12/27(水) 今年も残り五日、時の流れと云うやつの早さに流されつづけて、あとわずかで新しい年となる。齢を重ねれば友達も出来なくなる、或いは減っていく、年寄りというものは面白くないだろうと若い頃は思っていた。
確かに、これまで両指に余る先輩や友人が冥界へと旅立ったし、退職や遠方と云うことで会うことがなくなつた友人たちも数多である。そう云う意味では、友人といえる人数は少なくなってきた。
一方で、新たな出会いが生まれて友人と呼べる人々もできた。歳をとっちゃ面白くなかろうと思っていたのは大きな間違い、引きこもりさえしなければ友達はできる。胸を開いてさえいれば人との輪は広がると実感する、年の瀬。
私人としての年賀状の発送が二日前に済んだ。この枚数は何年も変わっていない。この十年、家族のことを中心にした賀状にしており、余白が僅かなこともあり裏書は殆どしない。「この年賀状が面白い、楽しみにしてる」と、何人かから言われて、止めるに止めれないことも確かだ。
一方、先週にポストに入れた社用の年賀状には、珍しく裏書をした。と云うのも、業務で訪問する機会がめっきり減ったし、敢えて訪問しないようにしてきた。若い人たちの時代、何時までもうろうろしちゃ邪魔だろうと。そんなことから、平素の欠礼を詫びる意味合いで・・・・。
私・公、併せても千枚に届かない年賀状だが、双方に込めているのは「不肖ARISAWA・MASANORI、なんとか生きております。皆さまもお元気で」と云う思いである。新年、小生からの賀状が届きましたら、この意を汲んでやってください。
なんだかんだと言いながら、今年の幕を下ろし、新しい年を迎えるために最低限の準備をしている処である。
今朝の弁当は三っであった。冬休みになり、学童保育園に行く孫娘SORAの弁当を頼まれたのだ。その理由がふるっている。長女は前夜に忘年会があるとのことで、ついては飲み過ぎて弁当を作れないだろうから。であった。
SORAの好物は「唐揚げ」と、人参・胡瓜を塩で食べること。ご飯は「塩オムスビ」なのだ。結構、好き嫌いがあるのだ。
従って「鶏唐揚げ」と、大人用に「ホタテ&椎茸フライ」を加えてメインにした。そして、ウインナーと安納芋も揚げた。朝から揚げ物をやる、妙なオッサンなのだ。
胡瓜と人参を塩揉みし、卵焼きを作る。塩秋刀魚を焼いてお仕舞だ。変り映えしない弁当であるが、思いだけはタップリと詰まっている。はずだが?。
― ラーメンを喰う!―
昨夕、仲間のHAMANO君が仕事帰りに人形町に寄ってくれた。彼によると、一年ぶりとのことである。一日の出銭が500円(食事・タバコ・酒も込みだ)と云う、大した暮らしをしているHAMANOである。
彼の生活を真似たいものだが、今はとてもできそうにない。残念ながら・・・、彼の二十倍以上が出て行く日々なのだ。だから私はHAMANO君を尊敬している。
彼とは、津田沼にあった前原独身寮で一緒だった。四十数年前の夏、江の島であったヨット部主催のヨット教室に参加したら、彼も来ていた。その時、同じ寮であることが分った。職場も仕事も違っていたが、それ以来の付き合いである。
彼と「ちょっぷく」で飲み始めて、「ローカーボ」へと移動。独身寮時代の仲間のことや、彼も近況などを聞いて時を過ごした。HOYA兄いが加わり、古くからの友人、そして人形町酒場で出会ってからの友人、と新旧の友人が交わった。そこに人生の面白がある。
最後に、三人でラーメンを喰うこことになった。人形町交差点の近くに在る「由丸ラーメン」で、生ビールと坦々ラーメンを喰っちまった。このパターンは数ヵ月も止していたのだが・・・・。
古くからの友人に会ったので気が緩んだか?。誘ったのは、なんと!私だ。HAMANOが腹を減らしてないかと、気遣いもあったろうが。