10/17(月) 高知は朝から汗ばむような陽気になった。これじゃTシャツだと思いながらも、帰京の為に長袖のシャツとジャケットを羽織ると汗がでてきた。深夜に大雨が降り、橋の上に出てみると増水した川水は濁っていた。自宅から川まで100m程と至近なのだ。夏の深夜、窓を開けると蛙の声とともに瀬音が聞こえる。
この時期、帰郷しての楽しみは庭先に咲いた「コスモス」と、漁期が終わる「鮎」のことだ。庭先の秋桜は、九月下旬から十月の半ばまでが一番いいが、今年は少し早やくから咲いたようだ。十月の中旬は、例年だと鮎漁が終わる。今年も十月十五日で漁が終わった。
四年前の10月13日、庭先に建てた父母の句碑開きが催された。満開のコスモスが風にそよぐ中、集まった親戚や知人たちと記念写真を撮った。この年のコスモスが一番きれいだった。それから一月後、思いもかけづに父は亡くなった。
今年もまた庭先にコスモスが揺れている。が、心なし侘びしげに咲いている。その先に「小春日や七十余年の竹刀胝」と親父の句碑が立つ。コスモスが終わると、庭の手入れをしなくちゃならないが・・・・。今年もまた秋がやってきたが、足早に去っていくことだろう。
今年も九月になって台風がつづいた。東京のことではなく、田舎のことだ。この時期から「鮎」は脂が乗り大きくなる。子持ち鮎になり旨くなんのだ。それが、台風のもたらす大雨で洪水となり鮎漁ができない。十月になっても、禁漁となる直前の4~5日しか漁ができなかったとのこと。十五日は土曜日で、安田川に太公望たちが押しかけていた。
これは、HIROKATUだ!
我が家の傍の正弘橋から望むと、上下に竿を出す釣り人が並んでいた。従兄や義弟のHIROKATUは、箱メガネで水中の鮎をシャクる漁で四十匹程獲ったそうだが、型は小さいとのこと。HIROKATUは、今年の漁は去年より500匹は少ないと言った・・・。
帰郷した13日に、獲りたての鮎を貰って食したが、冷凍物とはひと味違って旨かった。十枚ほど開きにしたが、何れも子持ち鮎であった。今年の鮎も終わり、コスモも散る。秋の終わりを告げる故郷であった。
秋の味覚と云うよりは風物「アケビ」と「マツタケ」を、親戚のKATUOが持ってきた。従姉達集まり、松茸ご飯と吸い物のを作り秋の一夕を愉しんだが、翌日は採れ残った畑の栗を拾って「栗ご飯」となった。ただ、松茸も栗も、今年は少ない。
柿と温州ミカン&アケビ三態。タネの大きさはスイカの種ぐらい。
畑の草刈に焚火と焼芋、池の掃除と飯作りを堪能した、毎度お馴染みの田舎での日々であった。畑の隅に自然に生えた「茶」は、木に白い花を咲かせていた。
明日からはベッタラ市」モードだ。朝は築地へと食材の買い出しに。午後は仕事の打ち合わせで外出した後は、仕込みだ。猪肉・鹿肉と清酒「南」も田舎から届いた。安納芋も種子島の中園農園から到着。準備は整いつつある・・・・。来たれよ、客人!(屋台は何時のも場所だよ)