オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

訃報ありて

2014-01-25 | Weblog

1/25(土) 今朝、母からの電話があった。甲高く切迫した声が、電話の向こうから聴こえた。またしても、何事がおこったのかと思う。従兄弟の直広が、今朝心臓麻痺で亡くなったとの泣き声であった。

直広は、私と一つ違いの歳下であった。中学から野球を始め高校・大学、そして高知の銀行に勤めてからも暫くは野球を続けていた。出場した甲子園では、ランニングホームランを打ちベースを駆け抜けた姿が未だ残っている。銀行を退職した後、関連会社に勤務しており、専らの趣味はゴルフだと言っていた。体格にも恵まれた優しい男であったが。

直広は、亡父の長兄の長男。我がARISAWA一族の墳墓を守っていた。高知市内に住居を構えていたが、安芸市入河内の実家には九十四歳になる母が居り、農繁期には頻繁に戻って仕事をしていたと聞く。突然の逝去に、高齢の母に何と伝えればいいのか・・・。

普段は余り会う機会がなかったが、この一年余りは亡父の葬儀や法事等で顔を合わして話をする機会が増えたばかりだった。余りにも早く、あっけない旅立ちを残念と思うばかり。

人は、命あるもの形あるものは、何時か無くなり消えてゆくばかりだが・・・、身近な者が旅立行くのを見送る方は切ないばかり。

葬儀は何時になるのか、月曜日は友引。とすると、月曜日はお通夜、葬儀は火曜日となるか?何れにせよ帰郷し、直広の野辺送りをしなくてはならない。残された者の、淋しくも哀しいばかりの勤めであろう。

31日の金曜日は、従姉の連れ合いの七回忌がある。これに出席するつもりで帰省の予定を立てていた。葬儀と法事が、同じ週に出来しようとは思いもしなかった。とは云いながらも、もういつ何があってもおかしくない年令だ。惜しい命ではないが、母だけは先に見送りたいものだ・・・。

                      

 

- 冷凍庫の整理 -

母からの電話の暫く前、私は冷凍庫に眠っていた猪肉の始末を付けようと包丁を握っていた。脂身の厚い肉を薄切りにして、味噌漬けと粕漬けにしようと奮闘していた。

                     

猪汁や鍋物には飽きたので、趣向を変えてみることにした次第。半解凍ぐらいが一番切りやすいのだが、不十分で硬い。包丁の背を強く押し切りにする、と人差し指の付け根に水蛸が出来てしまった。骨付きの胸は、タレに漬け込んでオーブンで焼こう。

                       

どんな味になるやら分からんが、明日には少し味見をしよう。炭火焼にする心算だが、フライパンで焼いた方がいいかな?

 

 ー 前日は、焼き物を -

焼き物と云っても肉ではない、陶器である。昔一緒に仕事をした、後輩のKURIKEN君のフェイスブックを見ると、陶芸教室仲間の展覧会が紹介されていた。彼も作品を出展しているとのことである。

金曜日、午後の某社でのコンペ企画のプレゼン(私は居るだけのこと)が終わり、田町の某財団を廻った後に、青山ベルコモンズで開催中の陶芸展を覗いた。夕方近くでお客さんの姿はなく、受付のご婦人二人の姿があるだけであった。

陶芸教室の生徒たちの作品展とのことであるが、いずれの作品も素人離れをした焼き物ばかり。とは、云いながらもこっちや何の目利きもできないが。それでもよくできた作品と感心した。KURIKEN 君の作品は「茶香炉」という珍しい焼き物。ビー玉を廻りに埋め込んだ面白い作品で、珍しい手工ではなかろうか。

              

ランプにもなる香炉とか、お茶を焙じる香炉と三作品が展示されていた。購入できればしたかったが、非売品とあった。

 

 

コメント
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