9/25(木) 今朝は、先週の木曜日以来の弁当作りとなった。一週間のご無沙汰ですは「ロッテ歌のアルバム」玉置宏のセリフだったか、今の若い人には理解できないセリフだ。それだけこっちも齢を重ねたと云うことだ。
今朝は四時半前に目覚めたが、例によって夢駆ら覚めてであった。夢は、初めて係長になった折の部長MIYOSHIさんと、総括調査役HIKAWAさんが登場していた。昔のメンバーとの飲み会をいつやるかと、その相談をしていた。実はこれは、今春以来の私の肩にのしかかっていながら実現していないテーマなのだ。そのことかが夢になって現れたようだ。つづきの夢があったが、これは楽しい話であった。
枕もとのスタンドを灯し、暫く本を捲り、また寝入った。次に目覚めた時は、6時45分。急いで床を離れて台所に立った。家人の従姉から届いていた、福井のコシヒカリの新米を炊いた。そして、冷蔵庫の品を取り出して菜を作る。
今日のメニューは、「茄子と茗荷の味噌炒め」茗荷は、郷里の畑の傍らに生えてくる秋茗荷である。そして「豚肉とタマネギ・シメジの炒め焼き」、「鶏団子・ウインナーと人参・インゲンの煮物」、最後に定番の卵焼きとなった。
昨晩、高知での束の間の田舎暮らしの後、明石~京都泊~豊川での取材を終えて帰京した。先週木曜日からの動きを簡単に紹介する。
金曜日、朝一番の便で帰郷したが、これが大変だった。と云うのも前夜の酒が祟って、寝坊をしてしまったのだ。前日に調べた処、二便以降は席が殆ど埋まっていた。飛び石連休で満席状態のようだ。辛うじて朝の一便に空を見出していた。
本来は、木曜日の深夜バスに初めて乗車して帰高する計画でいた。が、膝は痛むし、夜の一杯会も生じた。そんな事態でバスはキャンセルした。安心して夜の酒が過ぎたのか、朝目覚めてから二度寝をしてしまった。次に目覚めると、家を出る予定の6時であった。それから準備をし、一時間遅れで家を後にした。
前夜「ローカーボ」での一コマ。この後「ちょっぷく」となった。
タクシーを拾えば何とか間に合うだろうと、目黒通りまで歩き漸く空港に向かったが、週末で道路は混んでいた・・・。それでも、7時40分に空港着。だが、搭乗券発売のカウンターは長蛇であった。自動発券機が空いていたので、ここで搭乗券をゲットできた。何時ものことながら、私の行動は綱渡り、危険が一杯なのだ。が、不思議と何とかなってきた。これも日頃の善行の積み重ねのご利益か?
と、危ない橋をわたりながらも機上の人となった。8:05分初の一番機は、ほぼ満席の状態であった。
19日から22日まで、郷里で過ごす。何時もながらの蜜柑畑でのひと時や、従姉達との酒盛りである。従姉の旦那が獲った鮎を貰い、喰い、開きを作る。今年は、洪水で8月が全く鮎漁が出来ず、その後も川が荒れて苔が無いために、鮎の生育ばかりか味にも影響しているようだ。
小さな鮎ながら、それでも子を持ち始めていた。腹の黄色い処が、卵である。小さいのを開きにするのは一苦労だぜ。挙句、天気が悪いと旨い開きにならないのだ・・・、天候は余りよくなかった。
草刈りがないと、隣の叔父が「お~い、何処かへ行こう」と、呼びに来る。亡父の弟だが、七人兄姉の末子だが、一人だけ残っている。免許証没収で何処絵hの行けないので、私が帰ると出掛けたがるのだ。その叔父が彼岸花を見に行こうと言う・・・。『うちの畑の周りに幾らでも有るよ』と云うが、車で出掛けたいのだ・・・・。
そんな相手をしたり、庭の草取り、池の掃除、母の飯作りであっと云う間に日が過ぎるのであった。帰省した日、一輪だけ蕾が出ていたコスモスが、22日には一株が咲いた。コスモスが咲くのを楽しみにしていた・・・。例え一株だけでも咲いてくれて良かった。
安田駅ホームから・・、山裾辺りが生家か?
23日、7:47分安田駅発、一両だけだが、列車という「土佐くろしを鉄道、ごめん~奈半利線」に乗って田舎を離れた。ここから、土讃線・山陽新幹線と乗り継いで、姫路で山陽本線に乗り「西明石駅」へと。乗り換えの姫路駅ホームに、ここから姫路城が見えますと記されていた。のんびりと写真を撮っていたら、乗り換え電車の発車が迫り大慌てであった。
16時半、此処で取材を済ませ、一路京都へと向かった。この夜の泊まりは京都であるが、明日の取材「豊川市」との中間点。京都の安酒場を覗く魂胆が、なかったとは言えないな。夜の祇園を散策し「かっぱ」なる、貧乏外人も、懐淋しのOYAJも喜ぶ店を見つけて、ここで一杯となった。
宿は、旧「祇園ホテル」だが、今はなんとアパホテルになっている。八坂神社の前にあり気にいっていたが、昔の面影は今やなし。ベットだけ大きく、寝心地悪し、部屋狭しで眠れなかったなあ・・・。
24日、豊川市へと向かう。ご承知のように豊川と云えば「豊川稲荷」だ。それに今川義元の首なし墓がある大聖寺を取材前の情報収集で訪れた。隣り合う、JR豊川・名鉄線豊川稲荷駅前からの表参道は、連休明けの所為か、産しい限りであった。初詣の参拝客で一年を稼ぐ、と云うのも頷けた。
生憎の雨となった。豊川稲荷は「妙厳寺」と云う広大な境内を有する寺院の境内に祀られていた。
この後、「さぬき路」と云う、讃岐うどん店の店主、N社のOBの方を訪ねて取材である。雨が激しくなってきた・・・。誰だ、行いの悪いのは?
ここは、セルフスタイルの讃岐うどんだが、出前も注文もできる。この地で創業37年迎える、この店の二代目店主、が今回の主人公である。
乞う、情報誌11号であります。
以上、慌ただしくも優雅なる一週間でありました。