6/7(火) 日曜日の東京駅、9番ホームを12時丁度に発車する「踊り子号」にて三島へと向かった。この踊り子号は、熱海で下田に向かう踊り子号と修善寺に向かう三両編成の踊子号に別れる。青い海と潮風に戯れての出湯なら下田方面に向かうのだが、喧々諤々もなく、口角泡も飛ばさずに我等の演歌旅は修善寺に衆議一決したのだ。清流とオゾンの山あいの出湯で、「おんなの宿」を唄おうと云うことだが・・・・・。
同行し幹事役で飛び回るはずの悪徳チャンが、居ないのだ。悪徳ならぬ悪だけの限りを尽くした報いか、彼は千葉刑務所ならぬ千葉市を通り過ぎた房総の先っぽ館山の病院に入所ならぬ見舞いとなっていた。母親が急遽の入院になってしまったのだ。こう云う時に日頃の行い、善悪でサイコロの目が出るのであろう・・・・、我等三人は何の障りもなく出発したのだ。窓際に酒缶、膝の上に惣菜の数々を並べて・・・・。
日曜日の最初のイベントは三島「桜家」での鰻だ。午後二時頃の到着の旨を事前に伝え、しかるべき手筈を打ったのは当然だ。三島駅に降り立っても小雨がパラついていた。その小雨の中で、先ずは一服と喫煙所だ。処がこれが駐車場脇の青空喫煙なのだ。歩道の大樹の下で、無事到着の安堵息を煙とともに吐き出し、鰻への期待に胸ならぬ腹を膨らませたのであった(後にこれが禍う・・・)。
車中の酒と惣菜で気と腹が大きくなったオジサンたちは、剛毅にもタクシーで「桜家」に乗りこんだ(精々7~8分だが)。と、店の横にある待ち合わせ広場には雨にも関らず席待ちの大衆が二十人程屯していた。店前に用意された受付簿を見ると、細かい文字で順番待ちの名がびっしりと記され、席に着いた名は棒線で消されていた。凄い人数が既に鰻を喰った勘定だ・・・・。ちょいとリサーチをすると、土日休日に関らず、ほぼこんな状況だとか。三島の衆は、ここいらの衆はよっぽどの鰻好き?
タバコを吸いながら十分ほど待つと、順番が来た。引き戸を開けて店に入る。外に居た所為か店内は薄暗く感じられた。通路挟んで左側が小座敷、右と奥にテーブル席が並んでいる。我等は二階の座敷へと通された。ここには四・五度来ているが、二階に上るのは始めて。
店の歴史を感じる幅広の厚い階段を7~8段上がった先が広い座敷、朱塗りの座卓が四人掛けから十人掛けと云う塩梅に数組配置されていた。午後二時を過ぎており、昼食の時間帯としては遅い、客の姿は半分ほどしかなかった。片付け前の丼や重箱が空いた席に未だ残ったままである。
この広い座敷の他に、左右に中二階があった。お女中連は、オーダ担当、運び屋さんと役割が決まっている。というのも、何かを頼もうとすると別のやり手らしき人間がやってくるのだ(やり手お女中に唆され、一番高い冷酒を飲むことになった)。
肝心の鰻だが、NAKAMURA大将が「一番小さいのにしてくれ!」と、早々に音をあげた。HOYA兄いとオイラは、6200円也の鰻四枚の柵丼の予定だったが・・・・、三枚の鰻丼にトーンダウンした。車中の惣菜と酒が尾を引いているのだ。因みにこの店は丼もお重もお値段は一緒。鰻の枚数で値段が異なる。
冷酒をやりながら、鰻を頬張る。ちょいと焦げっぽい感じがここの蒲焼きの特徴だ。タレは甘からず、濃からず、薄うからず。てっ云うことは丁度の塩梅か?それがオイラの舌には何か物足りないんだ。誤解があっちゃいけないんで敢えて云うが、何処で何を喰ってもこれが最高!とか、美味くてしょうねえな!なんてことは感じない男なんだ。
旅の途中に、敢えて立ち寄って食す。それも、同伴のオジサンを誘い。それだけでこの店への信頼は判っていただけよう。要は私好みの店、鰻屋なんだ。ここは立地条件もいいや。伊豆箱根鉄道の広小路駅からすぐ、市の中心部にあるのだから。それに店構えが良いね、幕末からつづく店らしく仕舞屋風の雰囲気がある。
NAKA大将は二枚、オイラとHOYA兄いは三枚の鰻丼で、満腹・満足で二階の階段から転がり落ちそうになった。と、下りた処に福が待っていた!
右はNAKAさん
HOYA兄いが、お女中に訊いていた。「この店の跡取りは店に居るのかい?」と。すると、お嬢さんが店で働いてますとの返事。気の弱いオイラならそんなことは訊けもしないが、続けて「名前は何て言うの」と畳みかけた。と、人気の焼酎と同じ呼び名が返ってきた。HOYA兄いの話術と云うか、人柄と云うべきか。流石にインドネシア辺りでネエサンやニイサンを相手に、手籠めじゃねぇ、手玉にして仕事をしてきただけのことがあるぜ。
満腹で転がり落ちた階段下に、調理場から出てきた可愛いネエサンと鉢合わせした。その姐さんならぬお嬢に「MAOチャンて居るの?」と訊ケルのは兄いだけさ。と、「私です」と爽やかな応えがあった。面の皮が厚くなって清寿軒のドラ焼き程の厚さのおいら達は、お嬢と記念撮影となったのである。
これで旅の思い出が一つとなれば、帰京しての成果報告会で悪徳マッチャンへの自慢話となろうってもんだ。
満腹の千鳥足で外に出ると、雨が上っていた。NAKAMURA大将が「俺は晴れ男なんだ」と、気焔を上げる。次の目的地「三島大社」までは、街をお散歩しながらである。懐かしき中央通り、かつてあった「BARリラ」の前を通る。このために、ちょっとだけ遠回りしたが。
中央通りと、BARリラの在った場所
富士山の伏流水が絶え間なく流れる小川の側道を三島大社へ。大社の境内、社の大きさに、初めて来たNAKAさんはチョっくら驚き、感心をした。本殿に参拝し、鹿の飼育をする園、夏の大祭には流鏑馬が行われる境内脇の通路などを見て、三島田町駅へと向かう。区画整理か、この駅前も随分とすっきりした。この駅前の左手に、リラのマスター田村さんがやっていた喫茶店「榛名」が、その昔にあった。建物も、中央通りと同様に様変わりしている。
三島大社
毎年、8月15日~17日に開催される、この大社の夏祭りは中々の賑わいである。 それを知って、未だ十年にもならない。この地出身のお嬢ちゃんが銀座の店で週に何日かアルバイトで出ていた。その娘に教わり、その夏に初めて祭りを見た。当然、桜家で鰻を食した。
田町駅から伊豆箱根鉄道にて終着の修善寺駅に着いたのは五時頃であった。スケジュール表とおりの進行である。
と、修善寺駅に着いた処で、ひと先ず演歌旅の報告を中断する。つづきは明日にでも・・・・。
今朝の弁当を紹介しておこうではないか。
今朝のメインは「牛小間炒め」付きあわせはアスパラとシメジのオリーブオイル炒め。牛小間といっても、何時ものホルスタインのような名前だけ和牛じゃない。れっきとした和牛であろう?100gが890円プラス税なんだから。日山の牛小間の一番高いのを買ったからネ・・・・。
牛小間炒めと言っても、ちゃんと牛脂がついてきたからこれで炒め、味付けは塩胡椒で仕上げに醤油をひと垂らしだけ。美味い肉だったよ! 明日は、ロースステーキのつもろだ。
そして「ポテトサラダ」、ジャガイモ・人参・ゆで卵に胡瓜とオニオンスライス。作り過ぎてしまった・・・・。
鯖の文化干しを焼き、卵焼きを作ってお仕舞にした。
余談だが、昨日から歯茎が腫れたので先ほど歯科に行った。歯茎を切られて出血がまだ止まらない。治療中にでも、どういう治療になるか説明でもあればいいのだが、一時間半も治療椅子で仰向けにされたまま。終わってから、こっちが聴いてから応えたのだ。歯は痛むし、薬局では見栄を張って「アルコール消毒だ」とか言ったが・・・・とてもとてもだな。