8/22(月) 朝から台風9号が接近中とのことで、風雨強し。されど、かつては台風銀座と呼ばれた土佐の産である。この程度の台風にはびくともしないが、出勤途上で足元やカバンが濡れるのには往生する。
それにしても、今年は関東に接近する台風が多いようだ。この時期に発生するやつは、偏西風の影響でこうなるのか? 。関東の水瓶は心配ないだろうが、我が郷里の方は、天気予報を見る限り雨マークが付かない。水不足、日照り続きの農作物が気掛かりである。
さて、先週末の金曜日、USUI老が予定通りに会社に顔を見せた。何時もどおりに「高松」から懇談がスタート。HOYAの兄いも姿を見せたので、三人酒となった。高松から「ローカーボ」へ、NAKAMURA大将と悪徳チャンが手ぐすねを引いていた。其々がそれぞれの思いを語り、酒場に熱気が満ちた。
この日、悪徳チャンには某銀行からの入金がある予定だったが、担当者の不手際で処理がなされておらず入金が不能となっていた。元銀行マンの悪徳チャンとしては許されない出来事なれど、その辺りの事情についてはさもありなんと、我慢せざるを得ない心情を吐露し溜め息をつくのであった。
NAKAMURA大将は、業容拡大の為に銀行借り入れをすべきか否か、葛藤しながらも大きく舵を切ろうと思案六方。USUI老は、名古屋の姉夫妻のボケ問題や、出戻る息子の問題を抱えていた。其々の人生の中に、それに見合った重さを背負って生きる。人形町の酒場で夜毎に語られることは、日本の世界の縮図でもあろう。ノー天気は俺だけか・・・・。
そんなことで、木曜日、金曜日と渋谷に行けず。郷里から上京中のTAKEUCHI先輩との懇談ならず。まあ、奈加野の店主が同級生で、そこに泊まっているので相手には困っていない。土曜日に「平和島競艇」に三人で行くことになっていたのでその折に挨拶だ。
で、土曜日の昼前。NAKANOオヤジの車が迎えに来た。愈々三人で平和島に遊ぶのだ。私の競艇場行は、凡そ一月ぶりか。月に一度の舟遊びだ、大人の遊びと眼をつぶって頂こう。掛け金も飲み代に比べれば大したもんじゃない。半日遊んで負けても五千円、勝っても五千円程度の可愛いものだ。
三人が固まって席を取ることはしない。T先輩は、千円払って二階の有料席に行きたがったが、厳しく戒めた『その千円が幾らになって返ってくるか、無駄に使ってはイカンザキ。勝負で使いましょう』と。この厳しい姿勢が良かったのか、この日は出だしから幸先が良かった。二レースから買い始めたが、最初で元金が増えたのだ。
後は余裕を持ってレースに臨める。夜の飲み代の心配も、これで少なくなった。と余裕の勝負がつづき、前回と同様に勝利の女神は我が頭上に輝いたのである。とは云いながら、掛け金が少ないので大したことはないが・・・・・。勝って兜の緒を締めよ!
最終12レースは、店があるからというNAKANOオヤジの泣きで断念し、渋谷へと戻ったのであった。毎夜渋谷・奈加野じゃ厭きるでしょうと、人形町へ先輩を誘った。半蔵門線でチンタラと水天宮まで行き。甘酒横丁などを紹介してから「うまし」へ入った。何しろ、この店には「安田川産 天然鮎焼き」のメニューがあるのだ。
前・安田町会議員のT先輩なので、郷里の名産鮎がある姿を見せておきたかったのだ。そんなことで、ここでは専ら田舎町の活性化策についてが話題。そんな話の中で、獣医が必要とのことになり郷里の従弟にまで電話をしてしまった。そうこうしていると店を終えた中華料理「三浦」の大将が姿を現した。
そこら辺りで、店を替えようと歩いていると「ローカーボ」に灯りが点いていた。覘くと「予約客で開けてるんだけど、よければどうぞ」と言う。それじゃと、何時もの指定席で何時もの酒「ハイボール」となった。予約客とは、馴染だったスギ薬局の面々だったので何人かと与太話をした。
最後に「ちょっぷく」の前を通ると灯りが・・・。覘くと、YAMAちゃん店長がマイクを握って熱唱中、チーフにミムラッチとフナッシーが、鍋を前にして飲んでいた。これに闖入してマイクを握ったことは覚えているが、後は朧さ・・・・・。先輩を渋谷・奈加野まで送り届けてから学大に帰った。中々しっかりしてるじゃん!
でも日曜日の朝はしんどかった。それでも、朝からしっかり「カレーライス」を喰っていた。喰うことだけは忘れない、食いしん坊のOYAJIである。
今朝の弁当は一人分、家人だけであった。昨夜はオリンピックのマラソンを見てから眠った所為か起床は七時前と遅い。「猫ひろし」の走りを見たかったが、TVには映らなかった。それだけが残念なマラソン中継であった。
鍋で飯を炊き、菜は手抜きだ・・・。豚肩ロースとピーマン・エノキの中華風炒め。茄子と挽肉の味噌炒め。ジャガイモ&タマネギ・ハムのジャーマン風炒め。オクラと蒲鉾のフライパン焼き。焼きタラコ。卵炒め。以上であった。