12/19(火) 数日前、一冊の新書版サイズの本を買った。買い物にでたついでにブラリと書店に寄り、読み物を探した。そこで目に入ったのが「リンゴの花が咲いたあと」という、木村秋則さんの新刊であった。日経新聞社出版局が版元で、2017年12月8日が初版である。
この本をカバンに入れ、出勤時の車中で読んでいるがそろそろ読了する。当社が受託した某社の情報誌の取材で、木村さんのインタビュー記事を掲載したのは、確認したところ2010年9月1日号であった。書き手は、メインライターであり当社の創業者のさんである。取材は夏の盛りであったが、残念なことに私はこれに立ち会へなかった。
「リンゴの花が咲いたあと」には、自然栽培でご苦労された下りから、艱難辛苦の末にリンゴが実を付けたこと、米・野菜・果樹に至る自然栽培の実践と、自然栽培法の国内はおろか海外に至る普及と、無理解・困難。そして、志を同じくする人々との出会いと希望が記されている。
TUGAWAさんがインタビューしてから後のことを垣間見ることができる。如何にも木村さんらしい(お会いしたことすらないが)優しさと信念、一徹さが滲み出た内容で興味が尽きない。
今日の冒頭を何故こんな話から始めたか、と云うと残り数ページで読了し、手元を離れるからだ。忘れないように記したと云う次第である。農業の、自然栽培の教材・参考書としてではない。一人の人間の信念が世の中を拓き、希望の輪を無限に広げる、その可能性に満ち満ちていると云うことだ。
余談ついでに、津川さんがインタビューした翌年であったろう。岩木山の麓にある木村さんのリンゴ畑を、リンゴが赤くなった秋深まる頃に訪れた。微かなTUGAWAさんの記憶を頼りに・・・・。広域農道沿いにリンゴ直売点があった。立ち寄って木村さんのリンゴについて訊いた・・・。如何にも迷惑そうな顔で「ああんなものが・・・」と云うような言葉が出た。先人とはそう云うものであろう、ガリレオも然りだ。
この時は「森のイスキヤ」に、佐藤初女さんを訪ねる取材であったはず。初女さんが亡くなられたのは昨年の2月加・・・・。津軽の思い出は尽きない。
さて、本題の「サンドイッチ」に入ろうじゃないか・・・。
昨夕は、友人でT物産社長のO氏と二人だけの忘年会。今年最後になるかもしれないと、共通の場である「奈加野」になった。人形町で買った鯛焼きを、店の手土産にしたが、この匂いがメトロの中に漂い往生したのは、ご愛嬌と云うことで・・・・。
時間が早く、客は我等二人だけだった。O氏から公取の顛末を聞きくと ― ある事案で、1年近くも公取から調査をされていた。が、氏の会社は本筋ではなかったが、とばっちりを受けたようなことらしい ― 「改善命令が出たので、回答に不満を書きたかったが、弁護士から、命令の撤回例はこれまでなく時間が無駄になる。と言われて、矛盾点だけは書いて、受け入れることにした」とのことであった。
ご苦労なことであるが、つい最近では建設業界のことが紙上を賑わしているが談合体質と云うの、互助会組織のようなもので根絶しがたいのかも・・・。先行開拓=巨大化=大手=利権化&談合(分配システム)と、こんな図式になろうが、既存のビジネス分野において顕著になることは推測できる。ただ、O氏の会社は新参だろうに・・・・。
そんな話が済んだ頃に、店主が登場。ゴルフの話などに花が咲いた。ドライバーの距離が落ちた、二〇〇ヤードしか飛ばないとか・・・。こっちはゴルフを止めて長いので、ただただ頷くだけであるが、その昔、三人でバンコクまでゴルフやりに行ったのだ。確か、二度一緒に行っている。30年も昔のことだが、珍旅行だった・・・・。
またしても余談に・・・。O氏はよく食べるが、アルコールはビールをグラス3杯で打ち止めの下戸。食べるものを食べ、話すことを話せばお開きだ。7時半前に、店を出た。学芸大学に着いたのは8時前と、超早の帰還であった。
店仕舞い中の、高架下のパン屋の食パンが目についたのでサンドイッチ用に贖った。この時点で、今日の弁当が「サンドイッチ」と決定した・・・・。
食パンを目にするまで、弁当は「トンカツ」をメインにするつもりであった。食パンを目にした瞬間に「カツサンド」の文字が点滅したのである。単純明快、オヤジと云うやつは、こうでなくちゃならぬ!。
てなことで、今朝は7時からサンドイッチ作りとなった。メインのカツサンドの他に「ハム入り野菜サンド」「卵サンド」の3種を作る。面白くも可笑しくもない「サンドイッチ」が出来上がった次第。
残っていた手羽元を唐揚げにし、椎茸カツも付け足した。朝から揚げ物とはねぇ~だ。因みに、今日の弁当は二人分。余ったのは会社に持参か・・・・・。