オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ラ・フランスのスムージー

2013-11-12 | Weblog

11/12(火) 東京もめっきりと冷え込み始めたが、北国では雪が舞っている。これを思うと、江戸の冷え込みなどは何のその軽いものだ。北国の雪の便りを聞くと、彼の地に暮らす友人たちのことが浮かぶ、転ぶなよ・・・。

雪国の一つ、富山出身の友であるHOSOKAWA君と昨夜、久々に顔を合わせた。何度か連絡を貰っていたが中々スケジュールが一致せず、昨夕も仕事仲間との懇談会が入っていたが、これが始まる前の時間に同じ場所で一献となった。彼は既に両親を亡くしているが、生まれ在所(立山町)に家が在る。「行く行くは帰るのか?」と訊くと『雪があって寒いとこは嫌だな』と言ったが、続けて『でも、田舎がだんだんとよくなってきたよ』と云う。

彼は今年の役員改選で元の会社を退職したが、そこの顧問と子会社の社長になっている。奥さんや子供は実家のある久留米に住んでいるが、早晩カミさんに引かれて九州に行くことになろう。富山の実家や墓をどうするのか、また悩ましい問題に直面しよう。他人事ではない。

昨晩は一年ぶりぐらいになろうか、五反田の「蔵や」にて一献であった。この店は、終戦直後に建ったようなボロ家(失礼ながら)で、小さなテーブル二卓と十人程が座れるカウンターだけの、小体で鄙びた店ながら、旨い魚と摘みを出してくれる。女将と料理人の店主が切り盛りする、とても気分のいい店だ。

取引先でもあり、友人とも云える某社の部長・課長(二人とも若い)に当社のU老とでの懇談会であったが、友人のHから連絡を貰い早目に店で落ち合った次第。摘みが旨い、店の気分が好い、飲み相手が良いで、焼酎ハイボールがすっかり進んだ。爽やかな酔いとでも云えようか。

一つ気になったのは、U老が「あれは拙いんじゃないの」と、今朝の営業メンバーとの打ち合わせで厳しいことを言ったことへの一言。余所の人間が居るのでそれ以上の話はしなかったが、物事を伝えることの難しさを実感する。人は己が聴きたいことを聴き、聴きたいように聞き取る。そんなものとは重々承知だが・・・。

 

さて、今朝も五時前に目覚める。弁当作りの夢は見なかったが、違う夢を見ていた。暇なので、新聞と本を読んで時間を潰す。風呂にゆっくりと浸かり、足指先の柔軟体操。そして、スムージー作りとなる。

今朝は、ラフランスと人参・小松菜にした。柿やリンゴを加える手もあったが、シンプルに行くこととした。小松菜で見事なグリーンとなった、味はシンプルで飲み易いが、安ミキサーの所為でラフランスの皮のツブツブ感が喉にあたった。

             

 

今宵は、上野界隈に出没となろう・・・。飲み過ぎ・二日酔い警報が鳴りそうだ。    

 

 

 

                       

 

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果物だけじゃ・・・

2013-11-11 | Weblog

11/11(月) 夜中の3時に目覚めてしまった・・・。昨夜は23時ぐらいに寝入ったようだ、その所為か夜明けまじかと思いこみ蒲団から出た。リビングの時計を見ると3時、暫くTVなど点けて見ていたが碌な番組がない。暫く時を過ごしてもう一度蒲団に潜り込んだ。本当は、NHKのラジオ深夜便とかCDのアベマリアでも聴きたかったのだが・・・。

実は目覚める前、夢うつつの中で弁当の菜をあれこれと考えていた。今日は「小タマネギのフライ、豚肉の竜田揚げ」などと、思い巡らしていたのであった。三つ子の魂百まで、ではないが、オヤジの弁当魂は未だ断ち切れていないようだ。

とは云っても、弁当は作らない。今朝も、作ったのは自分用のスムージーだが、今朝は野菜を入れなかった。野菜を使わないスムージーなんて意味がないように思うのだが・・・、バナナと葡萄・リンゴを小さなミキサーに入れると、これだけで満杯となったのだ。しかし、これじゃ糖分過多だな・・・・。山形旅行、土・日と炭水化物の摂取が多かった、その上に糖分過多では・・・・。

                    

 

昨日の午後、既に始まっていたが「東京アマチヤ・マジッククラブ」の第68回発表会を覗いた。サラリーマン時代の最後にご一緒したINOUEさんが、このクラブのメンバーとして出場する。先月、サラリーマン時代の会社の四国会でお会いした際に、この発表会のPRをされた。『参りますよ』と云うと、ご丁寧にもチケットを送ってくれたのだ。

開演後暫くして到着したが、会場の虎の門・ニッショウホールは、ほぼ満席に近い状況だった。舞台では、アマチヤのマジシャンの熱演が続いていた。川渕三郎さん(サッカー協会)も登場して、サッカーを題材にしたマジックを披露された。会は、発足80年を迎えたそうで、なかなかの歴史を誇っているが、歴史のある会の宿命か若手が少ないそうだ。然し、米寿のアマチヤマジシャンの元気な舞台姿には敬意を表したい。

歴史を誇るだけの会らしく、大掛かりなTVで見るようなマジックも披露された。知人の、INOUE氏は、コミカルな「マジック劇」に登場、オヤジがマジック手術で変身した後の、二枚目役であった。氏の、日頃の丁重で柔らかい物腰や、痒いところに手が届いた配慮ぶりと、マジシャに求められるであろう、きめの細かさが重なる。今朝も一番に、丁重にも昨日来場の礼を伝える電話を貰った。

そんなこともあり、昨日の日曜日は充実の一日であったと云えよう。

 

 

 

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再び山形へ

2013-11-10 | Weblog

11/10(日) 水曜日、遅ればせながらのPマーク審査を受け、取り敢えず終えた。事務局スタッフの慰労を兼ねた反省会を「高松蕎麦店」にて行った。メンバ-は、リーダーのNOBORU,AOKI、AKAGIに我が社の至宝とも云えるOGAWAであった。TOKIOは所用があるとのことで出掛けた。五人で一献交わすのも久々であった。

特に記すべきこともないが、日常の業務であれPマーク取得のような取り組みであれ、全メンバーがその気とやる気で着実に進める、日々を積み重ねて行くことが肝要。それが出来れば、着実に力が付いて行くのだが・・・。

「高松」では、例の如くに一番最後まで残る客であった。帰りしな、女将から貼り薬を渡された。小生の膝痛を気遣って用意してくれたようだが、気持ちだけを頂く訳にもいかずに預った。

帰路が同じAOKIと駅に向かう途中、「ローカーボ」の灯りに引かれて立ち寄った。高松では久々に金魚ソーダを中心に飲んだので、ここでは定番のハイボールを少々頂くことにした。マスターに『南らんぼう』の「曲をリクエストし、検索をしてもらった。好きな何曲かを聴くが、どうもここの場にはそぐわなかった。

                    

翌日木曜日は、昔の職場仲間との旅行が控えているので飲み過ぎには注意する。そんなことで、短い時間で切り上げた。

木曜日、上野九時集合に併せて雨の中を何時もより早めに家を出た。東京から総勢二十名、山形在住のUENOさんが現地で加わり泊まりは二十一名となる。朝からビールを飲み、眠くなってしまう。毎夜の酒の所為もあろうが、気の置けないメンバーと一緒でリラックスしきっている。

                    

隣に座っているのはYAMADAさんであった。最近の様子など伺うと「蜘蛛幕下出血で倒れた家内を自宅に引き取り、その世話でここ四年は付きっきりです。気管の切開をし、胃瘻なので二十四時間目が離せない状況ですが、それでも退院した頃に比べると意思表示ができるようになり元気になりました」と話した。

それだけの看病には頭が下がる。現役時代も生真面目で、コツコツと着実に仕事をされていたが、家庭人としても見上げた方である。YAMADAさんの話を聴きながら、現役時代の姿を彷彿した。細い体で、大きなカバンにカタログや資料を沢山入れて、「何時でもどんなオーダーにも対応できるようように、資料を準備してありますから」と、重いでしょうと訊ねた私に応えた頃と、少しも変わっていない生真面目な生き方。

夜毎酒を飲んだくれている、何処かのオヤジに爪の垢でも飲ませてやりたいものだ・・・と、今になって思うが、遅かった!残念。

山形は9月下旬に取材で訪れたが、その折には紅葉には早かった。取材で訪れた蔵王の麓に在る「石行寺」の江戸もみじが、赤く染まっているだろうと思念しながら、蔵王温泉へと向かった。

生憎の雨だが、山々は錦秋に染まっていた。蔵王温泉「五感の湯・つるや」旅館にて、山形在住のUENOさんとも合流。なんとUENOさんは、蜘蛛幕下出血で入院・手術をされていたとのこと。今年二月に、急性の胃癌で相方を亡くされたばかりである。東京で開かれたその偲ぶ会でお会いし『落ち着かれる頃の秋に、お話を伺いに参ります』と云ったが、ご当人が病を得たとは知らなかった。知らないところで、色んなことが起きている。

夜はお定まりの宴会、悪いことにカラオケが用意されていた。席は座敷にテーブルで、膝には助かるが、座り込んで酒を、杯を遣りとりする雰囲気ではなかった。、ソーダがないので、チビチビと水割りを飲み、飲み過ぎず食べ過ぎずに徹した。

                 

翌日は雨が上がったかに見えたが、途中から降りだしたり止んだりの天気。紅葉の山道を会津・喜多方に向かい喜多方ラーメンを食した。喜多方は初めてであった。YAMADAさんは、奥様が元気なころにご一緒したことがあるとか。ラーメン店の在りかにも詳しかった。

帰路、高速道路のj事故があり大幅に遅くなった。上野に着いたのは二十時前となったが、当時の庶務係長スーさんと御徒町の居酒屋で一献交わし、さらに人形町の「ちょっぷく」まで流れた。スーさんは独身なので、毎日外食だそうな。遠出も厭わないようなので、人形町の店を教えた次第。また、飲み仲間が増えたか・・・嬉しい限りだ。

 

昨日の土曜日、朝新聞を取りに出ただけで一日を部屋に垂れ込めて過ごした。その反動で今朝は、7時前から動き出す。午前中に会社に出て、午後は3時前に日商ホールに出向く。「東京アマチヤ・マジシャンズ・クラブ」の発表会が開かれ、これに出場する知人からチケットを頂いた。折角のことなので、これを応援がてらに覗こうと云う次第だ。

無芸大食の酒飲みオヤジからすれば、アマチヤ・マジシャンとか、YAMADAさんのような献身的な生き方は、崇め奉るしかない。皆さまに幸あれ。

 

 

 

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暇な朝を・・・

2013-11-06 | Weblog

11/6(水) 昨日から弁当作りを止めたので朝の時間が暇になった。起床時間は変わらぬ、さてこの暇な時間をどう使うかだ。ジムに行く手があるが、連日だと膝への負担が大きいので隔日ぐらいが丁度良い。CDを聴いたり、朝ぶろの時間をゆったりと過ごすことだけでは能がない・・・。写経でも再開するか、などと考えている。

昨夕、阿蘇から上京したSEIさんと会うために五時過ぎに「奈加野」に着いた。予定では、五時から五時半の間が待ち合わせ時間であったが、メールが届き六時半頃の到着とあった。先にやっていようと、生ビールから始まりハイボールへと進む。予定時間になったが未だ着かぬ。再度のメールで、七時半頃着と来た。

「先に飲んでいるのでゆっくり来てください、出来上がっていることでしょうが」と、返信した次第。それにしても昨夜の奈加野は空いていた、我々の他に二組しか入っていない。店主に「これじゃ心配になるな」と余計なことを云う。店主も席に来て話の輪に入った。

SEIさんは、御殿場にあるブルガリア薔薇園のオーナーに会いに行っていた。向こうで予定外の方々の紹介受け、それで遅くなったとのこと。薔薇園のオーナーが高齢となり、手入れが出来なくなったことから、この薔薇を譲り受けることとなり、その打ち合わせだそうな。だが、阿蘇・高森町に霜が降り始めたので、移植は来春に延期するとのことである。

SEIさんはソフト開発の会社を起業していたが、これからは農業だと数年前に発心して転身を図ったと云う変わり種だ。一年間、益子の高橋丈夫さんの農園で研修生活を送り、生まれ在所の高森町に帰農した。メインは養鶏だが、米・野菜に加えて薔薇作りをスタートする計画とか。

9月、高森に伺った折には、卵一個80円で販売と言っていたが、昨夜訊くと150円に値上げしたとのこと。薔薇園のオーナーが高森を訪れた際に、「この味で、80円では安すぎる」と云われたそうだ。然し、150円の卵は毎日は喰わんなと、私は思った・・・。

奈加野の後、久々にm.Kanso(缶詰BAR)に寄りハイボールを遣る。何しろ三階にある店で、階段がなが~い。膝を痛めて以来、ここの長い階段を上り下りする気力・体力がなかったのだ。昨夜の調子では、膝の方も快方に向かっているかな?

今日は、遅まきながらのPマーク取得のための審査日である。休むわけにも遅刻する訳にいかんと、昨夜はアルコールを抑え目に過ごしたが、飲んでいた時間が長い。五時間以上は飲んでいたので、今朝はちょいと体が重い。風呂にゆっくりと浸かり、一時間早く出社した。質問されるであろう事項をおさらいした・・・以外と思うだろうが、生真面目な処もあるのだ。夜には反省会をしなくちゃ・・・。

さて、今朝のスムージーはリンゴ・葡萄・ミカンにセロリであった。一気に、二日酔い気味の胃の腑に収まった。

                   

 

明日から明後日に掛けて一泊旅行となる。行先は山形・蔵王温泉とか。メンバーは、十五年から十七年前に職場を同じくした上野通信機器営業支店の皆さん約20名だ。大半がOBとなり、現役は僅かである。毎年この時期に行われているが、昨年は実父の手術で参加できなかった。今回は事前にスケジュールを調整してくれたようだ。懐かしいメンバーとの邂逅である。然し、飲み過ぎには注意しよう。

 

 

 

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或る日突然に

2013-11-05 | Weblog

11/5(火) 昨日・一昨日と午後のひと時に会社に出た。溜まっている書類の整理などであるが、一昨日(日)には帰りにジムに寄って軽いトレーニング。軽いトレーニングながらも、翌日の膝は具合が宜しくない。されど体のバランスのためには、動かさなと気持ちがよくないし体調も良くないのだ。

先週は連戦連投で、まるでイーグルスのマー君のようだった。マー君との違いは、立つグランドが違うのと稼ぎにはならず、反対に出て行く一方だ。三連休となったので、少しは肩ならぬ胃の方を休めたかったが・・・。

休みは休みで、朝から台所と云うグランドに立ち飯を(自分用だが)作り、菜を作ってビールを飲んでいる。ビールの量は知れているが、飯が重い。炊き立ての飯に、鮎焼きや沖ウルメにチリメンジャコ、ショイノミ(醤油の元で、大豆・麦など)で胡瓜を齧る。納豆に卵焼き、海苔に佃煮etcと故郷の山海の食材を喰らう。

三日目の昨晩には、流石に胃の方も腸の方もへばっていた。致し方なしだ。昨日も7時前から朝飯作りに勤しんでいた、ら・・・。ふと、こんなことをしている己が虚しくなった。その虚しさが「日々の弁当作り」のことに及んだ・・・。

何でこんなことしてるんだ?するのか?と疑問jが湧き、次の瞬間に、止めよ!と、発想がワープしていた。まさに一瞬のことだったが、虚しさが、弁当を作ることが、ことを虚しく感じたのであった。

 弁当作りを始めて五年と六ヶ月、BLOGのテーマを日々の弁当してスタートしてから丁度五年。長いようで短い、短いようで長い期間である。弁当作りに費やした時間を述べ換算するとどれだけになるやら。途中所々に休止期間があるにしても相当な時間となる。遊びの時間ながら、相当の日時を費やしてきた。

まあ~弁当と云う遊びに「飽きた」と、いうことだろう。それが、溜まり溜まっていたものが或る日、ある時に吹き出してきたのだろう。弁当作りだけでなく、いろんなことに当て嵌まることではあろうが。或る一瞬において、吹き出す。溜まりつづけた地底のマグマが、ある瞬間に吹き出す、それと似たような現象か?

私の場合は、そんなことが往々にしてあるが・・・。そして家人と長女に、「弁当、止めたから」と、白っと言い渡した。

どんな風の吹き回しで、再開と云うことも無きにしも非ずだが、今朝から弁当とはオサラバした。だが己のスムージーだけは作る。今朝は「人参とバナナ・ミカンに生乳」が入ったスムージー。

                    

人参の甘さ、バナナの香り、ミルクの旨味が上手く溶け合って、飲み口の好いスムージーとなった。こんなものでも飲んで、飯の喰らい過ぎによる腹のもたれを解消しなくては・・・。

 

今夕は、阿蘇・高森町に帰郷して農業の道に入った SEI さんが上京。渋谷にて落合い一献交わす。九月の連休、阿蘇の外輪山の外れ、山中に在る彼のお宅に寄せてもらい一夜、世話になった。高森の山中には既に霜が降り始めたとか・・・。これで、ブルガリア原産のバラの移植も延期とのこと。

さて、今宵どんな話が聴けるのか、楽しみである・・・。

 

 

 

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連投はきつい・・・

2013-11-01 | Weblog

11/1(金) 昨夕は後輩のYからの連絡で、早くからグラスを傾けることとなった。Y君と会うのは、人形町駅からすぐの居酒屋「ちよっぷく」と決めている。皆が仕事をしている時間帯に飲み始めるのは少々気が引ける・・・。さりとて、Yも客の一人でもある。ここは顧客対応と云うことで勘弁願おう。

前夜の深酒の所為で喉が渇く、生ビールから始めた。そしてハイボールへと進む。店長の山ちゃんに、「久保田を出せよ」と頼む。返事は良かったが、一向に出てこない。普段は摘みは殆どとらないのだが、Yが居るので何皿かテーブルに並べた。この前の全国実業団剣道大会で、チームが優勝したと聞いたのでその話や、ビジネスの動向など聴きながら、二時間余を過ごしてお開きとした。

私もそこで引き上げればいいものを、未だ7時過ぎだ。スタッフのTokioと話したいこともあったので「ローカーボ」へと向かった。予定では、今夜は軽くに上げるつもりだったが・・・。新しいジンの試飲をさせてもらったりしながら、ハイボール遣った。だんだんと酔いが廻り、Tokioを誘い再度「ちよっぷく」に立ち寄った。

                     

                      ローカーボのカウンター

今度は久保田が出た。「冷やしといたんだよ」と云いながら、よく冷えた一升瓶からタップリと注いでもらう。血中濃度が上がり細胞が活性したのか、腹が減ったので焼きソバを注文した。が、中々出てこない。仕舞には「自分で作ってよ」と云われてしまった。こっちは酔っているので、いいぜ!とオープンな厨房の中に入り、フライパンを握っていた。そんなことしているんじゃ、酔いも廻る・・・。

すっかり出来上がっての帰還だが、学大駅前の東急ストアで弁当用の牛肉を買った。これなら電車の中に忘れることはない(昨夜の牛肉は、出てきたら捨ててくれと駅に言い置いた)。これで、さっさと蒲団に潜り込めばいいのだが・・・気が付けばリビングのホットカーペットの上で寝込んでいた。時刻は四時半であった。

まだまだ酔いの余韻を残していた、急に腹が減った。ご飯を一杯、卵掛けにして喰ってしまった。それから一眠り・・・・。今度は7時過ぎの起床となった。弁当が間に合わぬ、飯を炊いたら長女と次女の時間までに炊き上がらない。急遽、冷凍ご飯で二人分のチャーハン弁当を作ることにした。

                    

菜は、昨夜買った牛肉とチンゲン菜・タマネギの炒め物、冷凍鯖を一切れ焼く。これだけだ・・・、時間に追われ大慌てで弁当を用意したが、ギリギリでセーフ。

                    

それにしても、連夜で三軒廻ると疲れるわ・・・。連日夜中まで飲み歩いたのは遠い日の出来事。もう若くないと実感するが、流れてくる「南らんぼう」の詩だけは、時の流れが止まっている。

今夜も誰かと会うが、軽くいこう、軽く・・・。

 

 

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