オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

味噌炒め

2014-06-19 | Weblog

6/19(木) 昨晩は早目に床に就いたので、今朝の目覚めは爽やかであった。酒も控えめにして、帰宅は23時前とおとなしい夜を過ごした。今朝の弁当作りも軽快である。

キンピラを作るつもりでいたが、牛蒡が品切れになっていた。急遽、茄子と人参・ピーマンに挽肉の味噌炒めに変更した。挽肉の入った味噌炒めは、飯との相性がいい。他には、焼き肉と付け合せの野菜炒め。出来合の冷凍ブリ照り焼き、定番の卵焼きとなった。

今日使用した野菜は、人参・茄子・ピーマン・アスパラ・ズッキーニであったが、何れも量は少ない。それに、キャベツと紫タマネギもあったか。肉は、挽肉と牛バラである。気持ち良く朝のお仕事を終え、またしても飯を一杯喰ってしまった。

              

お酒は控えめに、夜は早めに床に就く。これが健康には一番のようだ、が・・・。

 

  -酒場日記-

昨夜の退社は19時半、スタッフは皆さんお仕事中である。私は一人、渋谷へと向かったが、前夜の酒の所為か体調は依然として不良であった。渋谷と云えば「奈加野」であるが、ここにちょっと用があった。

                   

毎月三回、田舎の従弟が送っている米代金の回収もあったが、それ以上に気にしていることがあった。奈加野で五年程アルバイトをしてきたテェテェ(本名じゃないが、店主はそう呼ぶ)が、ミャンマーに帰国する日が迫ってきた。明日から東京を留守にする私は、この夜しか空いてないので餞別(僅かだが)でも渡そうと思っていた。

前にもBLOGに記したが、本当によく働く娘であった。よく働くだけでなく、頭と気働きがこれまた素晴らしい。そんなこともあり、帰国前に激励をしたかった。週末の土曜日まで店に出て、翌日の日曜日、22日に帰国するとのことである。ミャンマーに帰って、7月1日からはユニチャームの現地法人に勤めることになっているとか。

日本よりは給料は少ないそうだが、ミャンマーの一般の基準からすると破格の待遇であるとか。これまで日本語の取得に頑張ってきた甲斐があったと云うものだ(漢字も書けるからね)。

テェテェがいなくなるので頭を抱えているのが店主のオヤジである。レジの閉めまでやっていたので、オヤジの負担は大きくなる。「来週から大変だ」と浮かぬ顔をしている。生ビールと焼酎を飲みながら、オヤジのボヤキを聞いていた。

                         

                   ボヤキのオヤジ          テェテェとオヤジ

それじゃまた会う日までと、奈加野を後にしてから気が付いた。昨年5月まで募金に協力をしてもらった」カンカウン準中学校建設支援」の礼状を渡さなかった。今年3月落成式があり、無事に出来上がったと正式な連絡があった。その御礼をオヤジに渡すのを忘れてしまった。呆けてるね~。

その礼状を、今度は缶詰BARの「mr.kanso」に渡そうと文化村方面に向かった。缶詰BARのある三階への、細長ーい階段を登った。店のカウンターは一杯(尤も四人でだが)なので、テーブル席に座った。座ったのはいいが、カウンターの四人は取引先の会社のメンバーで旧知の間だった。

                          

テーブル席とカウンター席であれこれと話をするが盛り上がらない。そうこうすうるちに、向こうが引き上げた。私もハイボールを一杯だけで切り上げた。どうも疲れが抜けない、こんな日は早目に帰るに限る。長ーい階段を下り、駅に向かいながら肝心のことを思い出す、またしても、礼状を渡すのを忘れていた・・・。

                       

全く、オオボケもいいとこだぜ!

 

 

 

コメント
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