7/5(火)昨夜遅くに大粒で激しい雨となった。寝入りばなをその雨で起こされた。窓閉めて眠る、処が深夜になって暑さのために寝苦しくなり目覚めた。それから、眠れない。結局そのまま朝を迎えることとなった。
一時間の散歩の後、弁当を作り始めたがスピードがない。テレテレと一向に捗らないのであった。
さて、今朝のメニューだが、暑さ対策で酢飯で行くこととなっている。暑い日は酢物で食欲増進と云う塩梅である。何時もの土佐風「五目飯」、使う酢は何時もの柚子加工酢の「てまいら酢」をメインに柚子酢も少々加えて香りを引き立てる。
具は、人参の千切りと牛蒡の掻き切りを刻み油揚げの煮物。鯖の文化干し焼。これに胡麻と紫蘇(大葉)が加わる。米四合を昆布と日本酒少々で炊く。
お菜もほしいと、冷凍のシーフードを天ぷらに、人参の乱切りを素揚げにする。もう一つと、アスパラを茹で生ハムで巻く。ついでに小松菜を茹で胡麻和えにする。と、順調に行けばいいものが・・・愚図愚図と手順が悪い。
とうとう出勤途上の長女が、弁当を取りに来た。来たのだが「あと五分」と云うと「待てない」と、昨夜の残りカレーを持っていったのだ・・・。嗚呼、折角食欲が湧くようにと工夫した「土佐風五目すし」が陽の目をみない。「残りを冷蔵庫に置いておくので、帰りに食べろ」と、云うこととなった。
それでも、家人とK君用に。それに私も今日は宗旨変えで、すし弁を持参することとしたの。
社内では、仕事はスピードと言っている割には、今朝の私の仕事は遅かった。反省!
「ばっけ」のこと
平成6年か7年のことであったか、弘前へと「ばっけ」の取材に行ったのは。この前に『佐藤初女』さんの取材に行っているはずだ。何しろ古いことは記憶の彼方へといってしまい、ぼやけてしまった。それ以来、弘前詣でが続くこととなる。
最初の弘前は、2月の雪が降り積もった時期であった。聴覚障害の方々にライブホン(振動型のヘッドホン)を使い、ピアノコンサートを愉しんでもらうイベントの立会いであった。
「ばっけ」が活動する4月下旬は、弘前城(公園)の桜が咲く頃と重なる。上手く行けば満開となる。そんな次第で、弘前の桜とはお馴染みとも云える。
今回が初めての弘前と云う、K大兄と現地で合流。「ばっけ」公演前の僅かな時間であったが、城を案内した。桜の並木・大木、城跡の広壮な敷地に感激した様子であった。
東門を背に:K大兄 後ろの柵に停まった鴛鴦 天守を背に
毎年、”ばっけ”のシーズンに芝居を演じて福祉施設との交流を重ねてきた演劇サークルだが、NTTの拠点統合や採用減、メンバーの高齢化と役者も裏方も人手不足が続いた。そしてとうとう、今回の芝居が最後となった。
文化センター終演後
顔馴染となったメンバーや、落ち着いた弘前の街とも途切れることとなるのは些か淋しい想いである。数年前から、この日が来るとは思っていたが・・・。
『バッケ』芝居を、活動を、記録に残そうとNTTや労働組合に企画を持ち込んだが、陽の目をみなかった。ならば、と自主企画で記録映像化にチャレンジさせたが、人・物・金を掛けない貧乏所帯では、限度があった・・・致し方なし。
熱演の川崎座長・左
別れ際、女優陣が車から降りて”握手”をして出て行った。妙な感傷を覚えたのは、最後の最後、少し心が通ったかと思ったのか・・・。
日曜日の午前。公演に出かけるメンバーを見送った後、公園の堀沿いの歩道に立った。NTTの前の桜並木、葉を茂らせて梅雨間の強い陽射しを遮ってくれた。
春、満開の桜の花びらが花筏と彩る堀の湖面は水草で覆われていた。