11/10(日) 水曜日、遅ればせながらのPマーク審査を受け、取り敢えず終えた。事務局スタッフの慰労を兼ねた反省会を「高松蕎麦店」にて行った。メンバ-は、リーダーのNOBORU,AOKI、AKAGIに我が社の至宝とも云えるOGAWAであった。TOKIOは所用があるとのことで出掛けた。五人で一献交わすのも久々であった。
特に記すべきこともないが、日常の業務であれPマーク取得のような取り組みであれ、全メンバーがその気とやる気で着実に進める、日々を積み重ねて行くことが肝要。それが出来れば、着実に力が付いて行くのだが・・・。
「高松」では、例の如くに一番最後まで残る客であった。帰りしな、女将から貼り薬を渡された。小生の膝痛を気遣って用意してくれたようだが、気持ちだけを頂く訳にもいかずに預った。
帰路が同じAOKIと駅に向かう途中、「ローカーボ」の灯りに引かれて立ち寄った。高松では久々に金魚ソーダを中心に飲んだので、ここでは定番のハイボールを少々頂くことにした。マスターに『南らんぼう』の「曲をリクエストし、検索をしてもらった。好きな何曲かを聴くが、どうもここの場にはそぐわなかった。
翌日木曜日は、昔の職場仲間との旅行が控えているので飲み過ぎには注意する。そんなことで、短い時間で切り上げた。
木曜日、上野九時集合に併せて雨の中を何時もより早めに家を出た。東京から総勢二十名、山形在住のUENOさんが現地で加わり泊まりは二十一名となる。朝からビールを飲み、眠くなってしまう。毎夜の酒の所為もあろうが、気の置けないメンバーと一緒でリラックスしきっている。
隣に座っているのはYAMADAさんであった。最近の様子など伺うと「蜘蛛幕下出血で倒れた家内を自宅に引き取り、その世話でここ四年は付きっきりです。気管の切開をし、胃瘻なので二十四時間目が離せない状況ですが、それでも退院した頃に比べると意思表示ができるようになり元気になりました」と話した。
それだけの看病には頭が下がる。現役時代も生真面目で、コツコツと着実に仕事をされていたが、家庭人としても見上げた方である。YAMADAさんの話を聴きながら、現役時代の姿を彷彿した。細い体で、大きなカバンにカタログや資料を沢山入れて、「何時でもどんなオーダーにも対応できるようように、資料を準備してありますから」と、重いでしょうと訊ねた私に応えた頃と、少しも変わっていない生真面目な生き方。
夜毎酒を飲んだくれている、何処かのオヤジに爪の垢でも飲ませてやりたいものだ・・・と、今になって思うが、遅かった!残念。
山形は9月下旬に取材で訪れたが、その折には紅葉には早かった。取材で訪れた蔵王の麓に在る「石行寺」の江戸もみじが、赤く染まっているだろうと思念しながら、蔵王温泉へと向かった。
生憎の雨だが、山々は錦秋に染まっていた。蔵王温泉「五感の湯・つるや」旅館にて、山形在住のUENOさんとも合流。なんとUENOさんは、蜘蛛幕下出血で入院・手術をされていたとのこと。今年二月に、急性の胃癌で相方を亡くされたばかりである。東京で開かれたその偲ぶ会でお会いし『落ち着かれる頃の秋に、お話を伺いに参ります』と云ったが、ご当人が病を得たとは知らなかった。知らないところで、色んなことが起きている。
夜はお定まりの宴会、悪いことにカラオケが用意されていた。席は座敷にテーブルで、膝には助かるが、座り込んで酒を、杯を遣りとりする雰囲気ではなかった。、ソーダがないので、チビチビと水割りを飲み、飲み過ぎず食べ過ぎずに徹した。
翌日は雨が上がったかに見えたが、途中から降りだしたり止んだりの天気。紅葉の山道を会津・喜多方に向かい喜多方ラーメンを食した。喜多方は初めてであった。YAMADAさんは、奥様が元気なころにご一緒したことがあるとか。ラーメン店の在りかにも詳しかった。
帰路、高速道路のj事故があり大幅に遅くなった。上野に着いたのは二十時前となったが、当時の庶務係長スーさんと御徒町の居酒屋で一献交わし、さらに人形町の「ちょっぷく」まで流れた。スーさんは独身なので、毎日外食だそうな。遠出も厭わないようなので、人形町の店を教えた次第。また、飲み仲間が増えたか・・・嬉しい限りだ。
昨日の土曜日、朝新聞を取りに出ただけで一日を部屋に垂れ込めて過ごした。その反動で今朝は、7時前から動き出す。午前中に会社に出て、午後は3時前に日商ホールに出向く。「東京アマチヤ・マジシャンズ・クラブ」の発表会が開かれ、これに出場する知人からチケットを頂いた。折角のことなので、これを応援がてらに覗こうと云う次第だ。
無芸大食の酒飲みオヤジからすれば、アマチヤ・マジシャンとか、YAMADAさんのような献身的な生き方は、崇め奉るしかない。皆さまに幸あれ。