11/4(水) 昨夕は家人が出掛けていたので、晩飯を作った。オヤジの作る夕飯なんぞは、たいしたことは出来やしない。が、冷凍で取り置いてあった「剥き栗」を始末しようと「栗ご飯」を炊くことにしたのだ。
ベッタラ市の祭り用に、スタッフのNOBORUが実家から持ってきた、米ともち米が残っていたのでこれを頂いたのだ。米の方は、この日に祝日勤務をしているスタッフに「オムスビ」にして持っていた。このもち米と新米の「栗ご飯」を、という魂胆だ。
味噌汁を作り、ヤマメの揚げ物、鮎焼き、サラダ、最後は牛焼肉と、万端ととのえた。肝心の栗ご飯だが、もち米四:新米一の配合で、栗を乗せて電気釜のスイッチをONにした。後は、美味い栗ご飯の出来上がりを待つばかりさ・・・・・。
四十分後、釜のスイッチが切れた。さてどうかと、蓋を開ける・・・。栗は美味そうな香りだ、してその下のご飯は、と混ぜる。これが滅茶柔らかい・・・、柔飯は嫌いなんだ!
もち米を炊く時は水は少な目に、この鉄則を忘れて、何時もの新米炊きと同じ水量にしてしまったのだ。普段から炊いてないので、ついつい鉄則を忘れていた。べチャ飯の栗ご飯と成り果てていた。帰宅した家人曰く「お餅のような栗ご飯だね」だって。
肩凝りをしながら剥いた栗にも、NOBORUっちの糯米にも、相すまぬことであった。おまけに四合も炊いたのだから、今朝の弁当にも使うしかない・・・。
で、今朝の弁当ご飯は、あの栗飯である。不幸中の幸いとは、長女が「私は柔らかなご飯が好きだからOKだよ」と、言ったことか。
菜の方は、自家製の「粕漬け焼き」「チンジャオロースー」「小松菜の卵とじ」、出来合のシューマイであった。以上、三十分の台所遊びである。
余談ながら、平和島のボート遊びは祝日の火曜日、最終前と最終レースと連敗した。月曜日の夜、奈加野のオヤジから電話が来た。「おーい、明日は最終日の優勝戦だから行くぞ!。日曜日のリベンジだから、前もって連絡したんだ」と。丁度、「高松」で飲み始めた時であった。
『明日は、スタッフも出勤するんで会社に行く予定だ。ボート遊びは、ちょっと難しいな』と、返したのだが・・・・。昼にオムスビを持参して会社に出たが、平和島が、ボートの爆音がどうも気になる。それに、奈加野のオヤジを最後まで一人にせておくのも同郷の後輩としては、引っ掻かかる・・・。
などと、勝ってな思案の末に、折角会社に出たのにも関らず(もっとも仕事もないのだが)早々と、会社を後にすることにした。出社しているスタッフには『これから、稼ぎ仕事に行ってくるからネ』と、ニッコリ微笑んでの上で。
急かす気持ちをなだめながら、ボートレース場に着くと三時半になっていた。残りのレースは11,12の二レースだけだ。しかし、YOSHIOが持っていたスポーツ紙とネットで、素人ながらも予想・検討だけはしておいたさ。
奈加野のオヤジを探すと、日曜日と同じ席に居た。その肩は落ち、背は丸まっていた…、これで今日の結果は、明明白白と云うことだ。『どうなのよ?』と、一応は訊いてみる。「駄目だな・・・」と、案の定の応えだ。『暇つぶし、気晴らしに来てるんだから、いいじゃないのよ』と、心にもない返事をした。
それから、二レース。お互いに関知せずに舟券を買ったのだが・・・・・。今一歩と言うべきか、付きがないと云おうか、読みが外れたと云うべきか、運がないと云うか、またしても勝利の女神は我が頭上に微笑まなかった。
こんなもんだろうと、二人して納得しながら、させながら、平和島を後にしたのであった。冬場となり、レースの終わりは早い。家に帰ると、未だ五時だった。それではと、晩飯を作ることにした次第だ。べチャ飯の栗ご飯になってしまったが・・・。ついてない日は、なにをしても駄目か。
冬の一日と人生は、黄昏が、幕が降りるのは早い。バカな遊びにうつつを抜かしていてはいかんが、人生には遊びも息抜きも必要なのだ・・・。そればっかじゃねえか、と外野の声が聴こえてきそうだな・・・。 !