オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

走行3000km(4)

2014-04-09 | Weblog

3月29日、土曜日は雨が降りつづいたが、これは序の口だったことを後々に知る。窪川小学校で翌日の「四万十川桜マラソン」のエントリーを済ませたF氏を須崎市のホテルに送った我等三人は、高知市を挟んで反対の位置に在る安田町の拙宅に向かった。

U老は「温泉、温泉と」願望が消えない、高知市から東に在る温泉を思い浮かべれば、ビジネスホテルの「黒潮ホテル」の温泉か、我が安田町の上流にある馬路温泉が最適だが・・・・。黒潮ホテルでは風情がない、馬路温泉は浴場が小さいので土曜日の今日は混雑しているかも・・・。

そんな話をしている内に、老もとうとう温泉を諦めた。そこで、我が家に電話を入れて風呂を沸かしておくように頼んだ。温泉には負けるが、内の風呂は広いので我慢をしてもらおう・・・。

安田川沿いに5㎞ほどの上流が我が故郷、途中には家も少なく山に挟まれて川が流れる。田舎に来たなと、誰しもが実感する処だ。空気は綺麗、津波の心配もない、それが取り柄だ。

家には、従姉と妹が手伝いに来てくれていた。今夜の酒肴は「皿鉢」と「軍鶏鍋」それに採れたての「筍煮」に「刺身」が少々である。こんな物しかないが、ビールだけは前週に帰省してタップリと準備をしておいた。皿鉢料理は、柚子が軽めで上品だと評判の中村仕出し店からだが、U老もT氏も柚子嫌いときた、困ったもんさ・・・。

                    

二人とも軍鶏鍋と筍には大いに舌づつみを打った。途中でT氏が、鮎は喰えると言うので冷凍してあった鮎を焼いて貰った。老は、鮎の開きは喰えるが、丸焼きは好まない。中々難しい人たちだぜ・・。

蒲団に入る前に、くれぐれも伝えたのは『朝の5時にサイレンが鳴るよ、6時には音楽が流れるから』であったが・・・。深夜から雨風が強くなった、台風並みの風が吹く、雨音が強くなる。散々の天候となった。この風雨は、夜明けまでつづいた。サイレンも音楽も聴こえないぐらいの悪天候であった。

日曜日の翌日は室戸岬を見たいと、Tが強く望んでいた。これじゃ駄目かと思っていたが、出発時間の9時ごろになって雨足が弱くなった。山裾から海へと開ける空を見やると、明るい。私が作った朝食の後、室戸岬へと向かった。

               

F氏は、この日の朝九時がマラソンのスタート時間であった。西の方は明るいが、前途42.195kmの無事を祈る。

室戸岬に着いた頃には陽が射し始めた。岬の空海さんが籠ったと伝えられる彌勒祠、最近建った大師像、岬の風景と、Tは熱心に撮影している。それから、スカイウェイで岬の上にある燈台へと周った。

不思議なことに、燈台のすぐ手前にある札所「最御崎寺」に、Tは何の関心も示さず燈台の写真を熱心に撮り続けたのである。一方のU老と云えば「前回に見てるからいいや」と、車から降りようともしなかった。不信心な方々である。

         

岬の山頂から、麓に広がる室戸の町。太平洋のパノラマを堪能し、次は愈々私が一押しにする「日曜市」に向かった。

                      

                  日本一の光達距離を誇る        向こうの岬は「羽根岬」

高知市内・大手筋に毎週日曜日に繰り広がる「日曜市」は見ものである。全国多々な市を見てきたが、ここの日曜市が規模・出展物とナンバー1である。これを見せたかったのだ・・・・。

 

 

 

 

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今日も弁当だ

2014-04-09 | Weblog

4/9(水) 昨日につづき今朝も弁当作り。ご丁寧にも、昨晩の帰宅途中におかず用の牛肉まで買っていた。愈々、弁当生活に復帰の気配が濃厚になってきた。

今日のメニューは牛肉炒めと人参・ジャガイモ・セロリ・ペンネのサラダ、ウインナ―、小松菜を芯にした卵焼きとなった。牛炒めは、塩胡椒だけで炒めたものと、タマネギ・ピーマンを加えてタレで炒めたものの二種。ご飯は珍しく鍋で炊いた(これが早くて炊き上がりもGoodであった)。

            

             300g/1800円也                             ポン酢&マヨ味

家人・長女・三女の三人分の弁当を仕上げても、未だ菜が残っていた。私も久々に、パック詰めの弁当を持参することにした。

              

           珍しく綺麗に・・                                  my弁は焼肉丼風

朝からひと働きした気分になって、幸せな(ノー天気か)オヤジであった。

 

昨夕、後輩のYOSHINO君から電話があった。暇になったので一杯やりましょうと云うことだ。彼が何か言う前に『じゃあ、人形町の何時もの店で』と伝えた。彼とは、何時も「ちょっぷく」の安酒を酌み交わしている。早々と、5時になったばかりに「店に着きました」と督促が入った。

話すことは剣道部のこと、今年の新人採用や来年度の動向など。今月下旬のOB会や、全国連盟の役員交代など・・・。気に掛かることは幾つもあるが、道場に立たないOBが、今更口出しをするのは避けたい。そして、一緒に仕事をした当時の部長を囲んでの懇談会の設定、メンバーをどうしようか?などとオッサンの会話である。先日、一ノ関であったCHIBA君のこと、富山に蟄居したMURAI君のことなどを伝えた。

ハイボール二杯、ワイン三杯と、軽めに仕上げた。今朝の体調が良いわけだ・・・。

昨日の午後は、四谷三丁目にある「東京おもちゃ美術館」を視察に出かけた。視察などと大仰な表現をしたが、情報誌の対談場所・撮影場所としてここを予定しているが、現地を目にしてないのだ。館を運営するNPO法人の広報担当と面会し、小学校の跡地である館内を案内してもらいながら、当方の要望を伝えた。

             

           エントランス(如何にも学校)        展示ルーム             工房ルーム

おもちゃ美術館と嘔うだけあり、充実した玩具がテーマ別に、かつての教室毎に展示・展開されていた。平日と云うに幼子を連れた母やたちで賑わっていた。来週ここにて、NTTOBの通称「おもちゃドクター」に来てもらい、対談を予定している。これが、次号の第二段の取材となる。

丸ノ内線・四谷三丁目駅(2番口)から徒歩7分、新宿通りを新宿方面に向かい、JALシティHをすぎて右折すると、右手に旧四谷電話局別館?の先に在る。充実したおもちゃの展示と遊び場、幼子のいる家庭には取って置きの場所であろう。

四谷三丁目と云えば、若い頃によく訪れた。故・若山嘉成先生のお宅があった場所だ。先生が伊豆大川に蟄居された後、亡くなられて久しい。二十代の頃、スピンアウトしそうな僕は、深夜にもかかわらず先生のお宅に邪魔したものだった。あれほど何に苛立っていたのか、至らぬ己自身にであったことは今になって分かる・・・。そんな馬鹿で、若いだけの私を受け入れて下さった。それが、この地にあった。

余談だが、若山先生が我が家の四人の子供たちの名付け親である。

 

 

 

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