オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

今朝も・・・

2014-04-22 | Weblog

4/22(火) 昨夜は、サラリーマン時代の最後の会社で一緒だったSHIONO&TAKEIの両君が、人形町まで来てくれた。S君はベッタラ市や、かつての広報担当仲間の会で顔を合わす。T君は、高知県出身だが年一回の四国会で会うぐらいだ。その二人が、職場の前・後任となり親しくなったと耳にした。

そんな経緯から二人を呼んで一杯やろうと思った次第。S君からは「説教されに参ります」と、冗談メールをが飛んで来た。が、若い人と飲む機会はだんだんと減る、両君とも今や〝昔の若い人〟で、職場では中堅どころ。説教どころか、彼らから元気を頂こうと云う魂胆である。

一つ間違ったのが、この場にU老が加わったことか?偶々、老から電話を貰い、空いている日を聞かれたのだが、5月中旬まで空きがない。この夜の彼らとの席なら、同席しても差し支えなかろうと、伝えへてあった。そんなことで、20日ぶりに老が千葉の在からやって来たのである。

引退してから家に引き籠っている老は、話を聴いてくれる相手がいたとばかりに、自分の話を延々と続ける。『ちったあ、人の話を聴いたらどうかね』と、我が身を返らずに、人生の大先輩にタメ口をきいたのであった。まあ、そんなことはお構いなしと、安酒を飲む二人であったが。

二軒目は「SEIJU」でカラオケとなり、代理ママが仕切るカウンターに陣取った。代理ママ「松ちゃん」の会社の人だと云うオジさんが三・四人、カラオケで盛り上がっている。『じゃこれからのルールは、一番で終わりだから』と、勝手な宣言。誰が唄っていようがお構いなしに一番で伴奏を切った。向こうの方から「あれ切れちゃった」なんて声が上がるが、無視!お仕舞、次は誰だい、であった。

                       

         

そんなことで、昨晩の酒精が残っていたのか、今朝も起床は七時となった。朝寝結構、弁当大変と云う次第だ。飯の方は、昨夜の残りご飯で間に合わせ、菜の方に掛かった。昨晩酔っぱらいながらも、駅前の東急ストアにて「牛小間・糸蒟蒻」を買い、メインメニューは決めておいたので大助かりさ!

                    

先ずは、タマネギとネギ・糸蒟蒻で牛小間煮。茄子と挽肉で、マーボ茄子。ブロッコリ・アスパラ・人参の温サラダ。以上が、本日の弁当メニューであった。

                  

スムージーの代わりに、先月末の帰省で試し買いした「小夏」を剥いたが、未だ時期が早いようだ。この上品で美味しい果物が、本来の味には遠く酸味が強く香りは未熟であった。

                   

 

  ― 熊本へ ―

今日の夕方の便で熊本に向かう。「クマモン」に会いに行く分けじゃない、興味もない。用件は、明日の昼に伺う「きじの松田屋」のご主人、通称「松つあん」の取材が目的である。されど、折角の機会なので、友人のTが、昨年熊本駅前に医療系の専門学校や福祉施設をオープンした。この施設なども視察させて貰う予定だ。そんなことで、熊本空港にTが迎えに来ると云う。

今夜は熊本の酒、明日の取材後は「松つあん」と、クライアントお二人、TOKIOで菊池温泉の酒だぜ!。なに?仕事にも触れよって・・・。

取材先の「きじの松田屋」、ご主人はMATUDAさんと仰るが、N社を退職後菊池市の里山で雉の飼育を始められ、自宅の庭先に食事処を開いて雉とホロホロ鳥料理を供しておられる。果樹や野菜、田圃と、忙しくも充実した日々を、奥様と白寿を迎えた母、一匹の犬と共に暮している。

雉の養殖に至ったセカンドライフ、セカンドライフに至る道程、退職後に移り住んだ里山での暮らし、そんなあれこれをお聞きし、LA誌10号「夢のステージ マイセカンドライフ」コーナーで、紹介をさせて頂く。

昨年の九月、一度お伺いしている。電話でのやり取りも何度か、なのでMATUDAさんのお人柄は承知している。取材も、夜の一献も愉しみである。「きじの松田屋」でネット検索するとWEBサイトが出る。その中に「松つあん日記」と云うBLOGがあるが、ここで紹介されている日常が絶妙である。ご一読を推奨します。

そんな分けで、私は24日(木)の昼まで熊本に居ります。お弁当もBLOGもお休みだ・・・。

 

 

 

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