オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

稲荷すし

2014-09-18 | Weblog

9/18(木) 今朝も目覚めは、深夜であった。昨晩と違いラジオからの歌は聴へてこなかった。暫くぼんやりとしていると、四時の時報があった。考えるでもなく浮かんできたのは、十七・八年前のサラリーマン時代に勤務した現場での思い出であった。

『販売部門と工事・保守部門があったが、みなそれぞれに頑張ってたよな。市場が下町だったし、芳しい成果とは云えなかったが其々のスタイル・知恵というかやり方をもってたな・・・。保守稼働の生産性の向上と、無償保守の改善を頼んだが、結果をだしてくれた、とか。交通無事故3000日、達成目前に事故に遭ったが、貰い事故で軽いんじゃ、なかったことにしよう・・・・祝い酒を飲む機会を潰すな、とか。』いいメンバーに恵まれて、面白い職場だった・・・。

そんなことが浮かんだのは、この日にOB会の理事会があった。その後の懇親会で、副会長の某氏に「ARIさんは現場にいたことがないだろ?」と云われ、『いやいや、上野通営支店長をやりましたよ。芳しい成果はなかったけど・・・』と、暫く上野の話で盛り上がった。きっと、こんな会話をした所為であろう。

昨日は、午後から外出。行先は池袋であった。10月某日、女子ソフトボール界を牽引したUTUGI 前監督をインタビューする。その会場を押さえようと下見である。見込みをしたホテルに、内の担当が電話予約したところ満室と断られた。そこで、この暇なオッサンが直々に出向き、会場を押さえようと云う次第。

あれは、アテネでオリンピックが開催された年のことだ。我が相棒のTUGAWAさんをアテネに送り出した。私からの願いいは二つ、一つは塩野さんの小説で読んだ「ロードス島戦記」で知ったエーゲ海の島・ロードス島を訪ねて欲しいと云うこと。そして、もう一つが女子ソフトボールの試合を観戦してくる。という事であった。

女子ソフトボールの宇津木監督が何故か気になっていた。アマゾネス軍団を率いる、監督に刻まれた皴の一つ一つに物語があるように思った。何時か、この人を取材して、その物語を書いてほしい。そんな思いをTUGAWAさんに託した。その願いが漸く叶うことになった。OYAJIの想いに「千に一つの無駄もなし」と、云いたいぐらいである。

アフガンの地で、水路掘るペシャワール会の中村 哲ドクター然り、刻まれた皴の一つひとつに物語がある。そんな物語をひも解いてみたいと思うのは、単なる好奇心であろうか?。誰にも刻まれた皴がある、だから人間が好きだ、関心がある。その皴に刻まれた、ひだの底を溶きほぐし放ちたい。陽をあてる物語として・・・。

ホテルの広報担当に会い、事情を話すと、幸いにも早速に手配をしてくれた。万事めでたしめでたし。で、この後にOB会理事会に臨んだ分けだ。
思うに、何事も理を尽くし伝えること。どう伝えれば伝わるかを、考えてから伝えること。そして、顔を合せ、膝を交えることが大事だ。電話にメールと、便利なものに頼りすぎるのも善し悪しと、肝に銘ぜよ。

 

さて今朝の弁当は「稲荷すし」である。来週、稲荷神社で有名な豊川市を取材で訪れるからと云う訳じゃない。とはいいながらも、胸の奥で囁くものがあったかもしれない。

          

稲荷は出来合のものなので、暖めるだけ。飯を炊いて少しばかりの具煮たり、生姜を刻んだりだ。菜の方は「茄子&豚肉味噌炒め」「鶏団子と蒟蒻・人参・万願寺・オクラの煮物」「卵焼き」であった。何と、生姜に芽が出ていたぜ!このまま植えた方がいいかも。OYAJに芽が出ないので生姜が頑張ったか・・・生姜よアンタは偉い!。

                    

早朝ならぬ深夜からお目覚めだ、時間はたっぷりあると、五時から台所で遊んでいた。

           

久々にスムージーが飲みたくなり、冷蔵庫で凍えていたマンゴーと葡萄、トマトのスムージーを作った。美味かったね~、ほんのり甘く、実に清々しい味がした。

                   

今頃になって、玄関先の朝顔(ちょっと種類が異なるが)が満開、繚乱の如くになった。

                          

明日から帰省、そして週明けてから明石市、豊川市で情報誌の取材。帰京は24日の夜の予定。では、それまで、ご機嫌よう・・・。

 

 

 

 

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