オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

函館・・・

2017-05-15 | Weblog

5/15(月) 今日は沖縄が日本に復帰した記念日。その同じ日に結婚式を挙げたのが友人のOOISHI君で、復帰の翌年か翌々年だったか。その時に司会を頼まれたことから、今日の日が来ると思い出すのがOOISHI夫妻のことである。その奥さんは二年前に亡くなり、OOISHI君とは昨年のベッタラ市に来て貰って以来である。元気でいるか、後で電話をしてみよう・・・。

記念日と云うのは、斯様に、いろんなことを思い出させてくれる。それだけ長く生きてきたということか・・・・。

長く生きてきたついでと云おうか、しがらみと云おうか、弾みというべきか。当面の課題が「古賀武夫 伝」(仮称)の出版企画の進行である。執筆をしてくれているのは、函館から遥々と行ったセタナ町(奥尻島が向かいに在る)に在住のHASHIMOTO氏である。

今年の春に出版を予定していたが、構想の練り直しがあり書き直している。一度書きあがったものを壊して再構築すると云うよりは、全面的な稿かいであろう。多分。

「暗礁にぶっかっている」との便りがあってから暫く経った・・・・・。そんなことで、函館に向かうことにした。俺の面をみても励みにはならんかもしれないが、俺の方が彼の顔を見たかった。なにしろ、氏は胃の全摘につづく、大腸カタルやらで食も細くなっている。物書きも最後は体力勝負のなのだ。その体力を維持するうえでの激励にでもなればと。それに氏の気分転換にで・・・。

オイラの方は気分転換の連続、食欲は旺盛で困っていると云うに、兎角この世は公平にはできてないようだ。

HASHIMOTO氏に陸路を六時間も掛かると云うバスを乗り継いで、函館の街まで出て貰った。東京を飛行機で発ち、空港から函館駅前のホテルに入ったオイラの所要時間よりも、函館と同じ渡島半島の鄙びた町?に住まうH氏の方が倍以上も時間を要している。

 ホテルに近い居酒屋で、魚なんぞを摘まみに話をした。体力は順調に衰えている。大好物の酒も飲むのを止しているとの由、申し訳ない限りだ。佐賀行きを勧めた。気分転換と刺激にはもってこい、また閃くものがあるかもと。多分、原稿が仕上がりその最終確認が出来る頃に向かうのではないだろうか。その時期は、夏になろうか・・・・。

そんなことで、氏との話は終わった。H氏は、翌日の金曜日にセタナに戻ると云う。時間のある小生は、この機会に松前に行ってみようと思った。

翌朝、ホテルのフロントで松前に向かう時間などを訊いた。余談ながら、駅前に在るこのホテルには三年前だかにも滞在したが、昨年からシェラトンホテルの系列になっていた。フロントもホテルマンも小ジャレて洗練されていた。が、妙に慇懃なように思ったのは田舎者の僻みか?

                       

松前へのルートは、函館駅~木古内駅まで電車 ― 新幹線が通り、在来線は三セクの民営で本数が少ない― 、其処から路線バスであった。所要時間は三時間 北海道が広いのか、交通の便が良くないのか?分らんが、多分両方であろう。それでも、向かうことにした。何しろ時間はあるんだ。H氏がセタナ町に帰ることこを思えば、なんのそのだ・・・・。

                    

                        駅前と、いさりび線の電車

10:40函館駅発に乗車し、12:10木古内駅前発の路線バスにて松前に向かう。電車に居た観光客のグループは、観光なバスで何処ぞへと行ったのだろう。大型の路線バスには十人程が乗っただけだった。暫くは町と林、草原から町を通って漸く海岸線に出る。微かに断崖のように見える島影は、二年前に行った龍飛岬か?

龍飛の断崖の上にある[津軽海峡冬景色」の記念碑とメロディーが浮かんだ・・・・。バスが木古内駅前を出たころから陽が射してきた。朝方の涼しさ、というよりは寒さが嘘のようだ・・・・。13時39分、目的の松城のバス停に時間どおり寸分の違いもなく着いた。ここから松前城址、公園までは道路を二つ渡ってすぐの処であった。

                      

                    松城バス停、後ろに広がる群青の津軽海峡

公園への緩い坂道を上る。染井吉野らしき桜樹はすっかり葉桜で、青々とした葉が繁りつつあった。

 このつづきは、明後日に!

 

 

 

 

 

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