11/2(月) 先ずは、先週に訪れた尾道市のことについて軽く触れたい。同じ広島県の三次市布野町での取材を終え、我等は尾道に入ったのは水曜日。既に夜の帳が下りた時刻であった。このことは、先日に触れた。
尾道を訪うのは、二度目のはずだ。約三十年も前のことだと記憶する。その折は、現在T物産の社長をしているOKAZAKIさんが同行していたような覚えがある。とすれば、仕事で行ったことになるので、多分備後地方の取引先、縫製工場を訪問した時のはずだ。それ以来、訪れた記憶はないが、TVなどでもよく紹介されるので、何度もいったような気分である。
チェックイン後、駅前まで食事に出たが、駅舎とその周辺は様変わりだった。朧な記憶ながらも、情緒あった駅舎は近代的とと云うか、面白味がないと云うか、日本中そこ彼処にある顔であった。そして、そこ彼処に在るような居酒屋で一献交わし、食事を摂った。
翌朝は、目的である「中村憲吉」終焉の棲家へと向かった。広島空港からレンタカーを使っているので、動くには便利である。尾道のシンボル「千光寺公園」へと向かった。ここの頂上から、文学の小道とやらを下って千光寺、そのすぐ下にある憲吉終焉の住居(尾道市が終焉の地として保存管理)へと向かう。
山頂 文学の小道
御承知のとおりに、尾道は坂の町だ。麓から歩いては、この弱った足も、同行のロートル取材陣は顎を上げ、舌を出してしまうに違いないのだ。行きはよいよい帰りは恐い、童謡ではないが、頂上付近に置いた車は? ご心配なく、ケーブルカーと云う便利な乗り物があるんだ。麓まで下りて、これで戻る。こう云う算段である。
千光寺公園からの眺めは素晴らしい。青い空の下に、大きな川、運河かと見紛うような尾道水道が、本州と向島を隔てている。それに連なるように瀬戸海の島々が重なり、彼方にまた陽光を受けた海が光っていた。
三重の塔(国宝らしい) 途中のカフェから ケーブルから尾道大橋を望む
一望の後、文学の小道とやらを下る。志賀直哉・林文子・正岡子規とう、江戸・明治・大正の文豪、歌人・俳人の歌や句が、坂道の傍の石に刻まれている。千光寺を過ぎると、直ぐに中村憲吉旧居跡の標識が建っていた。工事中の家の下に、憲吉終焉の家が、立派な碑に篆刻された歌で示されていた。
旧居には、転地療養の為に移った12月から、逝去までの半年ほどしか住んでいないが・・・・。住い、意外と小さい。十畳と六畳ほどの畳部屋に、狭い廻り廊下と、海に向かったガラス戸。三次・布野の生家を見て来た後だけに、そう感じた。然し、傾斜の急な山際、たおやかな海を臨み、陽光に恵まれた住いは快適であったろう。ましてや、買い物で坂を上り下りすることもないのだ。
尾道と憲吉、そしてふる里・布野、それを繋ぐOBのMASUIさん。如何に紡ぐのか、ライターの苦労が思いやられるな。今回は私ではない、ああぁよかった。
時間が押されたので、弁当は写真だけで・・・・。ご勘弁を!
煮物は、鶏・大根人参・油揚げ。焼き物は、シメジ・シシトウ・ピーマンのオリーブオイル炒め、鮭は生鮭のバターソテー。卵焼き、シューマイは出来合の冷凍品。ホウレンソウの胡麻和え。定番の卵焼きでした。