亡くなり、明日がお通夜だと知らされた。知った以上は知らん顔はできない。桐ケ谷斎場でのお通夜に参列することとした。山商こと、YAMADAさんとは、仕事を通じてのお付き合いもあった。主にカレンダーであったが当方のミスで、長続きをしなかったのが残念である。それ以来、うちのカレンダービジネスは低迷したままだ。

今週唯一空いていた今宵は、お通夜で埋まった。

 

 

 

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