オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

オムスビ

2016-08-10 | Weblog

8/10(水) 今日も朝から暑い…。夏だね~、隣の八百屋の兄妹の「行ってらっしゃい、お気をつけて」の声に送りだされて駅に向かう。出勤前は、なるべく体を冷やして汗をかかないようにして家を出るのだが・・・、 四~五分後にホームに立っ頃には汗ばんでいる。

今朝は、明日の帰省用のお土産に「冷凍の紅鮭」を手配する為に築地・場内市場に立ち寄った。九時半を過ぎた市場は、大半の仲卸店が店仕舞いの最中。そんな中を勝手知ったる店、冷凍物の鮭やイクラなどを扱う「北田本店」へ直行し、半身の冷凍紅鮭6本入りを一箱、送って貰った。

                           

北田の向かいにある生マグロ専門の「米岩」のオヤジが「マグロのいいのが残ってるんだ、サービースするから持っていってよ」と、声が掛かった。ここん処、マグロは買ってない。暑いときに、マグロを喰う気がしないのだが、残っちゃったからと言われ、買ってやる気になった。マグロ屋のオヤジの顔を立てるか・・・。

マグロは既にビニール袋に入っており、何処ぞ宛の封筒も一緒にあった。そのビニールを開けて、「このマグロだよ、いいだろう」とオヤジが言う。中トロと赤身が半々の、腹の部位だった。封筒を開くと、なんと会社の近所にある鰻の名店宛の納品書だ。このウナギ屋の料理長が、ここや隣の「原秀」で魚を買っているのに出会ったことがる。「いいものを仕入れて行くよ」と、聞いてはいたが、確かに伝票の金額を見るといい値段が書いてあった。

鰻店用に準備をしておいたが、今朝は仕入れに寄らなかったようだ。それでオイラに「サービスするから持っていってよ」となったようだ。伝票に記された値段の30%引きで貰ってきた。然し困るんだよ、今夜はUSUI老が来るので、遅くまで飲むことになりそうだ。マグロを持ち歩くこともできないし・・・・。

築地に来れば「愛養」のコーヒーだ。寿司屋に並ぶ客と行き交う台車を避けながら、汗を垂らして「愛養」のカウンターに辿り着いた。今日はアイスコーヒーにした。暇だったので、カウンターの中に立つケンチャンと話をした。『豊洲には移転するの?』と、「移転しないで、10月で店は閉めることになった。オーナーは僕じゃないしね」と返ってきた。

『それやぁ残念だね、この店はどれぐらいやってんのかな?』 「古いようですよ、百年以上じゃないかな。河岸が日本橋に在った時からで、ミルクスタンドやカフェの時代には愛養軒という店名だったそうですから・・・」と。

                        

ケンチャンは、高校生の時にアルバイトでカウンターに入り、そのまま居ついたそうだから。かれこれ四十年以上は、この店に立ってきたんだろう。次の仕事は未だ何も考えていないと、どこか淋し気な顔であった。ここの美味いコーヒーが飲めなくなるのも淋しい、ケンチャンの笑顔も見れなくなるか・・・・。これも、時代の流れと云うやつか・・・。

 

築地に向かう前、何時ながらの弁当作り。家人のリクエストで「オムスビ」にすことが前夜に決まった。零時前に帰宅すると、未だ起きていた家人が「明日は午前の訪問後、直ぐに出掛けなくちゃならないのよ。昼時間をとってられないだろうから、オムスビにしてくれない」とのリクエストがあった。

山の神の思召しじゃ、否応はない。六時に蒲団から出て飯を炊いた。最初は、オムスビ一本の考えで、鮭・タラコを焼き、梅干しを刻み、挽肉の味噌炒めを準備した。そしてゆで卵、卵焼きと進んだが・・・・。

何だか物足りない気分がする。長女は、今日は日勤をした後、深夜勤務(泊勤務)だと云う。それじゃ、長女には弁当と、夜勤用にオムスビを持たそう。そんな考えに至った。そこで、煮物(鶏肉・万願寺・インゲン・薄揚げ)と冷凍シューマイを追加した。

かくして、オムスビ九個(鮭・タラコ・梅・肉味噌)と、お弁当一つが出来上がった。

                      

 

 ― 意固地なやつさ ―

昨夕、同じテナントビルに事務所を構えるOKUYA氏と懇談した。O氏の会社がひと足早く、今月二十日に事務所移転することになったと挨拶があり、暑気払いを兼ねてご苦労さん会となったのだ。当社の役員、NOBORUを同伴して「高松」で懇談した。

O氏とは、氏の会社のホームページ制作を担当した縁で、テナントビルの競売問題に一緒に対処してきた。入居会社に声を掛け、対応策や情報共有をしてきたが、既に半数の会社が移転した。今月に、O氏の会社を含め三社が移転するとのことだ。最後まで粘っても、11月末には退去せざるを得ない。

いい加減な民法とやらで決まったことなので止む無しだが、腹立たしい限り。だからギリギリまでこのビルに留まるつもりだが、一方では近隣の空ビルの情報収集は欠かさない。こっちには、悪徳不動産マッチャンと云う強ぇ~味方がいるのだ。

さておき、ちょいと不満なことが有る。不満と云うか、不思議に思うことが。当社がこのビルに入居した折には、各テントに挨拶をした。ベッタラ市の折には、生ビールをサービスしますの挨拶チラシを届け、競売問題では各社寄り会って会合を持ち、メールでは情報を流した。

そんなことをしてきたが、O氏意外からは移転挨拶の一つもない。日頃のお付き合いが全くない状況なら分かるが、何度も顔を合せて話合いもした。それながら、「今度出ることになりました、お世話になりました」ぐれえの挨拶をするのが、仁義ならぬ道理と云うもんじゃなかろうか?

そんなことを思うオイラが意固地なやつなのか、変わり者なのか・・・・。

OKUYAMAさんと懇談後、妙に疲れがあったがパトロール隊のマッチャンを誘い「こま吉」で飲んでいた。HOYA兄いが、遥々新宿のホテルであった飲み会から抜けて、タクシーを飛ばして返ってきた。話は、義理と人情のことで盛り上がった。人形町の夜はかくして更け行き、今宵もまたオヤジ達は「ちょっぷく」へと流れるのであった。

                         

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする